【File.06】盗作された吟遊詩人(3/5)
「ヒッ……いやだ! 助けて! 私の美しい顔に触れるなァァァッ!!」
豪華な控室に、ライルの見苦しい絶叫が響き渡る。
だが、彼を空中に吊るし上げている『深淵のミューズ』の無数の触手は、そんな彼の懇願など羽虫の羽音ほどにも気にかけていなかった。
『……ウルサイ。雑音ダ』
深淵のミューズの中心にある巨大な単眼が、不快そうに細められた。
次の瞬間、化け物から伸びた一本の鋭い真鍮のパイプが、ライルの開いた口の中に容赦なく突き入れられた。
「ガ、ガァッ……!? ゲフッ、オェェェッ!」
『……オマエノ魂ハ空ッポダガ、コノ「声帯」ダケハ良ク響ク。上質ナ皮ト同ジダ。……傷ツケナイヨウニ、大事ニ使ッテヤロウ』
パイプがライルの喉の奥で冷たく蠢き、彼の美しい声帯を裏側からガッチリと固定する。呼吸すらままならず、ライルは涙とよだれを撒き散らしながら手足をバタバタと暴れさせた。
だが、本物の地獄はここからだった。
『……サア、次ハ「共鳴胴」ノ作成ダ。……中身ノナイ空ッポノオマエニハ、内臓ナド不必要ダロウ?』
化け物の身体から、ピアノ線のような何十本もの『銀色の糸』がスルスルと伸び、ライルの腹部へと吸い付くように巻き付いた。
そして、その糸は、まるで熱したナイフがバターを切るかのように、ライルの着ていた高級なシルクの衣装ごと、彼の腹部の皮膚と肉を音もなく『切開』したのだ。
「――――ッ!!??」
声帯を固定されているライルは、声にならない絶叫を上げた。
銀色の糸は、開かれたライルの腹の中へと侵入し、彼の胃や腸、肝臓といった内臓に次々と絡みついていく。
『……重イ……鈍イ……。こんな脂肪ト汚物ノ詰マッタ臓器デハ、美シイ音ハ響カナイ……。全テ、くり抜イテヤロウ』
ズチュッ、ドロォォォッ……!!
銀色の糸が一斉に引き抜かれた。
それと同時に、ライルの腹の中に詰まっていた内臓のすべてが、一塊の赤黒い汚物となって床へと乱暴に引きずり出された。
「ガァ……ッ、ア……ガ……ッ!」
人間であれば即死するはずの致命傷。
だが、深淵のミューズが放つ強大な魔力によって、ライルの意識は強制的に繋ぎ止められ、極限の痛覚だけが何十倍にも増幅されて彼の脳を焼き焦がしていた。
内側を完全に空っぽにされ、ポッカリと大きな穴が開いたライルの腹部。そこに残されたのは、血に染まった肋骨と、背骨だけだ。
『……ヨシ。コレデ、良イ「空洞」ガ出来タ。音ガ良ク反響シソウダ』
化け物は満足げにパイプを震わせた。
ライルの目は恐怖と苦痛で見開かれ、毛細血管が千切れて白目が真っ赤に染まっている。
自分が天才だと信じて疑わなかった。誰も自分の罪に気づかないと、高を括っていた。あの老人の命を奪って手に入れた栄光の果てが、バケモノの楽器への改造(パーツ化)だなんて。
『……次ハ「弦」ヲ張ロウ。……オマエノ神経ノ束ヲ、直ニ繋イデヤル。コレデ、オマエノ痛ミト絶望ガ、そのママ美シイ音色トナッテ響クハズダ』
深淵のミューズは、先ほど内臓を引き摺り出した『銀色の糸』を、今度はライルの空っぽになった腹の中……むき出しになった背骨と肋骨の間に、ピンと張り詰めるように結びつけていった。
一本、また一本。
銀の糸がライルの生きた神経の束に直接結びつけられるたび、彼は全身を雷で打たれたような凄まじい激痛に襲われ、ビクン、ビクンと痙攣した。
『……オマエハ、アノ「星巡リノ叙事詩」ヲ、タダ綺麗ナ声デ歌ッテイタダケダッタナ。アノ歌ニ込メラレタ、吹雪ノ中ヲ歩クヨウナ痛ミモ、血ヲ吐クヨウナ喪失感モ、何一ツ理解シテイナカッタ』
化け物の言葉は、ライルの薄っぺらなプライドを根底から粉砕した。
盗んだ歌。他人の魂。
それを上辺だけで歌い上げていた彼に、音楽の神は「本物の痛み」をもって、その歌の重さを教え込もうとしているのだ。
『……サア、チューニング(調律)ヲ始メヨウ。……ワタシノタメニ、極上ノ悲鳴ヲ聞カセテクレ』
深淵のミューズから伸びた異形の爪が、ライルの腹に張られた『一番太い銀の糸(神経)』を、ゆっくりと、そして力強く弾いた。
ビィィィィィィィィィィンッ!!!!
「――――――――――ッッ!!!!!!!!」
固定されていた声帯が外れ、ライルの口から、この世の物とは思えない凄惨な絶叫が放たれた。
神経を直接弾かれるという、想像を絶する物理的苦痛。
それが、空っぽにされた腹部の『共鳴胴』の中で反響し、さらに彼の美しい声帯を通ることで、皮肉にも、身の毛がよだつほど美しく、そして底知れぬ絶望を帯びた『極上の和音』となって控室に響き渡った。
『……アァ……! 素晴ラシイ……! コレコソガ、本物ノ音ダ! 空ッポノ器ニ、真ノ苦痛ガ宿ッタ音ダ!』
化け物は狂喜し、無数の爪でライルの腹に張られた弦を次々と掻き鳴らし始めた。
「アギャアアァァァァッ! イタ、痛イィィィィッ!!」
弾かれるたびに、ライルの全身の皮膚が引き攣り、目や鼻から絶え間なく血が噴き出す。
彼が他人の命を奪ってまで手に入れたかった「人々の心を打つ最高の音楽」。それは今、彼自身の終わらない地獄の苦痛を代償にして、この閉ざされた空間で完璧に奏でられていた。
* * *
同刻。
『黄金の竪琴亭』から少し離れた、王都の静かな夜の裏路地。
宿に向かって歩いていた行商人のトマは、ふと足を止め、夜空を見上げた。
「……ん? なぁ、今、すっげぇ綺麗な……でも、なんか背筋が凍るような歌声が聞こえなかったか?」
「……風の音だニャ」
前を歩く猫人は、振り返りもせずに短く答えた。
「そうか? なんか、あの『星巡りの叙事詩』のメロディに似てたような……。でも、さっき酒場で聞いたのより、ずっと心に刺さるっていうか……」
「気のせいだサ。……他人のものを盗んだ豚が、ようやく『本物の歌の重さ』を身をもって知っただけだニャ」
猫人は金色に光る瞳を細め、耳を伏せた。
王都の空には、誰にも届かない、生きた楽器の奏でる残酷な旋律が、夜風に混じって微かに、微かに響き続けていた。




