【File.06】盗作された吟遊詩人(2/5)
「……っ、すっげぇ……。なんて良い歌なんだ。俺、不覚にも泣いちまったぜ」
熱狂と拍手が渦巻く『黄金の竪琴亭』の最後列。
壁際の立ち見席で、行商人の青年トマは、マントの袖で両目から溢れる涙をグシグシと乱暴に拭っていた。
「あんな綺麗な歌、生まれて初めて聴いたよ。王都の奴らが大金払ってでも聴きにくる理由がわかるぜ。……なぁ、お前もそう思うだろ?」
鼻をすするトマが隣を振り返ると、フードを深く被った猫人は、感動するどころか、ひどく不快そうに両耳をペタンと伏せ、金色に光る縦瞳孔の目で舞台上のライルを睨みつけていた。
「……耳が腐るニャ」
「はあ!? お前、あの歌の良さが分からねぇのか? 芸術のゲの字も……」
「分かってないのはお前の方だニャ、三流バカ商人」
猫人は、吐き捨てるように低く唸った。
「たしかに『歌そのもの』は一級品だ。……だが、あの金髪の小僧の口から出てる音には、魂の重さがミリグラムも乗ってないのサ」
「魂の重さ?」
「そうだニャ。あの歌の歌詞……過酷な旅の果てに愛する者を喪い、それでも星に祈るっていう、血を吐くような絶望と祈りの歌だろ。……なのに、あの小僧の声からは『他人にチヤホヤされて気持ちいい』っていう、安っぽい自己顕示欲の匂いしかしないニャ。……あんなの、他人の血で書かれたラブレターを、意味も分からず朗読してるのと同じだサ」
猫人の鋭い指摘に、トマはポカンと口を開けた。
言われてみれば、ライルが歌い上げる悲劇的な歌詞と、彼が時折客席に向ける「どうだ、俺は美しいだろう?」と言わんばかりの陶酔したウインクには、致命的なアンバランスさがあった。
「それに……」
猫人は、鼻をヒクヒクと動かした。
「あの小僧が持ってる立派なリュート。……あの一番太い弦から、ひどく生臭い『血と雪の匂い』がするニャ。……さらに厄介なことに、あの『歌の旋律』自体がヤバいサ」
「旋律がヤバいって、どういうことだよ?」
「あの歌は、ただの叙事詩じゃない。もっと古くて、恐ろしい……地の底に眠る『絶対に起こしちゃいけないモノ』を共鳴させるための、古代の『鍵(呪歌)』だニャ」
猫人は、険しい目で舞台上のライルを見据えた。
「本来の持ち主は、そのヤバさを知っていて、人里離れた雪山で、決して『モノ』が目覚めないように、静かに魂を込めて鎮魂歌として歌っていたはずだニャ。……それをあのバカ小僧は、何も知らずに王都のど真ん中で、何百人もの前でメガホンを使って叫んでるようなもんサ」
トマは青ざめ、舞台の上で喝采を浴びるライルと、猫人を交互に見比べた。
「じゃ、じゃあ……何かヤバいことが起きる前に、アイツを止めるとか、あのリュートを預かるとか……」
「やめておくニャ」
猫人はきっぱりと言い切り、くるりと背を向けて酒場の出口へと歩き出した。
「お前は人が良すぎるのサ、トマ。……俺たちが手を差し伸べるのは、理不尽に踏み躙られて泥水の中で足掻いてる『本物』だけだ。他人のものを盗んで肥え太った豚が、自分で呼び覚ましたバケモノに食われるのを邪魔する義理はないニャ」
「う……」
「行くぞ。……すでに王都の地下深くで、巨大な『耳』が開き始めてるサ」
猫人のその言葉に、トマは背筋に冷たいものを感じ、もう一度だけ舞台を振り返った。
光り輝くスポットライトの中、満面の笑みで歓声に応えるライル。だが、トマの目には、彼の足元に広がる影が、異常なほど深く、そして泥のように黒く沈み込んでいるように見えた。
* * *
「はぁ……。今夜の熱狂も最高だったな。私の才能が恐ろしいよ」
舞台を終え、豪華な個室の控室に戻ったライルは、ビロードのソファに深く腰掛け、高価なワインをグラスに注いだ。
机の上には、貴族の令嬢たちから贈られた宝石や恋文が山のように積まれている。
「ふふっ。あの老いぼれのジジイも、雪山で野垂れ死んだ甲斐があったというものだ。この私が、あのカビ臭い歌を至高の芸術にしてやったのだからな」
ライルはワイングラスを傾けながら、明日の王城での特別公演に向けて、もう一度だけ喉の調子を確かめようとリュートを手に取った。
彼が、『星巡りの叙事詩』のクライマックスの和音を、ひときわ大きく、そして傲慢に掻き鳴らした、その瞬間だった。
——ブゥゥゥゥゥゥンッ……!!
