110、雨上がりに浮かぶもの
鳥の囀り。
差し込む日差し。
それは新しい一日の到来を知らせるもので。
「……」
瞼を開ければ周囲は薄暗く。
今が何時で、午前なのか、午後なのか。
さすがに夜という事は無いであろうが、それでも自身の感覚を狂わせるには十分なもので。
「……」
寝起きだからであろうか。
力の入らない体に鞭を打ち。
その場に起き上がらせては周囲を見回す。
「誰もいない……か」
それはこれまでに比べて酷く寂しさを覚える事実だった。
「水……」
声を発したからか。
喉の渇きに気付き。
手を伸ばせば届く距離に置かれた水差しへと――。
「…………無事なのか……?」
それで思い出す。
身体は痛みを忘れ。
喉は渇きを忘れ。
ただ思いのままに唯一の扉を目指す。
「っ……」
足がもつれ。
受け身を取る事も叶わず無様にこける。
だがその程度がどうしたというのか。
倒れたのであれば立ち上がればいい。
ただそれだけのこと。
手に力を籠め。
腕に力を入れては支えに。
そうして言う事を聞かない体を前に。
無理矢理二本の足で――。
「何してんのよ」
その声に顔を向ければ。
いつ間に開け放されたのか。
サラスがこちらの前へと立ち尽くしている。
「っ……」
途端に体から力が抜け。
前のめりに倒れそうになる体を気持ちだけで後ろ側へと倒す。
「……だから。何やってんのよ」
それをこちら側へと歩み寄って来ては腕を回し支えるサラス。
その目は細められ、こちらを咎める様に非難している。
「……おはよう」
間抜けにもそんな言葉しか出てこない自分に思う所はあるものの。
それでも良かったと心の底から思えたことだけは真実だ。
「もう日暮れよ」
しかし、それを否定するように。
いや、訂正するように繰り出されたのはなんてことないいつも通りのサラスらしいもので。
「何笑ってるのよ」
自然と笑みを浮かべてしまうのも無理のない事か。
「いや、喉が渇いた」
ジーナなら気付いたかもしれないが。
相手は他ならぬサラスであるが故に。
それとなく話を逸らしては要望を伝える。
「……まぁ、いいけど」
サラスはこちらの意図を理解してか。
そちらがそういうつもりならと扉の向こう側に引き入れてくれる。
「済まないな」
「いいのよ」
そんな短いやりとりの後。
人工的な明かりに照らし出されたそこには。
卓に伏せたまま眠りこけるジーナと。
座ったままの姿勢で顔を俯かせ、静かに瞼を閉じるマリアだった。
「……随分と迷惑かけたみたいだな」
起こさぬようにと小声で椅子を引くサラスに告げる。
「……お互い様よ」
サラスは言い淀むというよりも。
何かを含ませるようにしては問題無いと続ける。
「……はい。水」
「あぁ。ありがとう」
動きの鈍いこちらを余所に。
サラスはテキパキと事を進ませていく。
「何か食べる?」
「あぁ、頼む」
「どんなのがお望みかしら?」
「何でもいい」
「相変わらずね。でも、まっ、いいわ」
サラスはこちらの答えに追及する構えを見せながらも今回だけは許してあげると部屋を後にする。
「……」
残された自分。
視線は自然と二人の寝顔、ジーナは伏せられているため分からないが。
それでも向かってしまうのは無事でよかったという素直な思いからだ。
「ふぅ……」
水に口をつけては一気に飲み干し。
熱を持ち始めていた体を落ち着ける。
「リン?」
それは目の前の二人からではなく。
背後からかけられたもので。
「アイギスか」
振り返らずとも理解しているが故にその者の名を呼ぶ。
「うん」
それに返されるのはいつも通りの短いもので。
「助かった」
ただそうであろうという思いから。
言っておくべきだと口をついたのは普段なら口にしない憶測。
「ううん」
その一言で是正され、そして何でもないように清算されていく。
「……エルヴィは生きてるか?」
アイギスならもしくはと。
自身の思考に未だ突き刺さったままの棘を引き抜くように問いかける。
「うん」
返されるのはこちらを安心と安堵の中へと落とし込む肯定。
アイギスがそう言うのであればと。
それ以上は聞かずにいつの日か訪れるかもしれない再会を待ち望む。
「ありがとう」
「うん」
繰り返される頷き。
「リン?」
そうして繰り返される呼びかけ。
「ん?」
穏やかな時間の中で。
不意に振り返ろうとして後ろから手が伸びる。
「リン」
アイギスから回された両腕。
確かな温もりを伝えながら、その声は続く。
「あんまり無茶しちゃだめだよ」
感情が籠っているのか、いないのか。
いつも通りのアイギスでありながらも言葉の上から伝わってくるのは確かな気遣いだ。
「ごめん」
間を開ける事無く、率直な気持ちを言葉にする。
「うん」
そうしてゆっくりとアイギスは手を離す。
「アイギス」
