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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと


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【File.02】人喰い宿の帳簿(3/5)

「ヒッ……、ヒィィィィッ!?」


老主人の喉から、情けない悲鳴が漏れた。

解体台の上で仰向けになったまま、首だけを真後ろに180度回転させた女旅人が、漆黒の瞳でこちらを見つめてクスクスと笑っている。

耳まで裂けた真紅の唇からは、真っ白な顔には似つかわしくない、獣のような鋭い牙が覗いていた。


「な、なんだお前は! 化け物めッ!!」


パニックに陥った老主人は、恐怖を振り払うかのように、手にしていた分厚い肉切り包丁を高く振り上げた。

狙うは、不自然にねじ切れた女の細い首筋。

骨ごと肉を断ち切る、彼が長年使い込んできた業物だ。


ドスッ!!


鈍い音が地下室に響く。

確かに、刃は女の首に深々と突き刺さった。


「……え?」


しかし、血は一滴も出なかった。

肉を斬る感触もない。刃が触れた部分から、女の真っ白な肌が『どす黒い泥』のような流体へと変異し、ズブズブと包丁を飲み込んでいく。


「なっ、抜けねぇ……! 離せ! 離しやがれッ!」


老主人が両手で柄を引っ張っても、ビクともしない。

それどころか、黒い泥は泥沼のように包丁の柄を伝い、老主人の両腕にまで絡みついてきた。


「ひぎぃっ! つ、冷てぇ! 痛ぇぇぇッ!!」


泥に触れた部分から、皮膚がジュウジュウと焼け焦げるような音が鳴る。極度の冷気が、彼の両腕の感覚を瞬時に奪い去った。


『……あははっ。手荒な歓迎ね』


女旅人の姿をした『それ』が、解体台の上でゆっくりと身を起こした。

起き上がった、のではない。

首が真後ろを向いたまま、関節を無視して操り人形のように上半身を『持ち上げた』のだ。


バキッ、メチャッ、ゴキボキッ!!


凄惨な音を立てながら、女の首が元の位置へと回転して戻る。

先ほどまで美しかったルビーのネックレスは、どす黒い泥に侵食されてドロドロに溶け落ちていた。


『あなたたち、ずいぶんとカルマの匂いが強いと思ったら。……なるほど、そういうこと』


漆黒の虚ろな瞳が、地下室の隅に乱雑に積まれた『骨の山』へと向けられた。

老夫婦が今まで解体し、シチューの具材にしてきた、哀れな旅人たちの残骸だ。


『三十……いや、五十人はいるかしら? この街道を通る旅人を毒殺しては、自分たちの胃袋と財布の肥やしにしてきたのね』


「ひぃっ……! 許して、許してくだされ! 金なら、さっきの宝石も全部返すから!」


老婆が床に這いつくばり、ガタガタと震えながら命乞いを始めた。

今まで数え切れないほどの旅人の命乞いを嘲笑って聞いてきた彼女が、今は顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして床に頭を擦り付けている。


『……お金? そんなもの、私には何の価値もないわ』


女の形をした怪異は、うっとりとした表情で、自らの赤い唇を長い舌でペロリと舐めた。


『私が食べるのはね、あなたたちのような『強欲で、罪深くて、他人の肉の味を覚えた……極上の悪人』だけなの』


「ヒッ……!!」

「ば、ばあさん! 逃げろ! 上へ行け!!」


老主人の叫び声に弾かれ、老婆は四つん這いになりながら、厨房へと続く木製の階段を必死で駆け上がった。

あと少し。あの扉を開けて外に出れば、誰か通りすがりの馬車が……!


しかし、老婆の手が地下室の扉に触れようとした瞬間。


ズンッ!!!


重い地響きと共に、木製だったはずの扉が、周囲の石壁と同化するように『分厚い岩』へと変異し、完全に塞がってしまった。


「あ、開かない! 開かないよぉぉっ!! 誰か! 誰か助けて!!」


老婆が血だらけの爪で岩壁を掻き毟るが、虚しい音が響くだけだ。

光の届かない地下解体室は、老夫婦と怪異だけを閉じ込めた『完全な密室(檻)』と化した。


『さあ、扉は閉めたわよ。お食事の邪魔が入らないようにね』


背後から、ひどく甘ったるい、しかし背筋が凍るような声が響く。

振り返った老婆と、泥に腕を拘束された老主人が見たものは。


『——いただき、ます』


女の美しい顔の、ちょうど鼻の下のあたりから。

メリメリと音を立てて、顔の皮膚が胸元まで『縦に』真っ二つに裂けた姿だった。


裂けた肉の奥底には、サメのように何重にも生え揃った、おびただしい数の鋭い牙。

それは、人間を骨ごと噛み砕くためだけに存在する、圧倒的な『捕食者』のあごだった。


「ア、アアアァァァァァァッ!!」


老夫婦の絶望の悲鳴が、冷たい地下室の壁に吸い込まれていった。

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