部屋の空気が、突如として奇妙な振動を起こした。
「え……?」
グラスの中の赤ワインが、まるで沸騰したように細かく波打ち、次の瞬間、パリンッ!と音を立てて粉々に弾け飛んだ。
「な、なんだ!? 地震か!?」
ライルが慌てて立ち上がった時、控室の『空間』そのものが歪み始めた。
豪華な壁紙がドロドロと溶け落ち、床の絨毯が幾何学模様のようにねじれ上がる。そして、部屋の隅の暗がりから、人間の形をしていない『巨大な異形』がヌルリと姿を現した。
それは、無数の真鍮のパイプと、ピアノ線のような銀色の糸が複雑に絡み合った、巨大な楽器のような姿をしていた。そして、その中心には、感情の一切ない『巨大な単眼』が、瞬きもせずにライルを見下ろしていた。
『……アァ……ヨクゾ……ワタシヲ、ヨビサマシタ……』
頭の中に直接響く、パイプオルガンの不協和音のようなおぞましい声。
「ヒッ……!? ば、化け物……! お前、一体何なんだ!!」
腰を抜かしたライルが後ずさる。
異形の化け物は、ゆっくりと、その無数のパイプを震わせて「歓喜の音」を鳴らした。
『……ワタシハ、深淵ノミューズ(音楽の神)。センネンノ眠リニツイテイタガ……オマエガ、王都ノ中心デ「目覚メノ呪歌」ヲ大キナ声デ歌ッテクレタオカゲデ……ヤット、地上ノ音ヲ聞クコトガデキタ……』
「深淵の、ミューズ……?」
ライルはガタガタと震えながら、あの雪山の老詩人の顔を思い出した。
(まさか、あの歌は……ただの詩じゃなかったのか!? こんな化け物を封印しておくための、あるいは呼び覚ますための、呪いの歌だったというのか……!)
『……サア、褒美ヲトラスゾ。ワタシヲ呼ビ覚マシタ、偉大ナル芸術家ヨ。オマエノ魂ノ重サヲ、ソノ「歌ノ真実」ヲ、ワタシニ食ワセテミセロ……』
異形の触手が、ライルの胸ぐらを掴み、軽々と宙に吊り上げた。
化け物の巨大な単眼が、ライルの瞳の奥底――彼の『魂』を覗き込む。
『……ドレ……オマエノ、芸術ノ深サハ…………ん?』
次の瞬間、化け物のパイプから発せられていた歓喜の和音が、ピタリと止まった。
『……カラッポ、ダナ』
化け物の声から、明らかな「失望」と「怒り」が混じったような、低いノイズが漏れた。
『オマエノ魂ニハ、ナニモナイ。絶望モ、祈リモ、愛モナイ。……コレハ、オマエノ歌デハナイナ? 他人ノ血ト人生ヲ、タダ表面ダケ綺麗ニなぞッテイルダケノ……中身ノナイ、空ッポノ筒ダ』
「あ、あがっ……ちがう、私は天才で……!」
『……不愉快ダ。神聖ナル目覚メノ歌ヲ、コンナ空ッポノ偽物ガ歌ッテイタトハ』
深淵のミューズは、ライルをまるで不良品のゴミでも見るかのように冷たく見つめた。
そして、無数の銀色の糸(弦)を、ライルの手足に向けてスルスルと伸ばし始めた。
『……ダガ、空ッポノ箱ハ「共鳴胴」トシテハ優レテイル。……ワタシガ、オマエノ体ヲ中身カラ全テくり抜イテ……最高ノ「楽器」ニ作リ変エテヤロウ』
「や、やめろ……来るな! 助けて! 誰かァァァッ!!」
ライルの絶叫が響くが、異界と繋がってしまった控室の扉は、もはや誰にも開けることはできなかった。
彼が他人の歌を盗み、中身のない見栄だけで歌い続けた傲慢の代償。
それは、本物の『音楽の化け物』によって、彼自身が生きたまま「生肉の楽器」に改造されるという、最悪のチューニングの始まりだった――。




