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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと
商人と猫

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【File.08】偽りの聖女と、小さな癒し手(4/5)

「どけ! 邪魔だ、この薄汚い豚共ォッ!」


大聖堂前広場は、完全に地獄と化していた。

解毒の煙によって麻痺毒の洗脳から解き放たれ、本来の激痛と「騙されていた」という絶望を思い知らされた信者たちが、怒り狂った暴徒となってバルコニーへと押し寄せていたのだ。

エララと護衛のザリウスは、血走った目で襲いかかってくる民衆を容赦なく剣で斬り捨て、蹴り落としながら、教会の奥深くへと逃げ込んでいた。


「ハァッ、ハァッ……! クソッ、あの行商人め! 殺してやる、絶対に殺してやるわ!」


純白のドレスを泥と血で汚したエララは、もはや聖女の面影など微塵もない、醜悪な夜叉のような顔で呪詛を吐き捨てた。

二人が逃げ込んだのは、大聖堂の地下深くにある『隠し金庫』だ。そこは、信者たちから巻き上げた莫大な金貨と、麻痺毒の原料である禁忌の薬草『忘却の睡蓮』の抽出液が大量に保管されている、エララたちの「悪徳の心臓部」だった。


「聖女様、もはやこの街に未練を残してはなりません! 裏口の地下水路からボートで脱出します。急いで金貨の袋を!」


ザリウスが血塗れの長剣を鞘に納めながら、慌てて金庫の扉を閉めて内鍵をかけた。外からは、暴徒たちが扉を叩き割ろうとする激しい音が響いている。

ドォン! ドォン! 「エララ! 出てこい! 体を返せェェッ!」


「分かっているわよ! これだけ……この大金貨の袋だけは全部持っていくわ! 私の才能の結晶なんだから!」


エララは爪が割れるのも構わず、山のように積まれた金貨の袋を次々と引っ張り出した。だが、あまりにも欲張ったせいで、革袋の一つが破れ、チャリンチャリンと大量の金貨が床に散らばってしまった。


「ああッ! 私の黄金が!」

エララは床に這いつくばり、狂ったように金貨を拾い集め始めた。


「聖女様、そんなものを拾っている暇はありません! 早く!」

「うるさい! これがないと王都で豪邸が建てられないじゃない! お前も拾いなさい!」


エララの狂気に満ちた命令に、ザリウスは舌打ちをした。

「……チッ。欲ボケの女狐め。こうなったら仕方がない」


ザリウスの目に、冷酷な光が宿った。彼は拾うのを手伝うふりをしてエララの背後に近づくと、その細い首に向かって、鞘から抜いた短剣を振り下ろそうとしたのだ。

(この女を殺して、俺一人で身軽に逃げる! 金貨は俺の分だけで十分だ!)


だが、ザリウスの短剣がエララの首筋に届く直前。

床の金貨に映ったザリウスの影を見たエララが、ありえない速度で振り返った。


「……私の金に、私の命まで奪う気、この下働きがァッ!!」


エララの手には、先ほどまで拾っていた金貨の袋ではなく、護身用に隠し持っていた『毒塗りの短剣』が握られていた。

ズブッ!!

「ガッ……!?」


ザリウスの短剣が空を切るよりも早く、エララの刃がザリウスの脇腹に深々と突き刺さった。


「ゴホッ……! 貴様……!」

「馬鹿な男。お前が私を裏切るなんて、最初からお見通しよ!」


エララは狂気的な笑みを浮かべながら、短剣を引き抜いた。

ザリウスは血を吐きながら崩れ落ち、麻痺毒の原料が入った巨大なガラスの貯水槽に背中から激突した。

ガシャァァァァンッ!!


