第78話 白に沈んだ天竺葵(ゼラニウム) ❀ᚷᛖᚱᚨᚾᛁᚢ⚘
カノンの暗黒神、ヴァイロ・カノン・アルベェリア御自ら敵の本拠地、ロッギオネに出向いた最中。
彼の愛弟子の中で連れはおろか、直接言伝された者は独りもいない。孤独な黒い影を落とす魔導士に従う者達。戦の天秤シアン・ノイン・ロッソの付き人、ハイエルフの子供を装うレイチとニイナのみ。
但し同棲の愛を傾けるリンネだけは、現在自分と同じ屋根の下に居る存在が偽り──黒い神竜ノヴァンの化けた姿だと見抜いた。
リンネは同刻、本物はレアット・アルベェラータを救出に向かったのだと勝手にも断定したのだ。それをノヴァンとて否定出来なかった。
その後、リンネは亜人達をカノンに受け入れる任務をシアンと共に遂行していたヴァイロの一番弟子アギドに声を掛けた。
「なんだ、今頃知ったのか?」
リンネが黒い神竜を影武者にしていた事実をアギドに打ち明けた直後、ぬけぬけと知れ者顔でアギドは返し、リンネを唖然とさせ、緑の瞳を泳がせた。
けれどもアギド、即時に失言だったと悟る。
妹弟子ミリア・アルベェリアと一夜限りの淡い関係を交したアギド少年。人の温かみを知らぬただの冷徹な男子を卒業しつつあったのだ。
「す、済まない。俺はちょっと訳ありでな。そういうのは、他人よりも鼻が利くんだ」
アギド、眼鏡越しのまだ青い視線を姉貴分リンネから逸らし、やはり青い頭を掻く不器用な謝意を伝えた。
「そ、そっか……い、いや。こっちこそごめん。置いてきぼりを食らってアンタも腹が立ったよな」
普段ヴァイロの魔道を受け継ぐ弟子達との間を取り持つリンネ。女子とは思えぬ相変わらずの無愛想な口調。
一番弟子、暗黒神の書いた魔導書を全部行使出来ると日頃から高飛車を気取るアギドにリンネは、心痛を感じていないか探りを入れてみた。
「いや……それに関しては俺、一切口を挟むつもりはないんだ。嘘じゃない」
掌を広げ、リンネからの煽動に全く動じず、師匠の言いつけを忠実に果たす宣言をリンネに投じたアギド。
「え、そか。アギドって強いんだ……ね。わ、私なんか…もぅ、今度彼奴とどんな顔をして会えば良いのか……」
リンネはアギドからの同意──ヴァイロから裏切りを受けた気分を互いに分け合える想いがあったのだ。
されどアギドのぶれない信念に心を打たれ、ショルダーカットで晒した胸上に、濡れた熱い粒を零し始めた。白一色の服装に涙が沁み入り、人に見せられぬ危うい姿に移り変わる。
「り、リンネ……!」
慟哭に転じ始めたリンネ。普段頼れる姉貴分の涙相手に、どう接するのが正解なのか。途端に戸惑い始めたアギド。この辺りは、未だに少年の動揺に支配される心の弱さが露呈した。
あれ程までに『ヴァイ』に心酔していたリンネ。
暗黒神、師匠、兄貴分……普段そうした態度で接してきたアギド。泣き喚くリンネに、ハンカチひとつ渡せる余裕さえ残っていなかった。
「リンネ? アギドも一体どうしたのでございますか?」
「あッ! アギド手前……! リンネまで泣かしたのかよッ!」
いつも通りの『ございます』口調。14歳とは思えない艶やかさを灰色のワンピースで少しでも慎ましやかに落とすミリアの声掛け。オレンジ色の瞳がアギドとリンネに刺さる。
最年少、13歳に至れた紅の魔導士アズールが兄弟子アギドを指差し激しく言及。
信頼していた兄弟子。アズールが儚い恋心を抱いていたミリアの次は、リンネとの怪しき雰囲気を目の当たりすれば、勘違いが沸き起こった処で仕方がない。
「リンネ……」
怪訝な顔持ちながらも同性のよしみを発揮したミリアが自分の黒マントを恋敵リンネに貸す心遣いをみせた。
ミリアに取って、嘗てヴァイから借りパクしたいわば愛する漢の匂いが沁み込んだマント。
あろうことかリンネの香りで上書きせねばならない辛みを、どうにか表に出さない様に、地面を踏みしめる悔しさに徹した。
「やいコラッ、アギド!」
「アズ、少し黙ってて頂戴。……リンネ、一体何があったのですか?」
正義感の赤を煌々と燃やして兄弟子に詰め寄ろうと迫るアズールを、ただの一喝で制したミリア。困り果てたアギドと僅かに視線を交した後、仲介役を名乗り出た。
ミリアは、アギドの無愛想ぶりと取り乱すリンネを見やり、自分にしかこの場を取り持つ事は出来ないと確信したのだ。
この中の最年長であるリンネですらまだ16。少年少女の枠組み、ましてや男子と女子のこうした役回りなら、女の子の方が大抵一日の長が在るものだ。
女の愛情──?
