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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと


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10/15

【File.02】人喰い宿の帳簿(5/5)

チュン、チュン……。

小鳥のさえずりと共に、峠の森に爽やかな朝日が差し込んだ。


「うぅ……っ、寒ぃ……。背中が痛ぇ……」


宿屋から少し離れた森の中。

木の下に停めた荷馬車の御者台で丸まっていた行商人が、毛布にくるまりながら目を覚ました。

昨夜の土砂降りが嘘のような晴天だ。隣を見ると、相棒の猫人はすでに起きており、荷台の上で器用に顔を洗っている。


「おはようニャ。ひどい寝相だったサ」

「お前が『あの宿には泊まれない』なんて言うからだろ! おかげで風邪引きそうだよ。……なあ、もう朝だし、せめて温かいお茶くらい貰いに行こうぜ。文句の一つも言ってやりたいしな」


行商人はぶつぶつと文句を言いながら馬車を降り、昨夜逃げ出した宿屋『木漏れ日亭』へと向かった。猫人もやれやれと首を振りながら、その後を追う。


カラン、コロン……。

扉を開けると、宿の中は奇妙なほど静まり返っていた。


「すいませーん! 誰かいますかー!?」


行商人が声を張るが、返事はない。

人の良さそうな老夫婦の姿はどこにもなく、客席には昨夜のまま、誰の手もつけられていない食器がポツンと残されている。


ただ一つ、厨房の暖炉の火だけが赤々と燃え続けていた。

その上で、巨大な鉄鍋がグツグツ、ボコボコと重い音を立てて煮立っている。


「なんだ、出かけてんのか? ……おっ、いい匂い。昨日の特製肉シチュー、まだ煮込んでるみたいだな」


空腹に耐えかねた行商人が、ふらふらと鍋に近づいていく。

中を覗き込もうとした、その時だ。


「……やめておくニャ」


猫人がスッと行商人の前に立ち塞がり、尻尾でピシャリと彼の足を叩いた。


「え? なんでだよ。ちょっと見るくらい……」

「一生、肉が食えなくなるトラウマを抱えたいなら好きにするサ。……ただ、その鍋の中身は、昨日の夜より随分と『アク』が浮いてて、醜く濁りきってるニャ」


猫人の金色に光る縦瞳孔が、鍋の奥底に沈む『何か』を冷たく見据えていた。

そのただならぬ雰囲気に、行商人はゴクリと生唾を飲み込み、そっと鍋から距離を取った。


「……わ、わかったよ。気味が悪いし、とっとと出発しようぜ」


二人が足早に宿を出て、馬車に戻ろうとしたその時だった。


「あら。おはようございます」


背後から、鈴を転がすような美しい声がした。

振り返ると、昨夜すれ違った『美しい単独の女旅人』が、宿の裏手から優雅な足取りで歩いてきたところだった。

土砂降りの夜を過ごしたはずなのに、彼女の衣服には泥ひとつ跳ねていない。漆黒の髪も、不自然なほど艶やかにまとまっている。


「あ、おはようございます……。昨日はよく眠れましたか?」


行商人が間の抜けた挨拶をすると、女旅人はふんわりと微笑んだ。


「ええ、とても。おかげで……すっかり『満腹』よ」


女旅人の視線が、行商人の足元にいる猫人へと向けられた。


『……ふふっ。本当に、鼻の利く賢い猫ちゃんね』


女旅人は、その美しい赤い唇から、人間にはあり得ないほど長い舌をチロリと出し、艶かしく口元を舐め上げた。

そして、二人に背を向け、楽しげな鼻歌を歌いながら峠道を下っていく。


「なんだあの人。綺麗な人だけど、ちょっと変わって……おい、どうしたんだよお前?」


行商人が足元を見ると、猫人が全身の毛を逆立て、尻尾をタヌキのように太くしてガタガタと震えていた。


「バ、バケモンだニャ……。ヒゲが粟立つような、特級のバケモンだったサ……!」

「は? バケモンって、あの女の人がか!?」


猫人は大きく息を吐き出し、震える足で荷台へと飛び乗った。


「……他人の命を食い物にしていると、最後は自分が一番の『ごちそう』として上位の捕食者に狙われるのサ。因果応報……欲の果てには、自分を煮込む極上の鍋が待ってるってことだニャ」


「な、なんだよそれ! 意味わかんねぇよ! 早くここから離れようぜ!」


行商人は半狂乱で手綱を掴み、「ハイッ!!」と馬の尻を思い切り叩いた。

ガラガラと音を立てて、馬車は逃げるように峠道を駆け下りていく。


朝日が昇りきる頃。

静まり返った『木漏れ日亭』の厨房では、誰も食べる者のいない極上のシチューが、今日もグツグツと、二つの醜い『肉塊』を煮込み続けていた。

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