【File.05】孤児院の強欲な院長(5/5)
翌朝。
孤児院『慈愛のゆりかご亭』は、騒然とした空気に包まれていた。
「マザー! マザー・エルマ! どちらにいらっしゃるのですか!?」
朝のお祈りの時間を過ぎても姿を見せない院長を不審に思った若い職員が、鍵の掛かった自室の扉を合鍵で開けたのだ。
そこで彼らが目撃したのは、嵐が過ぎ去ったように破壊され尽くした豪華な部屋の惨状と、床一面に散らばった大量の金貨や宝石。そして、部屋の中央にべったりとこびりついた、異様な悪臭を放つ『真っ黒な泥の染み』と、ズタズタに引き裂かれた修道服の残骸だった。
すぐに憲兵団が呼ばれ、徹底的な捜査が行われた。
隠し扉の奥に大量の高級食材が隠されていたこと、そして床に散らばっていた金貨の額が、これまでに孤児院へ寄せられた寄付金の総額とほぼ一致したことから、事態は「院長による大規模な横領事件」として処理されることとなった。
エルマの行方は、杳として知れなかった。
「悪事がバレる前に、身一つで夜逃げしたのだろう」というのが専らの見解だった。残された泥の染みが『彼女自身の成れの果て』であることなど、想像できる人間は誰一人としていなかったからだ。
回収された莫大な金貨は、正式に王都の管理下におかれ、すべて孤児たちの正当な生活費として使われることが約束された。
* * *
それから、半月後。
「さあ、みんな! 今日は近くの農家さんから、新鮮なお野菜をたくさんいただいたんだ。お肉もたっぷり入れたから、おかわりはいくらでもあるぞ!」
食堂に響き渡ったのは、優しく、しかし活気のある快活な男の声だった。
新しくこの『慈愛のゆりかご亭』の院長として赴任してきた、中年の神父・バルドだ。
少しぽっちゃりとした体型で、目尻には深い笑い皺が刻まれている。彼自身が大きな鍋を持ち、子供たちのお皿に並々ならぬ量の温かいシチューをよそっていた。
「わぁっ! お肉だ! にんじんも入ってる!」
「バルド先生、ありがとう! いただきます!」
子供たちの顔には、もう以前のような暗い影はなかった。
ふかふかに焼き上がった白いパンをちぎり、具沢山のシチューに浸して頬張る。
「おいしいね!」「あったかいね!」と笑い合う彼らの頬は、たった半月でほんのりと桜色に色付き始めていた。
その光景を、孤児院の開け放たれた窓の外から、そっと覗き込んでいる二つの影があった。
行商人の青年トマと、猫人だ。
「いやぁ、よかったよかった! 新しい院長さん、すっげぇ良い人そうじゃんか」
トマは、子供たちの笑顔を見て、自分のことのように嬉しそうに鼻の下を擦った。
「前のマザー・エルマは、寄付金を溜め込むだけ溜め込んで、いざって時に夜逃げしたらしいな。まあ、おかげで残された金貨が子供たちのために使われてるんだから、結果オーライってやつか!」
呑気なトマの言葉に、猫人は「フッ」と鼻で笑い、尻尾を揺らした。
「夜逃げ、ねぇ。……まあ、そういうことにしておくのが、世の中のためには一番平和だニャ」
猫人の金色に光る縦瞳孔が、食堂の中で子供たちと一緒になってパンを頬張るバルド新院長の姿を捉える。
バルドの体からは、前院長のような腐った脂の匂いは一切しなかった。代わりに、土の匂いと、陽だまりのような温かい『善意』の匂いが漂ってくる。
「……まぁ、あれなら安心だニャ。この場所から、あの『飢えの呪い』の不快な匂いは、もう微塵も感じないサ」
「え? 呪い? なんだそれ」
「こっちの話だニャ。……さあ、行くぞトマ。あそこのガキ共はもう満腹だ。俺たちも、自分たちのメシを稼ぎに行かないと、今度は俺たちが干からびるサ」
「おっと、そうだった! 今日は王都の西区でデカい市が立つんだった! 稼ぐぞー!」
トマは慌てて荷馬車の御者台に飛び乗り、手綱を握った。
猫人も身軽に荷台へと飛び乗り、孤児院を背にして丸くなる。
窓の向こうから、子供たちの元気な「ごちそうさまでした!」という明るい声が、春の風に乗って聞こえてきた。
それは、誰かに強要された呪いの祈りなどではない。心からご飯の美味しさと、日々の幸せを噛み締める、純度百パーセントの感謝の言葉だった。
もう、彼らの「飢え」が怪異となって誰かを襲うことはないだろう。
なぜなら、満たされた心には、呪いが入り込む隙間など存在しないのだから。
ガラガラと音を立てて、行商人の馬車が遠ざかっていく。
新しく生まれ変わった孤児院の煙突からは、シチューの温かい匂いと、白く穏やかな煙が、いつまでも青空へと真っ直ぐに立ち昇っていた――。




