【File.04】呪具鑑定士の最後の査定(2/5)
裏路地の淀んだ空気が、重く肌にまとわりつく。
新人冒険者のルークは、震える手で胸元に忍ばせた革袋を握りしめていた。
袋の中にあるのは、亡き父の唯一の形見である「古い懐中時計」だ。
「……大丈夫だ。ギルバートさんは、この界隈で一番の鑑定士だって聞く。父さんの名誉のためにも、ちゃんと価値を認めてもらわなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟き、ルークは重い木扉を押し開けた。
店内に漂う、あの饐えた匂いが鼻を突く。カウンターの奥では、ギルバートがモノクルを磨きながら、蛇のような冷たい目でルークを迎え入れた。
「……ほう。また君か。懲りないものだね、ルーク君」
ギルバートは、まるで路上の汚物でも見るかのような蔑みの笑みを浮かべた。
「昨日の銀貨一枚では、まだ足りなかったのかな? 若いというのは実に浅ましい。身の丈に合わない夢を追うから、そうして空腹に喘ぐことになるのだよ」
「ち、違います! 今日は、これを鑑定してほしくて……」
ルークは意を決して、カウンターの上に懐中時計を置いた。
銀色のケースは長年の使用で至る所が剥げ、ガラス面には無数の細かい傷が入っている。だが、その時計は不思議な存在感を放っていた。チク、タク、チク、タク……という秒針の音が、まるで生き物の鼓動のように力強く、一定ののリズムを刻んでいる。
ギルバートの目が、一瞬だけ鋭く細められた。
(……これか。情報屋が言っていた『寿命喰いの懐中時計』は)
その時計から溢れ出す、静かだが底知れない魔力の奔流。それは、数百年の歴史を生き延びてきた伝説級の呪具だけが持つ、独特の「重圧」だった。
持ち主が望む『幸運』を、自らの『寿命』と引き換えに現実にする。そんな禁忌の品が、目の前の薄汚い若造の手にある。その事実だけで、ギルバートの胸の奥にはドロドロとした嫉妬と所有欲が渦巻いた。
だが、彼はそれを一欠片も表に出さなかった。
むしろ、これ以上ないほど深い侮蔑の溜息を吐き、時計を指先でゴミのように弾いてみせたのだ。
「……ふむ。期待させて申し訳ないが、これはひどい。ひどすぎる」
「えっ……?」
「ルーク君。君の父親は、いったいどんな詐欺師に騙されたのかね? これはただの『ガラクタ』ですらない。持ち主の精神をじわじわと蝕む、下級の欠陥魔導具だよ」
ギルバートは、ルークが最も大切にしている「父親との思い出」を標的にした。
「この時計から聞こえる不気味な音を聞きたまえ。これは正常な時計の音ではない。中の歯車が歪み、魔力が暴走しかけている悲鳴だ。……君の父親は、この呪いによって早死にしたのではないかね? そうだろう?」
「そ、そんなはずは……父さんは、私を最後まで守ってくれて……!」
「ああ、哀れな息子だ! 呪いの元凶を『形見』だと思い込み、大事に肌身離さず持っているとは。君の運気がいつまでも上向かないのは、すべてこの『呪われた遺物』のせいだよ。君の父親は、死んでなお、君の未来を縛り付けているのだ。実に醜悪な親子愛だねぇ」
ギルバートの言葉は、鋭い針となってルークの心に突き刺さった。
ルークは、必死でその言葉を拒絶しようとした。だが、ギルバートは「鑑定士」という絶対的な専門家の立場から、畳みかけるようにハラスメントを継続する。
「君は、この時計を持っている限り、一生『二流の冒険者』ですら居られない。昨日も言ったはずだ。君の存在には価値がないと。……だが、君自身が価値のない人間だからこそ、この呪われたゴミが君に相応しいというのも、また一つの真理かもしれないがね。くくくっ」
「……っ……」
ルークは拳を握りしめ、溢れ出しそうな涙をこらえた。
自分への侮辱なら耐えられる。だが、父への想いまで汚されるのは、耐え難い苦痛だった。ギルバートは、それを分かっていて、楽しそうに言葉を選んでいるのだ。
ルークの心が折れる「音」が、ギルバートには聞こえた気がした。
獲物が十分に弱った。今こそ、トドメを刺す時だ。
「……まあ、いい。私も君の境遇には同情しているのだ。このまま君がこの呪いに殺されるのを見過ごすのも、寝覚めが悪い」
ギルバートは、殊勝な面持ちでカウンターの下から一つの小箱を取り出した。
中には、鈍い銀色に光る、歪な形の指輪が収められている。
「これは、私が長年保管してきた聖なる指輪だ。微かな加護の力が宿っている。……ルーク君、特別に提案しよう。その忌まわしい時計を、私が『処分』してあげよう。その代金として……この指輪を君に授けようじゃないか」
「指輪を……ですか?」
「そう。この時計は本来、処分費用を君が支払わなければならないほどの危険物だ。だが、私は君の『父親への思い』を汲んで、無償で引き受けてあげようと言っている。この指輪を嵌めていれば、君の運気も少しはマシになるはずだ」
ギルバートが差し出したその指輪――『死に至る指輪』。
身につけた瞬間に、その者の生命力を吸い尽くし、肉体をドロドロの腐肉へと変える最悪の呪具だ。
ギルバートは、伝説の懐中時計をタダ同然で手に入れ、さらに、自分を不快にさせたこの「善良な若造」が、苦悶の中で溶けて死ぬ様を高みの見物するつもりだった。
「さあ、どうする? 父親の呪いに縛られての垂れ死ぬか。それとも、私の慈悲を受け入れて、新しい人生を歩み出すか。君のような愚か者でも、これくらいの選択はできるだろう?」
ルークは、カウンターの上の懐中時計を見つめた。
父さんの思い出。
父さんが「お前を守ってくれる」と言って託してくれた、たった一つの繋がり。
それが、自分を不幸にする呪いの源だなんて。
「……あ……」
絶望と混乱で、ルークの瞳から光が消えていく。
その様子を見て、ギルバートは口元を歪めた。モノクルの奥の瞳が、狂気的な歓喜にギラついている。
「さあ、受け取りたまえ。君に相応しい『最後の査定』の結果をね……!」
ルークが、震える手をゆっくりと時計から離し、代わりにギルバートの差し出した「死の指輪」へと伸ばそうとした、その時だった。
カラン、コロン……。
不意に、店のドアベルが鳴り響いた。
重苦しい店内の空気を切り裂くような、どこか間の抜けた、しかし力強い足音。
「――おっと! すんません、忘れ物しちゃって!」
入ってきたのは、つい先ほど追い出したはずの、あの行商人の青年トマだった。
その後ろには、やはり不機嫌そうに尻尾を揺らす猫人が続いている。
「なんだね、君たちは! 営業妨害だぞ、とっとと失せろ!」
計画を邪魔されたギルバートが、激昂して叫ぶ。
だが、トマはギルバートの怒声など聞こえていないかのように、カウンターの横で呆然と立ち尽くすルークの肩を、ポンと叩いた。
「おい、アンタ。顔色が真っ青だぞ? そんな腐った魚みたいな顔してちゃ、幸運も逃げていくニャ……あ、いや、逃げていくぜ?」
「え……?」
ルークが顔を上げると、トマは屈託のない、しかしどこか鋭い光を宿した瞳で、彼を見つめていた。
ギルバートの張り巡らせた「悪意の檻」に、場違いな風が吹き込んだ瞬間だった。




