【File.10】微笑む黄金都と、命をすり減らす不労所得(1/4)
王都アイギスでの死闘から数週間。
ザガンの遺した巨大な地下オークション会場は完全に崩壊したが、トマたちの旅は終わっていなかった。むしろ、彼らの『商売』はここから新たな局面を迎えようとしていた。
「よし! 見ろよお前ら、これが俺たちの新しいビジネスモデルだ!」
初夏の陽光が降り注ぐ街道。馬車の御者台で手綱を握るトマは、バサッと一枚の羊皮紙を広げてみせた。そこには、トマの汚い字で『トマ商会・呪物回収および浄化サービス(高価買取中)』と書かれている。
「ザガンの野郎がこれまでに世界中にばら撒いた『呪われた商品』は、まだまだ数え切れないほど残ってるはずだ。それを俺たちが安値で買い叩くか、あるいはタダで回収する! そして、ルミの極大浄化魔法でピッカピカの無害なマジックアイテムに変えて、大金持ちの貴族どもに超高値で売り捌く! ……どうだ? 完璧な錬金術だろ!」
トマは鼻息を荒くして、ニカッと白い歯を見せた。
「わぁーっ! お兄ちゃんすごい! ルミ、いっぱい『痛い痛い飛んでいけ』するね!」
荷台から顔を出したルミが、よく分かっていないながらもパチパチと無邪気に拍手を送る。
「……フン。相変わらず、底の浅い三流の思いつきだニャ」
ルミの膝の上で丸くなっていた黒猫――ゼルギウスが、呆れたように長い尻尾をパタンと揺らした。
ザガンとの魂の契約を力技で上書きし、トマと『一蓮托生』の専属契約を結んだ彼は、魔力消費を抑えるために普段はこの小さな黒猫の姿で過ごしている。
「怪異や呪物に関わるってことは、それだけ命の危険が伴うってことサ。お前のその貧弱な身体で、いつまで強運が続くと思ってるニャ? ……だいたい、俺という強大な神獣をただの護衛兼荷物持ち扱いするとは、いい度胸だサ」
「なんだよ、お前だってこの前、浄化した呪物の剣を売った金で『最高級のマグロの希少部位』を腹いっぱい食ってゴキゲンだったじゃねぇか。一心同体の相棒なんだから、しっかり働いて稼いでもらうぜ?」
「ニャッ……! そ、それはそれサ! 労働の対価として当然の権利を主張したまでだニャ!」
耳を赤くしてそっぽを向く相棒を見て、トマはケラケラと笑い声を上げた。
王都の闇を抜けた三人の旅路は、以前にも増して賑やかで、そして確かな『絆』に満ちていた。
やがて、街道の先に巨大な建造物の群れが見えてきた。
荒涼とした岩山を抜けた先に突如として現れた、巨大なオアシス。その豊かな水源を囲むようにして築かれた、白亜と黄金の巨大都市だ。
「見えたぞ! あれが今回の目的地、自由貿易都市『エルドラド』だ!」
トマが指差した先には、太陽の光を反射してキラキラと輝く、美しく巨大な城壁がそびえ立っていた。王都アイギスにも引けを取らない規模の大都市であり、西の大陸への玄関口として、世界中の富が集まる場所だと言われている。
馬車が城門に近づくと、武装した衛兵たちが笑顔で出迎えてくれた。
「ようこそ、エルドラドへ! 旅の商人さんですね。通行税は不要です。どうぞ、我が都市の豊かな恩恵を存分に味わっていってください!」
「通行税がタダ……? そいつは気前がいいな」
トマは少し驚きながらも、笑顔で会釈をして門をくぐった。普通、これほどの大都市であれば、よそ者の商人からはたっぷりと税を搾り取るのが常識だ。
門をくぐり、街の大通りに足を踏み入れた瞬間、三人はその異常なほどの『繁栄』に圧倒された。
道幅の広いメインストリートは、チリ一つ落ちていないほどピカピカに磨き上げられた大理石で舗装されている。行き交う人々は皆、上質な絹や麻の服を着ており、スラム街や物乞いの姿はどこにも見当たらない。
広場では美しい噴水が水を噴き上げ、路地のあちこちから、焼きたてのパンや甘い香辛料の匂いが漂ってくる。
「すごいニャ……。王都でも、ここまで街全体が小綺麗に整備されている場所はなかったサ。まるで街全体が、一つのお城みたいだニャ」
ゼルギウスも、荷台から首を伸ばして感心したように周囲を見回した。
「お兄ちゃん! あそこのお店、お菓子がいっぱいあるよ! ケーキもある!」
ルミが目を輝かせて、ショーケースに並んだ色とりどりの菓子を指差す。
「おう、後で買ってやるからな。……しかし、すげぇ活気だ。市場の熱気が肌でビリビリ伝わってくるぜ」
トマは手綱を握りながら、商人特有の鋭い目で大通りの露店や取引所の様子を観察し始めた。
