【File.10】微笑む黄金都と、命をすり減らす不労所得(2/4)
大通りの不自然な熱気から少し距離を置くため、トマたちは馬車を大衆向けの手頃な宿屋に預け、歩いて街の探索に出ることにした。
「まずは、この街の『金銭感覚』を確かめてみるか」
トマはルミの手を引き、通りに面した一軒の菓子屋へと向かった。ショーケースには、王都でも滅多にお目にかかれないような色鮮やかな砂糖菓子や、フルーツをふんだんに使ったタルトが山のように並べられている。
「いらっしゃいませ。今日もエルドラドは素晴らしい日ですね。甘くて美味しいお菓子はいかがですか?」
エプロン姿の店主が、口角を完璧な角度に引き上げた笑顔で出迎えた。その声は明るくハキハキとしているが、どこかオルゴールの音色のように単調だった。
「おう、美味そうだな。ルミ、どれが食べたい?」
「んーっとね、あの赤いイチゴのタルトがいい!」
「よしきた。おやっさん、このタルトを三つだ。……ただ、俺たちも旅の商人でね。同業者よしみってことで、三つまとめ買いするから少しオマケしてくれねぇか?」
トマはニカッと人懐っこい笑みを浮かべ、商人特有の『値切り交渉』のジャブを打った。
普通なら、ここで「勘弁してくれよ」「じゃあ銅貨一枚だけ引いてやる」といった、商売人同士の人間臭い駆け引きが始まるはずだ。
しかし、店主の顔に張り付いた笑顔は、ピクリとも動かなかった。
「タルト三つですね。代金は銀貨一枚と銅貨五枚です。……エルドラドは完璧な都市です。大銀行様から十分な『配当金』が支払われていますので、価格を変動させる必要も、利益を競い合う必要もありません。定価でお買い求めください。あなたは幸せですか?」
「……あ、ああ。そうかい」
トマは薄気味悪さを覚え、それ以上食い下がるのをやめて代金を支払った。
ジャラリ、と受け取った釣り銭の硬貨が、トマの手のひらでやけに冷たく、そして重く感じられた。
タルトを受け取り、少し人通りの少ない路地のベンチに腰を下ろす。
「はい、お兄ちゃん、猫さん! いただきまーす!」
ルミは嬉しそうにタルトを頬張ったが、数秒後、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたルミ、不味かったか?」
「ううん、甘くて美味しいんだけど……なんかね、味がしないの」
「味がしない?」
トマもタルトを口に運ぶ。
確かに、強烈な砂糖の甘みとイチゴの酸味は舌に伝わってくる。だが、ルミの言う通り、それはひどく平坦で『空虚な味』だった。職人が魂を込めて作ったという熱気や、美味しいものを食べてほしいという作り手の愛情――そういった目に見えない「心の栄養」が、すっぽりと抜け落ちているような感覚。
「……フン。見た目だけを取り繕った、ただの甘い泥を食っている気分だニャ」
猫の姿のゼルギウスも、一口舐めただけでタルトから顔を背けてしまった。
「やっぱりおかしいぜ、この街。活気はあるのに、人間の『欲』も『感情』も全然感じられねぇ。まるで街全体が、あらかじめ決められた劇の台本をなぞってるだけの……」
トマが言いかけた、その時だった。
「……ッ!! お兄ちゃん、耳塞いで!!」
タルトを持ったまま、ルミが突然悲鳴のような声を上げ、両手で自分の耳を強く塞いだ。その顔は青ざめ、ガタガタと震えている。
「ルミ!? どうした!」
「からっぽの音が……パリン、パリンって、壊れる音がする……! すっごく痛そうなのに、誰も泣いてないの……あそこ!!」
ルミが目を固く閉じたまま指差したのは、大通りから一本外れた、薄暗い裏路地の奥だった。
トマとゼルギウスが弾かれたように視線を向けると、そこには、豪奢な絹の服を着た中年の男が、レンガの壁に背中を預けて座り込んでいた。
「おい、あんた! 大丈夫か!?」
トマが駆け寄り、男の肩に手を伸ばした瞬間。
「ヒッ……!」
トマは思わず息を呑み、手を引っ込めた。
男の身体が――物理的に『崩壊』していたのだ。
足の先から、指先から。男の肉体が乾燥した灰色の「砂」のようにサラサラと崩れ落ち、路地の石畳に積もっていく。
だが、それほどのおぞましい死の淵にありながら、男は苦しむ様子など微塵も見せず、顔には大通りの店主たちと全く同じ『完璧な笑顔』を貼り付けていたのだ。
「あ、ああ……旅のお方。こんにちは。今日もエルドラドは素晴らしい日ですね」
男は、自分の腕が砂になって消えていくのを見つめながら、恍惚とした声で呟いた。
