【File.09】魂の競売人と、名もなき猫の精算(8/8)
「さあ、清算の時間だサ、悪徳商人。……お前が数十年間に渡って溜め込んだ、他人の命と絶望のツケ。俺の『天秤』で、一括で支払ってもらうニャ!!」
因果の獣――ゼルギウスの咆哮が、王都の地下空洞を激しく揺るがした。
純白の神獣が放つ圧倒的な神気にあてられ、客席にいた仮面の貴族たちは「ひぃぃっ!」「バケモノだ!」と悲鳴を上げ、我先にと出口へ向かって逃げ惑い始めた。
『ふざけるな……! 私は闇の競売人、ザガンだ! 精霊の分際で、私に逆らえると思うなァッ!』
ザガンは完全に理性を失い、顔を醜く歪めながら、手元にあった『トマの寿命が詰まった水晶』を盾のように高く掲げた。
『動くな! これ以上近づけば、この水晶を粉々に砕くぞ! そうなれば、この商人の魂は永遠に消滅する! お前が契約で命を共有しているのなら、お前も道連れだ!!』
「……トマ」
ゼルギウスが、背後に立つトマを一瞥した。
トマは寿命を抜かれた影響で白髪が混じり、老婆のようにしわがれた顔になっていたが、その瞳だけはギラギラと燃え盛り、不敵に笑っていた。
「やれるもんならやってみろってんだ。……俺の相棒はな、そんなチンケな脅しに屈するほど安っぽいバケモノじゃねぇんだよ!」
「その通りだニャ」
ゼルギウスが、三つの尾を優雅に揺らした。
その額に輝く『黄金の天秤』の紋様が、眩い光を放つ。
「俺の天秤が計るのは『絶対の因果』サ。不当な商取引によって奪われた商品は、元の持ち主へ全額返還される。……それが、世界のルールだニャ!」
『ガッ……!? な、なんだこれは!?』
ザガンの悲鳴。彼が握りしめていた『トマの寿命水晶』が、ゼルギウスの魔力も触れていないのに、内側からパキパキとひび割れ始めたのだ。
因果の強制力。
トマの命は、彼自身の『魂の専属契約』によって、既にゼルギウスのものと完全に混ざり合っている。ザガンのような第三者が、不当に所有し続けられる道理がなかった。
パァァァァァンッ!!
水晶が粉々に砕け散り、中に封じ込められていた青白い『寿命の光』が、一直線にトマの胸へと吸い込まれていった。
「おおおっ……!」
トマの身体を包み込んでいた老婆のようなシワが急速に消え去り、白髪が元の活力ある茶髪へと戻っていく。破裂していた内臓の傷すらも、ゼルギウスと共有した膨大な生命力によって、瞬く間に塞がっていった。
『私の……私の担保がッ!!』
「他人の命を担保になんて、百年早いぜ。……さあルミ! お前も起きる時間だ!」
完全に活力を取り戻したトマは、腕の中に抱き抱えていた『ルミの封印水晶』に向かって力強く叫んだ。
トマの手から、ゼルギウスと共有した黄金の魔力が流れ込み、ルミを縛っていた黒い呪いの殻にヒビを入れる。
「……お兄、ちゃん……?」
水晶の中で眠っていたルミが、ゆっくりと目を開けた。
「怖い思いさせて悪かったな。もう大丈夫だ。……ここにある、ドス黒くて冷たい水晶全部、お前の特大のやつで綺麗に掃除してやってくれ!」
トマの言葉に、ルミは水晶の中から、会場中に並べられた「絶望の水晶」たちを見渡した。
何万人もの、泣いている魂。
「……うん。ルミ、みんなを助ける!」
ルミが、小さな両手を胸の前でギュッと組んだ。
そして、今までにないほど強く、真っ直ぐな祈りの言葉を紡ぎ出した。
「みーんなまとめて……痛いの痛いの、飛んでいけェェェッ!!」
カァァァァァァァァァァァァッ!!!!
ルミの封印水晶が内側から爆発的に砕け散り、同時に、ルミの純粋な魂から『極大の白銀の光』が、まるで太陽のフレアのように全方位へと放たれた。
『ギ、ギャアアアアッ!? 目が、私の目がァァッ!』
逃げ遅れていた貴族たちが、光を浴びて悲鳴を上げる。彼らが顔に被っていた「悪魔の仮面」が、光に焼かれてボロボロに崩れ落ち、彼らの醜い素顔が白日の下に晒されていく。
光の津波は、ステージの陳列棚に並べられていたすべての水晶を飲み込んだ。
パリンッ! パリンッ! パリーンッ!!
