【File.08】偽りの聖女と、小さな癒し手(3/5)
「おお……可哀想な迷える子羊よ。悪魔の囁きに耳を貸し、偽りの奇跡で人々をたぶらかした罪……。すべては、この浄化の炎が洗い流してくれるでしょう」
明後日と予告されていたはずの「魔女の処刑」は、エララの独断によって予定を早められ、翌日の昼、大聖堂前の広場で強行されていた。
広場の中央には高く薪が積まれ、その上の木の柱には、太い縄で縛り付けられた小さな少女――ルミの姿があった。
彼女の小さな素足は荒縄で擦り切れ、怯えきった瞳からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。
だが、広場を埋め尽くす何千というエララの信者たちからは、同情の声は一切上がらなかった。彼らの目は、麻痺毒の依存と狂信によって濁りきっており、「魔女を殺せ!」「私たちの聖女様を脅かす悪魔め!」と、口々にルミへ石や泥を投げつけていた。
「ちがう……ルミ、悪魔なんかじゃない……! ただ、痛い人を治したかっただけだもん……!」
飛んできた石が額に当たり、血を流しながらもルミは必死に首を振った。
だが、バルコニーから見下ろすエララは、冷酷な笑みを隠すようにハンカチで目元を押さえ、悲劇のヒロインを気取って信者たちに語りかけた。
「皆の者、怒りを鎮めなさい。この哀れな少女もまた、悪魔の被害者なのです。……ザリウス。彼女の魂がこれ以上穢れる前に、慈悲の炎を」
「はっ。エララ聖女様の御心のままに」
護衛騎士団長ザリウスが、赤々と燃える松明を掲げ、ルミの足元に積まれた薪へと冷酷に歩み寄る。
「いやっ……! 熱いのやだ! お母さん、お兄ちゃぁぁんっ!!」
ルミが絶望の悲鳴を上げた、まさにその時だった。
「待て待て待てェェッ!! 取引の途中で商品を燃やすなんて、とんだ悪徳商人だな、偽聖女サマよォ!!」
広場の静寂を切り裂くような大声と共に、群衆の最後尾から、猛スピードで突っ込んでくる一台の荷馬車があった。
「な、なんだ!?」
「どけ! 轢かれるぞ!」
パニックになった群衆がモーセの海のように割れる。その中央を駆け抜け、馬車は処刑台のギリギリ手前で派手な砂煙を上げて急停止した。
御者台から飛び降りたのは、鼻に絆創膏を貼った行商人のトマだ。
「き、貴様は昨日の行商人! なぜここにいる!」
「なんでって? そりゃあ『商品の仕入れ』に来たからに決まってんだろ」
トマはザリウスの怒鳴り声を鼻で笑い飛ばすと、荷台からドスン!と、巨大な木樽を三つ、広場のど真ん中へ蹴り落とした。
樽には、隣国の裏社会で使われる密輸用の黒い刻印がバッチリと刻まれている。
それを見た瞬間、バルコニーにいたエララと、ザリウスの顔色が劇的に青ざめた。
「な……ッ!? 貴様、それをどこで……!」
「どこでって、お前らの教会の地下倉庫だよ。……いやぁ、驚いたぜ? 『女神の涙』が湧き出るっていう神聖な泉があるのかと思ったら、ただの密輸品の山だったんだからな!」
トマは斧を取り出し、木樽の一つを力任せに叩き割った。
バシャァァッ!と、中から無色透明な液体が広場の大理石にぶちまけられる。それと同時に、周囲に「腐りかけの果実のような、甘ったるくも吐き気を催す悪臭」が充満した。
「嗅いでみろよ、あんたたち! これが、あんたたちが『奇跡の水』だってありがたがって飲んでたモノの正体だ!」
トマは群衆に向かって叫んだ。
「隣国の裏社会で流通してる『忘却の睡蓮』から抽出した、強力な神経麻痺の毒だ! こいつを飲めば、どんな痛みも一時的に麻痺して感じなくなる。……だがな、それは『治ってる』わけじゃねぇんだよ! 痛みが消えてる間に無理して動かしたあんたたちの体は、静かに、確実にぶっ壊れていってたんだ!」
トマの言葉に、群衆がざわめき始める。
「麻痺毒……?」「嘘だ、私の足は聖女様のおかげで……!」
「デタラメを言うなァッ!!」
バルコニーから、エララが金切り声を上げた。
「その薄汚い男は、魔女の仲間です! 私を陥れるために、どこかから毒を持ってきたのに違いありません! 騎士団よ、今すぐその男を殺しなさい!」
「へっ、言うと思ったぜ。……なら、証拠を見せてやるよ。俺の相棒が徹夜で作った『特製の特効薬』をな!」
トマはニヤリと笑い、懐から一つのガラス瓶を取り出した。
中には、猫人が調合した赤い粉末が詰まっている。トマはそれを、ザリウスが持っていた松明の火に向かって思い切り投げつけた。
パァァァンッ!!