鈍い音と共に分厚いガラスが砕け散り、中に溜まっていた大量の『忘却の睡蓮の原液』が、決壊したダムのように地下室へと溢れ出した。

「ああッ!? 原液が! 私の商品がァァッ!!」


エララは悲鳴を上げたが、もう遅かった。

足首まで浸かるほどの紫がかった原液の海の中で、ザリウスはピクピクと痙攣しながら息絶えた。


「クソッ……! クソクソクソォォッ!!」


エララは原液まみれになったドレスを苛立たしげに引き裂き、残された金貨の袋を抱きしめた。

だが、その時。彼女の体に「異変」が起き始めた。


彼女の両手や足にべっとりと付着した『忘却の睡蓮の原液』が、ジュウジュウと不気味な音を立てて、彼女の皮膚を溶かしながら直接体内に侵入し始めたのだ。


「あ、アァッ!? なにこれ、熱い! 痛いぃぃッ!!」


『忘却の睡蓮』は、微量に薄めて使えば神経を麻痺させるだけの毒だ。

だが、これほどの「高濃度の原液」を直接浴びてしまえば、人間の細胞そのものを狂わせ、別の生物へと変異させてしまう強烈な呪いの劇薬だった。

おまけに、この空間にはエララの「黄金への凄まじい執着」と、外で扉を叩き割ろうとしている暴徒たちの「強烈な怨念」が充満している。


それらすべてが最悪の形で混ざり合い、エララを『怪異』へと変貌させる触媒となってしまったのだ。


「ギャアアアアッ! 顔が! 私の美しい顔がァァァッ!!」


エララの絶叫が地下室に響き渡る。

彼女の美しい銀髪は、ドロドロの黒い植物の『蔦』へと変異し、長く伸びて床を這い回り始めた。

陶器のように滑らかだった肌は、紫色に変色してボコボコと膨れ上がり、そこから睡蓮の毒々しい黒い花が次々と咲き乱れる。

そして、彼女が絶対に手放そうとしなかった大量の金貨が、溶けた彼女の皮膚の中へとズブズブと飲み込まれ、彼女の身体を装甲のように覆う『黄金の鱗』へと変わっていった。


「あ……ア、あガァ……! ワタシハ、せいじょ……ワタシハ、一番、ウツクシ、イ……!!」


骨の形が変わり、肉が膨張し、ドレスが引き裂かれる。

もはや人間の原型を留めていない巨大な肉と植物の融合体が、金庫の壁を圧迫し始めた。

その姿は、全身から猛毒の麻痺ガスを噴き出し、黄金の鱗で身を鎧った、巨大な『毒華のバケモノ』だった。


ドゴォォォォォォンッ!!!!


暴徒たちが金庫の扉を叩き割ったのと同時に、完全に怪異と化したエララが、地下室の天井を突き破り、大聖堂の一階へと巨大な植物の体を持ち上げた。


「な、なんだあれは!?」

「バケモノだ!! エララが、バケモノになったぞォォッ!!」


信者たちの怒りは、一瞬にして極限の「恐怖」へと塗り替えられた。

巨大な毒華のバケモノとなったエララは、かつて慈愛の笑みを浮かべていた(今は花弁の化け物と化した)口を大きく開き、耳をつんざくようなおぞましい咆哮を上げた。


『アアアアァァァァァッ!! ワタシノ、ワタシノカネヲ、カエセェェェッ!!』


バケモノの体から無数に伸びた黒い蔦が、逃げ惑う信者たちに次々と巻き付き、彼らの体を空中に吊るし上げる。蔦の先端にある棘が信者の体に突き刺さると、そこから強力な麻痺毒が注入され、彼らは悲鳴を上げる間もなく全身を硬直させられた。

エララは、自らを崇拝していた信者たちを「毒の養分」として次々と体内に取り込み、さらに巨大に、さらに醜悪に膨れ上がっていく。


「助けて! 聖女様、いやだ、喰わないでェェッ!!」


大聖堂は完全に崩壊し、美しいステンドグラスが粉々に砕け散る。

自らの強欲と毒に飲まれた「偽りの聖女」は、街全体を飲み込もうとする破滅の怪異となって顕現したのである。


* * *


「……おいおいおい、嘘だろ……?」


スラム街へと逃げ延びていた行商人のトマは、馬車を急停止させ、大通りから突き出た『それ』を見てポカンと口を開けた。


街の中心部、白亜の大聖堂があった場所から。

巨大な黒い植物の蔦と、黄金に輝くグロテスクな鱗を持ったバケモノが、街の建物を次々と破壊しながら暴れ狂っているのが見えたのだ。

バケモノが吐き出す紫色の毒霧が、空を不吉な色に染め上げていく。


「あ、あんなの……どうすりゃいいんだよ……! 街が、街が全部あいつに食われちまう!」


トマが恐怖で足の震えを抑えきれずにいると、荷台から猫人がピョンと彼の肩に飛び乗った。

猫人の金色に光る目は、暴れ狂う化け物を冷静に見据えている。


「……強欲が行き過ぎて、ついに毒薬そのものと同化しちまったかニャ。あそこまでデカい呪いの塊になっちまったら、もう人間の手じゃどうにもならないサ」


「どうにもならないって……じゃあ、この街の連中は全員死ぬのか!? 俺たちが焚きつけちまったせいで……!」

トマは自分の責任を感じ、顔を蒼白にして唇を噛んだ。


だが、猫人は首を横に振り、荷台の奥を顎でしゃくった。


「人間の手じゃあ無理だニャ。……『人間』じゃあ、な」


トマが振り返ると、そこには、先ほど処刑台から救い出されたばかりの小さな少女――ルミが、馬車から降りて、真っ直ぐに大聖堂の方角を見つめて立っていた。


「……ルミちゃん?」


ルミの額からはまだ血が流れており、裸足の足は泥だらけだ。

だが、あの処刑台で怯えて泣いていた小さな女の子の姿は、そこにはなかった。

彼女の大きな瞳は、暴れ狂う毒の化け物を一切の恐怖を抱かずに見据え、その両手からは、今まで見たこともないほど強烈で、暖かく、そして神聖な『純白の光』が、まるで太陽のように溢れ出し始めていたのだ。


「……痛い痛い、飛んでいけ」


ルミが小さく呟いたその瞬間。

彼女の周囲の地面から、淡い光を帯びた純白の花々が、一斉に咲き乱れ始めた。

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