ドス黒い呪いの瘴気を纏っていた水晶たちが、ルミの浄化の光を浴びて次々と割れていく。
中から解放されたのは、長年閉じ込められ、すり潰されていた『名もなき人々の魂(寿命と感情)』だった。
浄化され、本来の温かい色を取り戻した魂の光たちは、空中で嬉しそうにクルクルと舞い踊った後、それぞれの「本来の持ち主」の元へ還るべく、天井をすり抜けて王都の空へと飛んでいった。
『ア……アァァ……! 私の商品が! 私の、数十年のコレクションがァァァッ!!』
ザガンは、空へ消えていく何万もの魂の光に向かって、狂ったように手を伸ばした。
だが。
「……お前には、まだ支払ってもらっていない『ツケ』が残っているサ、ザガン」
ゼルギウスの冷酷な声が響く。
すべての魂が浄化され、天に昇っていったわけではなかった。
水晶から解放された魂たちが置いていった、彼らが味わった『絶望』『苦痛』『恐怖』という、純粋な『呪いの残滓』だけが、ドス黒い泥の津波となって、ステージの底に残り、渦巻いていたのだ。
その呪いの泥たちは、意志を持ったように一斉に『一つの方向』を向いた。
自分たちを何十年も閉じ込め、売り捌き、弄んできたすべての元凶――ザガンへ。
『な……なんだ、お前たちは。来るな、私に近づくな! 私はお前たちの所有者だぞ!!』
ザガンが恐怖に顔を引き攣らせて後ずさるが、逃げ場はなかった。
「痛い」「苦しい」「返して」
何万という怨念の泥が、巨大な手となってザガンの足首を掴み、その身体にまとわりついた。
『ギャアアアアアアアアッ!?』
「人間を弄び、因果を狂わせた代償サ。……お前が愛した『絶望の水晶』の中で、永遠に自分の罪と向き合うがいいニャ」
ゼルギウスが天秤の光を降らせると、ザガンに群がった呪いの泥が急速に結晶化を始めた。
ザガンは、自分自身が売買してきた数万人の呪いと絶望に全身を喰い破られながら、巨大な、そしてどこまでもドス黒く濁った『一つの巨大な水晶』の中へと、生きたまま封じ込められてしまったのである。
コツン……。
静まり返ったステージに、ザガンを閉じ込めた巨大な黒い水晶が転がった。
その中からは、かつての被害者たちと同じように、ザガンの「出してくれ! 痛い、熱い!」という永遠の悲鳴が、微かに、そして無様に響き続けていた。
「大商談、俺たちの完全勝利だな」
トマが、額の汗を拭いながら、その水晶を見下ろしてニカッと笑った。
ドドドドドォォォォンッ!!
その直後、王都の地下空洞が激しい地鳴りと共に崩壊を始めた。
ザガンという主を失い、さらにルミの浄化の光とゼルギウスの神気が暴走したことで、この空間を維持していた結界が完全に崩れ去ったのだ。天井から巨大な瓦礫が次々と降り注ぐ。
「おっと、長居は無用だ! ずらかるぞ、相棒!」
「掴まれ、トマ! ルミ!」
トマはルミを小脇に抱え、ゼルギウスの巨大な純白の背中へと飛び乗った。
ゼルギウスは力強く地を蹴り、崩れゆくオークション会場を後にして、地上へ続く巨大な縦穴(廃棄孔)の壁面を、弾丸のような速度で駆け上がっていった。
「うおぉぉぉぉっ!!」
「きゃあぁぁぁっ!!」
風を切り裂き、瓦礫を躱し、果てしない暗闇を上へ、上へと駆け抜ける。
やがて、頭上に微かな「光」が見えた。
「突破するサ!!」
ドッゴォォォォォンッ!!!!