世界中から商人たちが集まっているだけあって、荷馬車から降ろされる小麦、香辛料、鉄鉱石、魔法石の量は尋常ではない。巨大な商会がいくつも軒を連ね、ひっきりなしに取引が行われている。
だが、市場をじっくりと観察していたトマの顔から、次第に先ほどの能天気な笑みが消えていった。
「……おい、猫。なんかおかしくねぇか、この街」
トマが声を潜めて呟く。
「おかしい? どこがサ。美味そうな魚の匂いもするし、平和そのものに見えるニャ」
「いや、空気じゃねぇ。『金と物の流れ』だ」
トマは、広場の中心にある巨大な掲示板――各商品のその日の取引価格(相場)がリアルタイムで書き込まれる黒板を指差した。
「あそこの相場板を見てみろ。そして、目の前で行われてる取引の量を見てみろ」
「……?」
「出来高……つまり、市場で取引されてる物の量が、異常なほど膨大なんだよ。あちこちの店で客がガンガン物を買ってる。これだけの『異常な需要(熱狂)』があるなら、普通の経済なら物価は一気に跳ね上がるはずなんだ」
トマは眉をひそめ、己の商人としてのロジックと目の前の光景の矛盾を言語化した。
「なのに、相場板の価格が『昨日から一銭も動いてない』。横ばいのまま、完全に停滞してる。……こんな不自然な相場があるか? まるで、誰かが天文学的な資金力で、街全体の価格を意図的に固定化してるみたいだ。永遠の低位株を見せられてるみたいで、薄気味悪いぜ……」
膨大なエネルギー(金と物)が動いているのに、システム(価格)が全く変動しない。
それは、血が激しく流れているのに、心電図の波形が一直線のまま動かないような、静かで致命的な違和感だった。
「……言われてみれば、確かに変だニャ。それに……」
ゼルギウスも、ピンと耳を立てて周囲の人々を観察し始めた。
「道ゆく人間たち……誰も『怒ってない』サ。値切り交渉をしている商人も、荷物を落とした人間も、みんな……【同じ顔】をして笑ってるニャ」
ゼルギウスの言葉に、トマはハッとして周囲を見た。
果物屋の店主。パンを買う主婦。ぶつかってしまった通行人同士。
彼らは皆、口角を綺麗に引き上げ、まるで舞台役者のように完璧な『笑顔』を浮かべていた。
そこに、商売特有の熱気や、日常のイライラ、焦りといった「生々しい感情の揺れ」が一切存在しないのだ。
「お兄ちゃん……」
ふと、ルミが不安そうにトマの服の裾を引っ張った。
「どうした、ルミ?」
「なんかね、この街の人たち……。みんなニコニコしてるのに、胸の奥の方から『からっぽ』の音がするの。……お人形さんみたいで、ちょっと怖いよ」
ルミの純粋な魂の波長が、街を覆う不可視の膜のようなものを感じ取っていた。
ザガンの地下オークションで感じたような、生々しい「悲鳴」や「絶望」ではない。
もっと静かで、清潔で、ひんやりとした無機質な異常性。
その時、近くのオープンカフェで優雅にお茶を飲んでいた住人たちの会話が、トマの耳に飛び込んできた。
「いやぁ、素晴らしい朝ですね。今日も『配当金』がたっぷり入りましたよ」
「ええ、我がエルドラドは永遠に豊かです。私たちはもう、あくせく働く必要なんてない。大銀行様がすべてを管理してくださるおかげで、ただ笑って暮らすだけで『不労所得』が入り続けるのですから」
住人たちは、まるでプログラムされたセリフを読み上げるように、完璧な笑顔でそう語り合い、カチャリとティーカップを合わせた。
「働かなくても入ってくる、不労所得……?」
トマの背筋に、冷たい汗が伝った。
どんなに豊かな都市でも、富を生み出すためには誰かが必ず血の滲むような労働と生産を行わなければならない。それは商売の絶対的な真理だ。
全員が働かずに豊かになるシステムなど、この世に存在しない。もし存在するとすれば、それは未来の何かを『致命的な形で前借り(担保)』しているか、あるいは――。
「……猫。ルミの言う通り、ここはヤバい匂いがするぜ。しかも、怪異の血生臭さじゃねぇ……経済とシステムそのものが狂ってる匂いだ」
「……同感だニャ。呪いの気配は感じないが、この清潔さは異常サ。早急に用事を済ませて、この街を出た方が良さそうだニャ」
トマたちは顔を見合わせ、馬車の歩みを少し早めた。
しかし、彼らはまだ気づいていなかった。
この『永遠の豊かさを約束する黄金都』の門をくぐった時点で、彼ら自身もすでに、街を循環する目に見えない巨大な『呪いのシステム』の一部に組み込まれてしまっていたということに――。




