【File.07】未開地の悪徳地主(4/5)
「ギャアアアアッ! 放せ! 汚い手で私に触るなァァァッ!!」
ガルドは発狂したように叫びながら、反対の足でダンの腕を何度も蹴りつけた。
しかし、特注の硬い革靴で蹴り上げているはずなのに、ダンの泥の腕は微動だにしない。それどころか、蹴りつけるたびにガルドの革靴の方が嫌な音を立ててひび割れ、表面がドロドロに溶け出していく。
見下ろすと、頭の半分が砕けたダンが、泥水に塗れた顔をゆっくりと上げ、濁りきった虚ろな目でガルドを真っ直ぐに見据えていた。
『……ヤクソク……ダ……』
ダンの砕けた口から、泥水がゴボッ、ゴボボッと不気味な音を立てて溢れ出す。
『……オマエモ……コノドロノナカデ……イキテミロ……』
その言葉を合図にするかのように、ガルドの足元から、黒い泥の沼がまるで明確な殺意を持った生き物のように這い上がってきた。
両足の高級なブーツがあっという間に泥に飲まれて完全に溶け落ち、ガルドの素足の皮膚に、冷たく腐った泥が直接へばりつく。
「ヒィィッ! 冷たいッ! なんだこの泥は!? 離れろ、私から離れろォォッ!」
ただの物理的な冷たさではなかった。
泥が肌に直接触れたその瞬間、ガルドの脳髄に、言語を絶する『強烈な幻覚と苦痛』が強制的に叩き込まれたのだ。
——ピシャァァンッ!
「アガァッ!?」
ガルドは背中に焼け付くような痛みを感じ、のけぞった。実際に鞭で打たれたわけではない。だが、彼の脳と神経は「鋭い鞭で背中の肉を裂かれた」という痛覚を完璧に錯覚していた。
それは、彼がかつてノルマを達成できなかった農夫に与えた罰だった。
さらに、彼の全身の血液が凍りつくような、極限の「寒さ」が襲いかかってきた。真冬の吹雪の中、暖炉の火も与えられず、薄いボロ布一枚で一晩中畑を耕させられる、あの凍えるような寒さだ。指先の感覚が失われ、肺に吸い込む空気が刃物のように内臓を切り裂く。
「あ、アァァァッ!? 痛い、寒い! お腹が、お腹が空いたぁぁッ!」
ガルドは錯乱して叫んだ。寒さだけではない。何日もまともな食事を摂れず、空っぽの胃袋が自らの胃液でただれ、雑巾のように固く絞り上げられる極限の飢餓感が、彼の豊満な腹を内側から食い破るように襲ってきた。
それは、彼が今まで開拓民たちに強要し、薄ら笑いを浮かべながら見物してきた「日常的な痛み」そのものだった。
この泥は、無数の犠牲者たちが流してきた血と涙、飢えと苦しみ、そして「なぜ自分たちだけがこんな目に遭わなければならないのか」という絶望が凝縮された、純度百パーセントの『呪いの結晶』だったのだ。それが皮膚を通して、ガルドの神経を直接焼き切り、彼らを苛んできたのと同じ苦痛を何十倍にも増幅して味わわせていた。
『……モット……シボリトッテヤル……』
『……オマエノ……ゼイニクヲ……ホネヲ……タマシイヲ……』
亡者たちが次々とガルドに群がり、その贅肉のついた腕や肩、首筋に、冷たい泥の手を深々と沈め込んでいく。
「痛い! 痛い痛い痛いッ! やめろ……やめてくれ!」
ガルドは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に泥の床を掻きむしって逃れようとした。だが、彼の太い指は泥を空しく掻き分けるだけで、何の抵抗にもならない。
「金ならある! 王都の屋敷も、隠し財産も、宝石も! 全部お前たちにやるから! 借金も帳消しにしてやる! だから許してくれ! 私は死にたくない、こんな泥臭い辺境で死にたくないんだァァッ!」
ガルドは泣き叫びながら、自らの命を買い戻そうと懇願した。権力者としてのプライドなどとうに消え失せ、ただの哀れな肉の塊として命乞いをする。
だが、ダンは静かに首を横に振った。
『……オマエノカネナド……コノ森ニハ、イラナイ……』
ダンの泥の指が、ガルドの頬に食い込む。
『……オマエノカネデハ、ムギハイッポンモソダタナイ……。……オマエノ、ドロガ、ホシイ……。コノトチヲウルオスカテトナレ……』
泥はガルドの腰から胸へ、そして喉元へと容赦なく水位を上げていく。
彼はもがけばもがくほど、泥沼の底へと深く、深く引きずり込まれていく。
彼が自分の富と権力の象徴として建てた、周囲の貧しい村を見下ろすための「純白の豪邸」。それは今や、彼自身を誰の目にも触れさせずに底なしの泥へ沈めるためだけの、『巨大な棺桶』へと完全に変貌していた。
「だず……げ……! ど、泥は……いや……息が、息ができないッ! アガボォッ!!」
大きく開かれたガルドの口の中に、ダンの腕が強引に突っ込まれた。
その瞬間、冷たく腐った泥水が、ガルドの喉の奥へと一気に流れ込んできた。
彼が今まで、開拓民たちに「これでも飲んでおけ」と嘲笑いながら与え続けてきた、あの不衛生で泥だらけのすすり水だ。
「ガ、ゴボッ……! ギ……ィィッ……!」
肺が泥で完全に満たされ、呼吸が封じられる。眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、ガルドの全身が痙攣を始めた。
酸素を求める本能が彼を暴れさせるが、何十人もの亡者たちの重い手が彼を四方八方から押さえつけ、さらに深く、光の届かない泥の深淵へと引きずり込んでいく。
ドボォンッ……。
ひときわ重い音を立てて、ガルドの体が完全に泥沼の底へと姿を消した。
もがき苦しむ振動が数秒だけ泥の表面を波立たせ、ボコッ、ボコッと大きな気泡をいくつか浮かび上がらせたが、やがてそれも静まった。
ガルドが完全に沈んだのを確認すると、泥の亡者たちもまた、自らの役目を終えたかのように、音もなく泥の沼へと溶けて消えていった。
屋敷中の壁や柱を覆っていた黒い根が、凄まじい力で内側へ収縮を始める。
ミシミシミシッ、ゴシャァァァァァァンッ!!
ガルドが莫大な富をつぎ込んで作らせた豪邸が、自重と根の圧力に耐えきれず、完全に泥沼へと崩れ落ち、飲み込まれていく。
王都の貴族を気取り、他人を泥虫と見下し、搾取し続けた傲慢な男は。
自分自身が永遠に息絶えることすら許されない「泥の一部」となって、最も忌み嫌った辺境の地の底深くへと、文字通り沈んでいった。彼が奪った命の数だけ、終わることのない飢えと寒さの幻覚を、永遠にその泥の中で味わい続けながら。
広大な泥沼の中には、ブクブクと湧き上がる気泡の音と、太い根が大地の奥深くへと伸びていく軋み音だけが、この土地の新たな主の誕生を祝うかのように、静かに響き続けていた。