王都の裏路地の石畳を派手に吹き飛ばし、巨大な純白の獣が、ついに地上へと躍り出た。
* * *
「はぁ……はぁ……っ」
王都の高台にある、人気のない公園。
トマは大の字になって芝生の上に倒れ込み、荒い息を吐いていた。その隣では、ルミが疲れ切ってトマの腕を抱き枕にするようにしてスヤスヤと眠りについている。
「……」
ポワァァ……と、眩い光が収束していく。
神獣【真理の天秤・ゼルギウス】としての強大な姿を維持していた光が弾け、後には、いつもの皮肉屋で、小さな黒猫の姿がぽつんと残された。
数十年ぶりに本来の力を解放し、トマの寿命を回復させたことで、魔力を完全に使い果たしてしまったのだ。
「……フン。結局、またこのちっぽけな身体に逆戻りだニャ」
猫人は、自分の小さな肉球を見つめながら、自嘲するように小さく笑った。
ザガンの契約書は破壊され、呪縛は解けた。だが、代わりに彼は、トマという人間の魂と『一蓮托生』の契約を結んでしまったのだ。トマの魔力キャパシティに合わせて、日常はこの黒猫の姿で過ごすことになるだろう。
空が、白み始めていた。
王都アイギスの城壁の向こうから、眩い朝陽が昇り、彼らの血と泥に汚れた身体を優しく照らし出す。
「……なあ、トマ」
猫人は、大の字で空を見上げているトマに向かって、ポツリと呟いた。
「あの『魂の専属契約』の魔法。……お前の家系に伝わる、一生に一度しか使えない、一番大事な切り札だったんだろう? 相手と命を共有し、運命を縛り付ける、究極の魔法サ」
「……ああ、そうだよ」
トマは目を閉じたまま、穏やかに答えた。
「そんな大事なものを……どうして俺なんかに使ったニャ」
猫人の声は、微かに震えていた。
「俺は、お前に富をもたらす幸運の精霊なんかじゃないサ。名前を奪われ、呪いにまみれた、ただの薄汚いバケモノだニャ。……一生に一度の契約を、俺みたいな名もなきバケモノに使っちまって……後悔してないのかサ?」
朝の冷たい風が、公園の木々を揺らす。
トマは、ゆっくりと上半身を起こした。そして、目の前で不安そうに耳を伏せている小さな黒猫の頭に、大きな手をポンと乗せた。
「……馬鹿野郎」
トマは、朝陽を背に受けて、今までで一番優しく、そして誇らしげな笑顔を向けた。
「俺は『名もなきバケモノ』に命を預けた覚えはねぇぞ。……俺が契約したのは、雨の日からずっと俺の不運に付き合ってくれた、最高に口の悪い、俺のたった一人の【相棒】だ」
「……トマ」
「それに、お前の名前が『真理の天秤』だのなんだの、そんな堅苦しいもんはどうでもいい。……俺にとってのお前は、これからもずっと『猫』だ。それで十分だろ?」
トマの言葉に。
猫人は、金色の瞳からポロリと一粒だけ涙をこぼし、そして、照れ隠しのようにフンと鼻を鳴らした。
「……本当に、救いようのない三流商人だニャ。……俺と命を共有したんだ、これからはもっとキリキリ働いて、美味い魚を毎日貢いでもらうサ。覚悟しておくことだニャ、相棒」
「はははっ! 望むところだ! よーし、ルミも起きたか! 街を出るぞ!」
目を覚ましたルミが「お兄ちゃん、猫さん、おはよー!」と二人に抱きつく。
トマはルミを肩車し、猫人を頭の上に乗せて、朝陽に輝く王都の街道へと歩き出した。
王都の地下に巣食っていた巨大な闇は、三人の旅人によって完全に討ち払われた。
失われた寿命は持ち主へ還り、囚われていた魂たちは自由を取り戻した。
『さあ、次はどこの街で一儲けしてやろうかな!』
『まずはまともな飯を食わせろニャ。俺の胃袋は限界だサ』
『ルミね、またふわふわのパンが食べたい!』
絶え間ない笑い声と共に、一台の荷馬車が、新たな大陸へ向けて城門を出発していく。
彼らの行く先には、まだ見ぬ未知の世界と、数え切れないほどの『商談』が待ち受けているだろう。
だが、もう何も恐れることはない。
絶対に諦めない商人と、光の少女と、そして命すらも分かち合った無敵の『相棒』が、ずっと共にいるのだから。
風が吹き抜け、馬車の轍が、どこまでも続く未来へと真っ直ぐに伸びていった。
(第一章 完)




