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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと
商人と猫

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【番外編】雨上がりの焼き魚と、三流商人の意地

それは、トマが薄暗い路地裏で「呪われた黒猫の木彫り」の封印を解き、二人が奇妙な『相棒』となってから、まだ数週間しか経っていない頃の話。

ルミという光の少女に出会う、ずっと前の出来事である。


* * *


冷たい秋雨が降る、活気のない港町『ポルト』。

泥はねで汚れた荷馬車を安宿の裏手に停めたトマは、上機嫌で鼻歌を歌いながら、懐に抱えた木箱をポンポンと叩いた。


「へへっ! 見ろよ猫! 今日は市場の奥で、とんでもない掘り出し物を見つけちまったぜ!」

「……フン。嫌な予感しかしないサ」


荷台の木箱の上で丸くなっていた黒猫――猫人が、片目を薄く開けて面倒くさそうに尻尾を揺らした。まだ木彫りから解放されて間もない彼は、トマの能天気さに辟易しながらも、雨風をしのげる居場所に少しだけ安堵している時期だった。


「驚くなよ? なんとこれ、『火竜の逆鱗』の欠片だ! あの胡散臭い爺さん、金に困ってたみたいで、俺の手持ちの銀貨三枚全部と交換してくれたんだ! 王都に持っていけば金貨十枚は下らねぇぞ!」


トマが自信満々に木箱の蓋を開ける。

中には、鈍く赤い光を放つ、手のひらサイズの薄い石のようなものが数枚入っていた。


猫人はそれを一瞥し、スンスンと鼻を鳴らした後、深く、心の底から呆れ果てたようなため息をついた。


「……トマ。お前、本当に救いようのない三流商人だニャ」

「はぁ!? なんでだよ!」


「匂いを嗅いでみろサ。火竜の魔力どころか、ただの磯の匂いしかしないニャ。……それは海辺に転がってる赤い『海魔の貝殻』を削って、安い油を塗って光沢を出しただけのガラクタだサ。銀貨三枚どころか、銅貨一枚の価値もないニャ」


「なっ……! 嘘だろ!? だってあの爺さん、涙ながらに先祖代々の宝だって……」

「お前のその節穴の目は、飾りかニャ? 少しは自分の頭で考えるサ。そんな極上品を、どこの馬の骨とも知れない小僧に安売りする馬鹿がどこにいるニャ」


痛いところを的確に突かれ、トマは顔を真っ赤にして木箱を抱え直した。


「う、うるせぇ! 俺の直感がこれは本物だって言ってんだよ! お前みたいな捻くれた猫には、このロマンが分からねぇんだ!」


「ロマンで腹が膨れるなら世話ないサ。……で? お前、そのガラクタに『手持ちの銀貨三枚全部』を使ったと言ったかニャ?」

猫人の金色の縦瞳孔が、スゥッと細められる。


「あ……」

「今日の夕飯は、港で獲れた新鮮な白身魚のソテーにするって、昨日の夜、俺に約束したはずだニャ? まさか、その金までガラクタに消えたとは言わせないサ」


「そ、それは……! これを売って大儲けしたら、魚なんて毎日食わせてやるから、今日は干し肉で我慢してくれって!」


トマが苦し紛れに言い訳をした瞬間、猫人の全身の毛がブワッと逆立った。


「ふざけるなサ!! お前が『美味いもん食わせてやる』って言うから、俺は昨日から馬車の中で大人しく雨漏りに耐えてたんだニャ! この詐欺師! 節穴! 万年三流商人!!」

