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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと


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【File.07】未開地の悪徳地主(2/5)

「おい、大丈夫か!?」


トマは馬車を止めると、御者台から飛び降りて泥水の中に膝をついた。

泣き崩れるダンの妻――アリスの前に屈み込み、優しくその肩に手を置く。アリスは涙と泥で汚れた顔を上げ、怯えたような、しかし藁にもすがるような目でトマを見つめた。


「あ、あなた……旅の、商人さん……? お願い、助けて……! 主人が、ダンがガルド様の私兵たちに連れ去られて、魔物の棲む森の奥へ捨てられてしまったの……! 今すぐ追いかけないと、ダンが、あの子の父親が殺されてしまう……!」


アリスの手元では、まだ五歳にも満たない小さな娘のリリが、寒さと恐怖でガタガタと震えながら、母親のスカートをぎゅっと握りしめていた。その小さな靴も、すでに冷たい泥水にどっぷりと浸かっている。


「なんだって……!? 森に捨てるなんて、そんなのただの殺人じゃないか!」


トマは怒りで顔を真っ赤にし、村の丘の上に建つガルドの純白の屋敷を睨みつけた。

だが、そんなトマの背後から、猫人がフードを被り直しながら、冷淡に声をかける。


「無駄だニャ、トマ。……人間が森の奥へ入ってから、もう何時間も経ってるサ。雨上がりの森は魔物の動きが活発になる。……今から素人の開拓民や、ただの商人が追いかけたところで、魔物の胃袋の中に飛び込むのがオチだニャ」


「じゃあ、このまま見殺しにしろって言うのかよ!?」


「見殺しも何も、すでに終わったことだサ。……それに」


猫人は馬車からしなやかに飛び降りると、ぬかるんだ地面に肉球をペタリとつけた。その瞬間、彼の金色に光る縦瞳孔が、さらに細く鋭くなる。


「……もう、森の魔物どころじゃないニャ。この土地の底から、とんでもない『重たい怒り』が首をもたげ始めてるサ。……おい、そこの女」


猫人はアリスをじっと見つめた。


「今夜、あの丘の上の白い屋敷には、絶対に近づいちゃいけないニャ。それどころか、村の連中を全員集めて、できるだけ地面が固くて、根が深く張った大木の周りに避難するサ。……泥に足を取られて、土の底へ引きずり込まれたくなければニャ」


「え……? 土の、底……?」


アリスは猫人の放つ異様な威圧感に、涙を止めて呆然とした。

トマは猫人が本気で警告しているのを察し、それ以上は何も言わず、荷台から厚手の毛布と、昼間に仕入れたばかりの干し肉の包みを取り出した。それをアリスとリリの肩に優しく掛け、手渡す。


「これを持っていきな。お代はいらない。……今は、あの猫の言う通りにしてくれ。俺たちも、少し様子を見てみるから」


「あ、ありがとう……ございます……」


アリスは毛布に包まりながら、娘を抱きしめて村の集会所の方へと足早に去っていった。

トマは彼女たちの背中を見送った後、再び丘の上の豪華な屋敷を見上げた。


「……なぁ。今夜、あの屋敷で何が起きるんだ?」


「……『精算』サ。それも、この土地が始まって以来の、一番泥臭くて残酷な精算だニャ」


猫人はそう呟くと、ふいっぽ歩き出し、村の外れの安全な高台へと馬車を誘導し始めた。


* * *


その頃、丘の上の『純白の豪邸』。


「ふははは! 美味い! やはり王都から取り寄せた最高級のワインは格別だな!」


大きな食堂の長テーブルの席で、地主のガルドは、上質な羊肉のステーキを口に放り込みながら、豪快に笑声を上げていた。

彼の周囲には、暖炉の暖かい火が燃え盛り、贅を尽くした調度品が並んでいる。外の冷たい雨や、開拓民たちの飢えなど、この部屋の主には一切関係のないことだった。


「ガルド様。ダンの奴は、予定通り森の最深部、ゴブリンの巣の近くへ放り込んできました。今頃はもう、骨も残っていないでしょう」


私兵の隊長が、にやにやと笑いながら報告する。


「うむ、苦労をかけたな。見せしめとしては上出来だ。あの泥虫どもめ、これでしばらくは大人しく税を払うだろう。払えなければ、次々と森へ間引きしてやればいい」


ガルドは満足げにグラスを傾けた。

彼にとって、開拓民は人間ではない。この土地から金を絞り出すための、ただの家畜だった。


だが、その時だった。


ペタ……、ペタ……。


誰もいないはずの、食堂の入り口から、濡れた何かが床を這うような、奇妙な音が響いた。


「ん……? 何の音だ?」


ガルドが眉をひそめて振り返る。

そこには、王都から職人を呼んで磨き上げさせたばかりの、美しい純白の大理石の床が広がっていた。

しかし。

その真っ白な床の上に、入り口からガルドのテーブルに向かって、黒い『泥の足跡』が、点々と続いているのが見えた。


「おい! 誰だ、私の屋敷に泥足で入ってきた不届き者は! 私兵どもはどうした!」


ガルドは不快そうに怒鳴り散らした。

だが、その足跡は、誰かが歩いてつけたような形ではなかった。まるで、大理石の床そのものが内側から腐り、泥を吐き出しているかのように、じわじわと黒いシミが広がっているのだ。


「す、すみませんガルド様! すぐに掃除させます!」


慌てて駆け寄ってきた使用人の女が、雑巾で床の泥を力任せに拭き取ろうとした。

だが、不思議なことに、どれだけ擦っても泥は落ちない。それどころか、雑巾が床に触れた瞬間、ジュウッと嫌な音がして、大理石の表面がまるで酸を浴びたようにドロドロに溶け始めたのだ。


「ひっ……!? ゆ、床が……!」


「何をのろのろしている、無能め! どけ!」


ガルドは立ち上がり、使用人を蹴飛ばして自ら床を覗き込んだ。

その瞬間、ガルドの鼻腔に、むせ返るような強烈な『腐葉土とドブの匂い』が突き刺さった。


さらに、異変は床だけにとどまらなかった。


ミシッ……、メリメリメリ……。


豪華な壁紙で飾られた、純白の壁の隙間から。

まるで蛇のようにのたうち回る、太く黒い植物の『根』が、 メリメリと音を立てて内側から突き破り、姿を現したのだ。その根は、まるで生き物のようにゆっくりと蠢きながら、壁を伝って天井へと這い上がっていく。


「な、なんだこれは……! 植物の根だと!? この屋敷の基礎は、すべて強固な石造りのはずだぞ!」


ガルドは信じられないものを見る目で、壁を侵食していく黒い根を見つめた。

彼が「汚らわしい」と忌み嫌い、徹底的に排除してきたはずの辺境の『泥』と『森の侵食』。

それが今、彼の絶対に安全であるはずの牙城の内側から、静かに、しかし確実に、その触手を伸ばし始めていた。


窓の外では、完全に雨が上がったはずなのに、なぜか地響きのような、不気味な地鳴りの音が、大地の底からゴロゴロと鳴り響き始めていた――。

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