そんな御大層なものではない。人通り疎らなカノンとはいえ、年頃の女の子が町中で泣き喚いているのだ。放っておける訳がなかった。
「み、ミリア? ご、ごめ……!」
「良いですから……先ずは、これで涙を拭いてくださいな」
幼女の様に小さな体を揺らして泣くリンネの背中を、擦りながらハンカチを渡すミリアの気遣いが続く。
とにかくリンネの話を聞かねば何も始まらない。女子の悩みは、話を聞き出す事が全てといっても過言ではない。
だけども先ずは泣き止んで貰わないと話にならない。
偶然にもリンネ初めての夜を月灯りの内に目撃したミリア。あの刻、独りで枕を濡らした自分がまさかリンネを慰める役回りを演ずるとは思いも寄らなかった。
ミリアがリンネの手を取り、少しでも木陰の深い場所へ連れ出す。見つけた切り株に思わず安堵の色を浮かべ、リンネを優しく導き座らせた。
ポンッ……!
「リンネ、どうか落ち着いてください。ゆっくりで良い……何があったかお話出来ますか?」
震えるリンネの両肩に手を置いたミリア。それでも落着きが戻らぬリンネ、見兼ねたミリアがリンネの肩を抱く何とも珍しき絵面が浮かび上がる。
顔を見合わせたアギドとアズール、リンネとミリアの友情劇。
以前、レアット相手にヴァイロの御指名で止む無く共闘した二人の女子。こうして抱き合うのを見た者はいなかった。性に不謹慎な男子同士、その尊き絵画に思わず見惚れ、顔を赤らめた。
「う、うん……あ、あの……あのね……」
未だぐずるリンネの翠眼を真っ直ぐ見つめるミリア。残った涙を拭ってやる慈愛。表面上しかなかったミリアの優しみがやがて転化をし始める。
『誰が喋るもんか、だけど察しの良いアギド辺りは、いずれ気づく』
ヴァイロに成りすましていたノヴァン相手にそんな誓いを立てていたリンネ。思いがけないミリアの優しさに触れ、封じてた心が紐解かれるのを止められなかった。
リンネの拙い言い回し。いよいよ女児を相手にしている感覚。『どうせヴァイと何かあったのよ。だけど幾ら何でもこれはおかしい』同じ男を愛する者同士の興味が首を擡げた。
「ヴァイ……ヴァイが私に、う、嘘をついていた…の…よ」
「え? どういう事?」
愛を焦がした相手から『嘘』をつかれていた。未だ大泣きした余韻を引き摺るリンネがどうにか伝えた、たった一言。
驚きに揺れたミリア、遂に敬語を損ねた素顔を重ねた。
愛する男の嘘──。
聴いた瞬間、ミリアの顔色が滝に打たれた様に移り変わる。女子特有の正義感にすげ替わった。
こうなると嘘偽りの是非は、最早問わない。
然もそれがこれ迄長い間、ノヴァンを替え玉にしていた挙句の果て。自分達に内緒で独り、ヴァイロがエディウスの元へ走ったのを聞いたミリア。
リンネを仕方なく慰めるつもりでいたミリアの心根が完全にぐらつく。実は優しい姉を再び抱き寄せ、共に涙ぐむ女の友情に走り往く自分を止められなかった。