「なんだと!? 誰のおかげで木彫りから出られたと思ってんだ! 飯食わせてやってるだけでもありがたいと思え!」


「頼んでないサ! お前みたいな貧乏商人と一緒にいたら、こっちまでバカがうつるニャ! 俺は一人で勝手に美味いものを探すサ!」


猫人はシャーッ!と牙を剥いて威嚇すると、荷台からピョーンと飛び降り、雨の降る裏路地へと走り去ってしまった。


「あ、おい! 待てよ! ……クソッ、勝手にしろ! 腹減って泣きついてきても知らねぇからな!」

トマも引くに引けず、木箱を抱えたまま反対方向の酒場へと歩き出してしまった。


これが、二人が相棒になって初めての、本気の喧嘩だった。


* * *


「……チッ。あのバカトマめ。俺を怒らせるなんていい度胸だニャ」


雨の降る港町。

建物の軒下を伝いながら、猫人は一人、濡れた毛を振って舌打ちをした。

威勢よく飛び出してきたものの、ここは見知らぬ人間の町だ。野良猫の姿で歩いていれば、酔っ払いに石を投げられたり、野犬に吠えられたりする。木彫りの中の孤独よりはマシだが、冷たい雨は彼の体温を容赦なく奪っていった。


(腹減ったニャ……。今頃あいつ、一人で酒場にあったかいスープでも飲んでるのかサ……)


路地裏の木箱の上で丸くなりながら、猫人はふと、トマの怒った顔を思い出した。


(俺も、少し言い過ぎたかニャ……)

いや、悪いのはあんな見え透いた偽物に騙されたあのバカだ。だが、木彫りから出たばかりの自分に、少ない生活費を削って美味いものを食わせようとしてくれていたのも事実だった。


「……ん?」


その時、猫人の尖った耳が、路地の奥から聞こえてくる揉め事の音を拾った。


「おいおい、小僧! 一度買った品物を返品したいだぁ? そんな道理が通ると思ってんのか!」

「通るに決まってんだろ! これ、火竜の鱗なんかじゃねぇ、ただの貝殻じゃねぇか! 金を返しやがれ!」


聞き覚えのある声。

猫人が音のする方へ屋根伝いに移動して見下ろすと、そこには、雨の中で三人のガラの悪い男たちに囲まれているトマの姿があった。トマの手には、先ほどの木箱が握られている。


(あのバカ……! 偽物だと気づいて、一人で金を取り返しに行ったのかニャ!?)


「へっ、自分の目利きが甘かったのを棚に上げて、因縁つけてんじゃねぇぞ!」

男の一人が、トマの腹を容赦なく殴りつけた。

「ガハッ……!」

泥水の中に倒れ込むトマ。木箱から「偽物の鱗」が散らばる。


「痛い目見たくなかったら、さっさと失せな!」

男たちがトマを蹴り上げようとした、その時。


「待てよ……! 返せ……」

トマは顔を泥だらけにしながら、男の足をガシッと掴んで睨みつけた。


「俺は、相棒に美味い魚を食わすって約束したんだ……。俺の目利きがクソだったのは認める……だが、俺を信じてついてきてくれたあいつに、ひもじい思いをさせるわけにはいかねぇんだよ! 銀貨三枚、きっちり耳を揃えて返しやがれッ!!」


ボロボロになりながらも、ただ「相棒の夕飯のため」に、一歩も引かずに悪党を睨みつけるトマ。


屋根の上でその言葉を聞いた猫人は、目を見開き……そして、深く、深くため息をついた。

(……本当に、どうしようもない大馬鹿だニャ。俺の相棒は)


トマのその不器用すぎる真っ直ぐさに、猫人の胸の奥で、冷たい雨を忘れさせるような不思議な温かさが広がっていく。


「うるせぇ小僧だ! 黙らせてやる!」

男がナイフを取り出し、トマに向かって振り下ろそうとした、次の瞬間。


ヒュンッ!!


