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第4話「悪魔の目覚め」

第1幕「蘇よみがえった巨悪」

『そう思うか』


「いや」


村上は立ち上がった。


「私があんたを

 利用しているのかもしれない。」


死神の輪郭が、わずかに揺らいだ。


人間の意識に宿る異形(いぎょう)が、

人間の言葉によって揺さぶられる。


その光景を、鬼は見逃さなかった。


     *


警視庁。


紀藤吾六は、

会議室の隅に座っていた。


机の上には、

藤原 龍治が関与した事件の

資料が積まれている。


強盗。


特殊詐欺。


恐喝。


違法薬物の流通。


複数の会社を経由した

資金洗浄。


被害者の数は、

正確には分からない。


金を奪われた者。


暴力を受けた者。


家族が脅され、

警察への相談を諦(あきら)めた者。


犯罪の実行犯として逮捕され、

藤原の名前を出さないまま

刑務所に入った者。


その一人一人に、人生があった。


紀藤は、

ある被害者の供述調書を開いた。


60代の女性。


息子が藤原の組織に利用され、

特殊詐欺の受け子として

逮捕された。


女性は

息子の無実を訴えたが、

息子は

組織から脅(おど)されていたため、

何も話せなかった。


女性は自宅を売り、

弁護士費用を工面した。


それでも、

息子は実刑判決を受けた。


調書の最後には、

こう記(しる)されていた。


――あの人たちは、どうして

  普通に暮らして

  いられるのでしょうか。


紀藤は、書類を閉じた。


「どうしてだろうな」


誰に向けた言葉でもなかった。


会議室には、紀藤しかいない。


だが、彼の背後には、

黒い影が立っていた。


鬼だった。


『簡単なことだ。』


鬼の声が響いた。


『あの者たちは、

 恐怖を知らぬ。

 自分が傷つけた人間の

 痛みを知らず、

 裁かれる恐怖も知らぬ。

 だから、笑って暮らせる。』


紀藤は、資料の束を揃えた。


「法律は、

 そういう人間を裁くためにある」


『では、なぜ裁けぬ?』


「証拠が足りない」


『証拠を消す者がいる』


「証人がいない」


『証人を黙らせる者がいる』


「捜査情報が漏れる」


『漏らす者がいる』


鬼の声が、一段低くなった。


『お前は、

 いつまで言い訳を続ける』


紀藤の手が止まった。


言い訳。


その言葉は、

胸の奥に深く突き刺さった。


藤原を逮捕するために、

紀藤は何年も費やしてきた。


合法的な捜査を積み重ね、

関係者を追い、証拠を集めた。


しかし、最後にはいつも、

何かが足りなかった。


藤原は捕まらない。


被害者は救われない。


そして、紀藤だけが、

次の事件に向かう。


その繰り返しだった。


「俺は警察官だ。」


紀藤は呟いた。


「俺には、

 守るべき規律がある。」


『規律とは何だ?』


「法だ」


『法が悪を守るときもか?』


「……」


『法が被害者を

 見捨てるときもか?』


紀藤は顔を上げた。


会議室の窓には、

夜の街が映っていた。


その窓に映る自分の姿が、

一瞬だけ変わった。


人間の顔ではなかった。


額(ひたい)に角(つの)が生え、

目が赤く燃え、

口元には鋭い牙が並んでいた。


紀藤は瞬(またた)きをした。


そこには、

いつもの自分がいた。


「俺は、俺の判断で動く。」


鬼が笑った。


『そうだ。それでいい』


紀藤は立ち上がった。


彼は、

自分が鬼に動かされている

とは思っていない。


自分の判断で、

藤原を裁こうとしている

のだと信じている。


だが、

その判断の奥底にある怒りは、

本当に

紀藤自身のものなのだろうか。


紀藤は知らない。


彼の中で、

鬼が静かに息をしていることを。


     *


午後4時。


病院の個室で、

藤原 龍治は一人、

窓の外を眺めていた。


医師たちは驚いていた。

 

重傷を負い、

一度は心停止した患者が、

短期間で意識を取り戻した。


それだけでも異例だったが、

藤原の回復速度は、

常識から外れていた。


痛みは残っている。


身体を動かせば、傷が疼(うず)く。


だが、回復している。


自分の身体が、以前とは違う。


藤原は、右手を握り締めた。


力が入る。


指先の感覚が鋭い。


窓の外を走る車の音まで、

以前よりはっきりと

聞こえる気がした。


看護師が入室すると、

藤原は笑顔を向けた。


「悪いね。迷惑をかけた。」


「いえ、

 まだ安静に

 していてくださいね。」


「分かっているよ。」


看護師は点滴を確認し、

部屋を出ていった。


扉が閉まる。


藤原の笑顔が消えた。


「……ふざけやがって。……」


低い声だった。


誰に向けた言葉なのか、

自分でも分からない。


事故を仕掛けた人間。


自分を殺そうとした人間。


あるいは、

自分を生き返らせた医師。


藤原は、

死の直前の光景を思い出した。


あの瞬間、

彼は何もできなかった。


金も、権力も、部下も、

何の役にも立たなかった。


自分の命が

終わろうとしているとき、

藤原はただ、

何もできずに

死んでいくしかなかった。


それが、許せなかった。


藤原は笑い始めた。


最初は小さな笑いだった。


やがて肩が震え、

喉の奥から、

押し殺せない声が漏れた。


「はは……ははは……」


看護師が

扉の向こうで足を止めた。


藤原は笑い続けた。


「死ぬって、

 あんなものかよ……」


笑いながら、涙が流れた。


恐怖ではない。


悲しみでもない。


自分が死ぬという

現実を前に、

何もできなかった自分への

怒りだった。


「俺は……」


藤原は涙を拭った。


「俺は、

 誰にも終わらせられねえ。」


その言葉を口にした瞬間、

彼の中で何かが決まった。


これからは、

失うことを恐れない。


捕まることも。


裏切られることも。


傷つくことも。


死ぬことさえも。


もう一度死ねば、

また何かが

変わるのかもしれない。


そう考えると、

恐ろしいどころか、

試してみたいとさえ思えた。


藤原は

ベッドの脇に置かれた

携帯電話に手を伸ばした。


事故の後、

警察に押収される前に、

部下が病院へ

届けていたものだった。


画面を点灯させる。


未読のメッセージが数十件。


組織の人間からの

報告が並んでいた。


藤原は、

その中から一人を選んで

電話をかけた。


「俺だ」


電話の向こうで、

男が息を呑んだ。


『藤原さん……? 

 生きていたんですか?』

明日 18:40 に投稿します。

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