「おい、しっかりしろ! 血が出てねぇぞ、どうなってんだあんたの身体! 今すぐ治癒院へ……!」
「治癒など必要ありませんよ。……ああ、私はなんて幸せなんだ。毎日毎日、大銀行様から配当金が振り込まれ、労働の苦しみから解放され、好きなものを買い、ただ笑って過ごすだけの人生。……私の口座の残高は、もう十分だ。あとはこのまま、満ち足りて眠るだけ……」
「正気かよ! 自分が死にかけてるのが分かんねぇのか! 痛くねぇのかよッ!」
トマが叫ぶが、男の耳には届いていないようだった。
「痛みなど、とうの昔に口座へ預けました。悲しみも、怒りも、すべて……。不労所得は、最高ですね……」
サラァァァ……ッ。
男が最期の言葉を紡ぎ終えた瞬間、その首から上の肉体までもが完全に灰色の砂となって崩れ落ちた。
後には、豪奢な服と、砂の山。そして、男が握りしめていた数枚の銀貨だけが、カランと虚しい音を立てて路地に転がった。
「……」
トマは信じられないものを見る目で、その砂の山を見下ろした。
呪いによる死や怪異の惨殺なら、これまでの旅で何度も見てきた。だが、これほどまでに静かで、狂気に満ちた『無痛の死』は初めてだった。
その時、路地の入り口を通りかかった別の住人――若い女性の二人組が、砂の山に気づいて足を止めた。
「あら。あの方、ついに配当金を使い切ったのね」
「ふふっ、最後まで笑顔で、とっても幸せそう。羨ましいわね。私たちも早くああなりたいわ」
彼女たちは、目の前で人が灰になって死んだというのに、一切の恐怖も悲しみも見せず、まるで美しい花壇でも褒めるかのようにクスクスと笑い合い、そのまま大通りへと消えていった。
「……狂ってやがる」
トマの全身に、ざわざわと鳥肌が立った。
「誰も悲しまねぇ。死ぬ本人すら、笑ってやがる。……人間の『生きる意志』すらも、何かに麻痺させられてるんだ」
「トマ、ルミから離れるなニャ」
ゼルギウスが、トマの足元で低い唸り声を上げた。その金色の縦瞳孔は、砂の山から転がり落ちた『銀貨』を鋭く睨みつけていた。
「この街の異常性の正体が、少し見えたサ。……あの男が死んだのは病気じゃない。魂そのものを、限界まで『すり減らされた』結果だニャ」
ゼルギウスは、尻尾をパタンと叩きつけ、静かな怒りを込めて言った。
「誰も働かず、無限に金が湧き出してくるシステムなんてあるはずがないサ。……この街の連中が受け取っている『不労所得』。それは……自分たちの『未来の寿命』と『感情(魂)』を担保にして、無理やり金銭に変換する、悪魔の借金だニャ」
「命を、前借りして金に変えてる……ってのか?」
トマは息を呑んだ。
「その通りサ。だから誰も怒らないし、悲しまない。感情という魂のエネルギーを既に銀行に吸い取られているからニャ。そして、担保として預ける未来の命が尽きた時……あのように、何一つ感情を残さずにただの砂となって消滅するんだサ」
欲望のままに他人の命を買っていた王都の貴族たちとは違う。
このエルドラドの住人たちは、自らの意志で、自らの命と心を切り売りして、偽りの『幸福な日常』を買っているのだ。
「……ふざけんな。そんなもん、ただの緩やかな自殺じゃねぇか」
トマはギリッと奥歯を噛み締めた。
商人にとって、金とは「生きた人間が未来を切り開くための道具」だ。命をすり減らし、感情を殺してまで得る金に、何の価値もない。
「こんなイカれたシステムを作り上げた『大銀行』とやら……。とんでもない悪食の怪異が元締めをしているか、よっぽどの外道な人間が裏で糸を引いてるに違いねぇ」
トマが路地の奥、街の中心にそびえ立つ一際巨大なドーム型の建物――大銀行の本店を睨みつけた、その時だった。
チャリン。
トマのズボンのポケットの中で、先ほど菓子屋で受け取った『釣り銭の硬貨』が、氷のように冷たく、ひやりとした感覚を放った。
「……ッ!?」
トマは咄嗟にポケットに手を入れたが、遅かった。
硬貨から染み出した目に見えない微弱な魔力が、トマの皮膚を通して、ジワリと血管へと侵入していく感覚。
「お兄ちゃん……! お兄ちゃんからも、からっぽの音が鳴り始めてるっ!」
ルミが泣きそうな声で、トマの服を強く握りしめた。
街に流通する硬貨そのものが、この呪いのシステムの『契約書』。
この街で金を受け取り、消費のサイクルに組み込まれた瞬間、トマたちもまた、命をすり減らす不労所得の罠に足を踏み入れてしまったのである。