「ギャアアッ!?」

男の悲鳴が上がり、その手からナイフが弾け飛んだ。男の手の甲には、鋭い三本の切り傷が走っている。


「な、なんだ!?」

男たちが慌てて周囲を見渡すと、路地裏の木箱の上に、暗闇と同化するように座る一匹の黒猫の姿があった。

その金色の縦瞳孔が、獲物を狙う猛獣のように細められ、危険な光を放っている。


「……俺の三流商人に手を出すなサ、薄汚い詐欺師ども」


猫人が低く唸ると、彼の足元の影がドロドロと広がり、巨大な化け物のあぎとのような形をとって男たちを威嚇した。

まだ本来の力など到底戻ってはいないが、路地裏のチンピラを脅すには十分すぎる「魔の気配」だった。


「ひ、ヒィィッ! 化け猫だァァッ!」

「金は返す! 返すから勘弁してくれェ!」


男たちは恐怖に顔を引き攣らせ、トマから奪っていた銀貨三枚を泥水の中に放り投げると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


路地裏には、雨音と、呆然と座り込むトマだけが残された。


「……まったく。少し目を離した隙にこれだニャ。お前は俺の保護がないと、一日たりとも生きられないのかサ?」

猫人が屋根から軽やかに飛び降り、トマの目の前に着地した。


「……猫」

トマは泥だらけの顔を上げ、気まずそうに目を逸らした。

「……悪かったな。お前の言う通り、ただの貝殻だったよ。俺の完全な負けだ。……助けてくれて、サンキュな」


素直に謝るトマの姿に、猫人はフンと鼻を鳴らした。

そして、泥水の中に落ちていた銀貨三枚を前足で器用に弾き飛ばし、トマの膝の上に乗せた。


「反省したなら、さっさと立つサ。俺の腹は、もう限界を超えて背中とくっつきそうだニャ。……特上の『白身魚のソテー』、きっちり奢ってもらうサ」


トマはポカンとした後、その顔にいつものニカッとした笑顔を咲かせた。


「……おう! 任せとけ! 港で一番美味い魚を食わせてやる!」


* * *


その夜。

港町にある小さな大衆食堂の片隅で、トマと猫人は一つのテーブルを囲んでいた。


「ほら、約束の魚だ! 骨は抜いてあるから食いやすいぞ」

トマが猫人の小皿に、香草とバターでこんがりと焼かれた立派な白身魚を取り分ける。


「……フン。焼き加減がいささか素人くさいが、素材の鮮度でカバーしているニャ。妥協して食べてやるサ」

口では文句を言いながらも、猫人は目を輝かせて魚に噛みつき、尻尾をゴキゲンに揺らしてあっという間に平らげてしまった。


「ははは! 食いっぷりがいいな。……俺の分も半分やるよ。たくさん食え」

トマは自分の皿にあった魚を、ためらいなく猫人の皿へと移した。トマ自身の夕食は、残ったソースをつけるための安くて固い黒パンだけだった。


「……おい。お前、それだけで足りるのかニャ?」

猫人が、少しだけ気まずそうに耳を伏せる。


「いいんだよ。今日の騒動は俺の責任だからな。お前が美味そうに食ってくれるなら、それで腹いっぱいさ」

トマは黒パンを齧りながら、窓の外で降り続く雨をぼんやりと眺めた。


「なあ、猫」

「なんニャ」

「俺、絶対にもっとでっかい商人になって、お前に毎日一番美味いもんを食わせてやるからな。……だから、これからも俺の『相棒』でいてくれよな」


トマの不器用で真っ直ぐな言葉。

猫人は、小さくため息をつき、残っていた魚の一切れを自分の口で咥えると、それをポイッとトマの黒パンの上に乗せた。


「……ニャ?」

「勘違いするなサ。腹がいっぱいになっただけだニャ。……そのふやけたパンだけじゃ、明日の馬車の運転も危なっかしいサ。しっかり食って、もっとマシな目利きができるように頭に栄養を回すことだニャ」


猫人はプイッとそっぽを向いてしまったが、その耳の先は少しだけ赤くなっていた。


「へへっ……ありがとな、相棒」


トマは貰った魚を大切そうに口に運び、この日一番の笑顔を見せた。

雨降る港町の片隅。

この小さな喧嘩と仲直りが、後に絶対の支配者ザガンの呪縛すらも打ち破る『最強の絆』の、確かな土台となっていくことを、二人はまだ知らない。

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