ガラス瓶が割れ、赤い粉末が炎に触れた瞬間。
凄まじい勢いで「赤い煙」が爆発的に広がり、広場を埋め尽くす信者たちの頭上へと降り注いだ。
「ゲホッ、ゴホッ! なんだこの煙は!」
「くさい! 鼻が曲がる……ッ!」
「その煙はな、麻痺毒の成分を強制的に中和して消し飛ばす『解毒の煙』だ! さあ、本当の自分の体と向き合ってみな!!」
トマが叫んだ数秒後。
広場のあちこちから、この世の終わりかというような凄惨な悲鳴が上がり始めた。
「アギャアアアッ!? い、痛い! 足が、足が燃えるように痛いぃぃッ!」
昨日、エララに多額の寄付をして「痛風が治った」と喜んでいた豪商の男が、両足を抱えて床を転げ回り始めた。彼の足は、麻痺している間に無理に歩き回ったせいで、骨が砕け、ドス黒く壊死しかけていたのだ。
「ヒィィッ! 腰が! 私の腰の骨がァァッ!!」
「腕が動かない! 痛い、痛い痛い痛いッ!!」
煙を吸い込んだ信者たちは、次々とその場に崩れ落ちた。
麻痺毒によって無理やり抑え込まれていた「本来の激痛」と「悪化した怪我」が、何倍にも膨れ上がって彼らの脳を直接殴りつけたのだ。
奇跡の恩恵を受けていたはずの何百人もの信者たちが、自分の体がボロボロに壊れかけていたという『真実』を、極限の物理的苦痛をもって強制的に理解させられたのである。
「嘘だ……! 治ってなかった……! 私の全財産は、こんな毒水のために……!」
「騙したな! エララ! 私の金を、私の体を返せェェェッ!!」
信者たちのエララを見る目が、「狂信」から「強烈な憎悪と殺意」へと裏返るのに、時間はかからなかった。
怒り狂った群衆が、バルコニーへと殺到し始める。
「ひ、ヒィッ……! 来ないで! 私に近づくな、この汚い豚共ォッ!!」
エララは優雅な聖女の仮面を完全にかなぐり捨て、醜く顔を歪めながら後ずさった。
「ザリウス! 何をしているの、早くこいつらを斬り捨てなさい! 私を守りなさい!!」
「ち、近づくなら斬るぞ!」
ザリウスと騎士たちが剣を抜いて群衆を威嚇するが、騙され、体を壊された民衆の怒りの濁流は、数十人の騎士程度で止められるものではなかった。
その大混乱の隙を突き、処刑台の背後にある教会の屋根から、一つの影が音もなく舞い降りた。
「……フン。人間ってのは、痛い目を見ないと真実から目を逸らす生き物だニャ」
鋭い爪で、ルミを縛っていた荒縄を一瞬で切り裂き、その小さな体を軽々と抱きとめたのは、黒いフードを被った猫人だった。
「あ……猫さん……?」
「よく頑張ったニャ、小娘。もう泣かなくていいサ」
猫人はルミを抱きかかえたまま、処刑台からトマの馬車の荷台へと身軽に飛び乗った。
「トマ! 小娘は回収したサ! ずらかるぞ!」
「おうよ! 大商談、見事に成立だぜ!」
トマはニッと笑い、御者台に飛び乗って手綱を引いた。
怒り狂う暴徒と化した信者たちに完全に包囲され、絶望の悲鳴を上げるエララとザリウス。
彼らの築き上げた「偽りの奇跡」の帝国は、たった一個の解毒の煙によって、完膚なきまでに崩壊したのである。
「エララァァッ! ぶっ殺してやるゥゥッ!」
「いやあああぁぁぁっ! 助けて! 私の金が! 栄光がぁぁっ!!」
断末魔のようなエララの叫びを背中で聞きながら、トマの馬車は、混乱を極める大聖堂前広場から疾風のように走り去っていった。
だが、この時トマたちはまだ知らなかった。
追い詰められた「偽りの聖女」が、その醜い執念の果てに、本当の『悪魔の力』に手を染めることになろうとは――。