依然としてこちらの後ろへと控えたままのアイギスに。
今度はこちら側から声を投げかける。
「なに?」
対して――返ってくるのは期待通りでありながらも。
アイギスのことをよく知らなければいささか無機質に感じてしまうもので。
「アイギスはどうしたい?」
主語を意図的に省き。
ただそれでも伝わるだろうと。
自分勝手に解釈しては曖昧な問いを投げかける。
「リンはどうしたいの?」
アイギスは聞いてくれる。
こちらが持ち合わせていない答えを埋め合わせるように。
「……納得して欲しい。後悔して欲しくない。思いのままに生きて欲しい」
「むずかしいね?」
「あぁ」
「でも良いと思うよ」
「そう?」
「うん。そこにリンが含まれてるならね」
「アイギスは含まれてる」
「リンは?」
「含めてくれるか?」
「私はリン。リンは私」
「含むまでも無かったか」
「様子、見に行こ?」
「ん? うん」
何の事かは全く分からないが、心当たりはいくつかある。
一度頭の上へと疑問を浮かべた後。
自分なりに噛み砕いては咀嚼する。
「リン?」
アイギスはこちらの名を呼ぶ。
「ん?」
「リン?」
「ん?」
「アイギス」
「ん?」
「アイギス」
「アイギス」
「リン?」
「ん?」
「アイギス」
「アイギス」
「リン?」
「あぁ、アイギス」
「リン」
「アイギス」
「リン」
「アイギス」
「リン」
「アイギ――」
「いつまで続くのかな……」
それはジーナが目を覚ましたことをこちらへと告げ。
同時にマリアの目がこちらへと向けられていることをも意味する。
「あら、どこ行ってたのよアイギス」
サラスも料理を器用に両手へと乗せて。
「おみせ」
「……アイギスにお金持たせたのは誰よ?」
「あぁ、自分だ」
「はぁ……まっ、いいわよ。元気になったんだし」
サラスは卓へと良い香りのするそれらを並べ始める。
「美味そうだな。というか、料理できたんだな」
ここへきて。
今の今まで面倒くさがってやっていなかっただけであることが判明する。
「今日はね。特別よ、特別」
「自炊すれば安く済むんだがな」
「嫌よ。面倒くさい」
「洗い物ぐらい――」
「いいから。さっさと食べちゃいなさい? アイギスに食べられるわよ?」
横を見れば。
いつの間にか椅子を引っ張ってきては着席するアイギス。
姿勢を正して行儀よく待っているものの、その目的は一目瞭然だ。
「アイギスの分も頼む」
「……はぁ。分かったわよ。今回だけね。今回だけ」
「あぁ」
サラスは強調する。
これは普通では無いと。
特別な事なのだと。
「あーっ、ぼくもぼくもーっ!」
ジーナが寝起きであろうに、元気よく便乗する。
「アンタは自分で作れるでしょ?」
「えーっ!」
「サラスさん。私も、その、食事を……」
「アンタは食べた方が良いわ。ジーナ、手伝いなさい?」
「むーっ、って、いいんだけどねっ」
頬を膨らませてはニコリと笑って見せるジーナ。
「マリア――」
「あの日なのよ」
訳ありげなマリアに話しかけようとしてサラスに茶化される。
「ちっ――違いますっ!」
「あら、結構元気じゃない」
サラスは笑いながらもこちらにそれ以上聞くなと一瞥してはジーナを連れ立って背中を向ける。
「リンっ、あんまり気にしないであげてっ?」
去り際にジーナがそんな言葉を残していった。
「あっ、あのっ」
二人が見えなくなったところで。
意を決するように声を上げたのは他でも無い。
「あぁ、ちょっと待ってね」
「は、はい」
マリアのはやる気持ちを押さえるように。
目線は待ちきれないとするアイギスへ。
「アイギス、食べていいよ」
「リンは?」
前のめりになりつつあるアイギスの手元へと食器を寄せる。
「今サラスが作ってる」
「いただきます」
早かった。
こちらが言い終わるまでも無く手を合わせたアイギスは早速目の前の品々に手を付け始める。
「良かったのですか?」
「ん?」
「その……お腹が減っているのではと……」
「あぁ、まぁ、慣れてる」
「え、えと……」
「あぁ、いや、マリアはって違う違う。そういう意味じゃなくて、ええと、その、なんだろう」
「ふふっ」
マリアは文字通り笑う。
「いいんですっ。ただ、リンさんには誤解して欲しく無かったので……その、違いますからね?」
「ん?」
「リンさんっ」
「あ、あぁ。うん。ごめん。考慮しとくよ」
「え、えっと……」
「配慮が足りなかったと思う」
「だ、だから違うんですっ!」
「ん?」
話が何だがかみ合っていないように思えるのは気のせいではない気がする。
「わっ、私はそのっ――」
「ん?」
「もーっ! リンさんっ!」
マリアは空元気にしろ、そう振る舞ってくれる。
それが何だか嬉しくて――。
ただ、扉一枚隔てただけの会話であるが故に。
サラスに後で殴られたことは言うまでもない。




