第77話 白露が連れた残滓の牙 † ᚾᚨᛊᛏ †
大気の使い手、レアット・ウィニゲスタは、必ずこの街に囚われている。
地面で跳ねた雨粒が白霧を育む戦之女神の神都、ロッギオネの街並みを相も変らぬずぶ濡れで歩む暗黒神ヴァイロ・カノン・アルベェリアの信念。
そして戦の天秤シアン・ノイン・ロッソの両腕達、森人達の最高位、ハイエルフのレイチとニイナの一行。
「さ、流石にこの雨だと警戒が薄いらしいな」
何故こんな悪天候で自分は革製のロングブーツを履き続けているのか?
それでなくとも普段闇を取り繕う為の黒の衣装を白に脱ぎ変えているのだ。
ブーツとて雨対策の為、履き替えば済んだ話。細かい事を置き去りにしがちなヴァイロ。
彼はこれ程までに雨と、ソレを悉く弾き続けた整った道程を恨めしいと思えた日はなかった。荒んだ地元との落差に絶句した。
「馬鹿正直過ぎるのではありませんか? ヴァイロ様なら、いざとなれば『紅色の蜃気楼』を使えば隠密なんて自在の筈?」
靴の心地悪さを未だ歩く仕草に滲ます凡人の様な悩みに沈んだ暗黒神を、少し揶揄した150歳のレイチ少年。
レイチ、靄の掛かった敵地を態々往く愚鈍に感じた疑問。普段の黒から白装束に転じた首を傾げた。
確かにヴァイロの愛刀、紅色の蜃気楼を一度振るえば、彼自らを赤霧と化し身を隠せるのだ。本物の白昼霧を歩む理由が謎過ぎた。
なお、こうした探索行、レイチとニイナに取ってはお手のもの。
何しろ義賊の経験則があるのだ。雨で靴が使い物にならない苦悩を抱え込んだ黒い神様の世間知らず、正直片腹が痛かった。
「俺達は悪巧みをしている訳じゃないんだ……あ、待て」
ヴァイロが神都潜入の行動についての正当性を訴えようとした矢先。ずぶ濡れのブーツを脱いで裏返して溜まった雨粒を切る無駄に興じた処、ニイナに先を越された。
バンッ! ビシャッ!
「あ、痛た……! ご、ごめんなさい……」
街道の角から現れた二人組の男性。ニイナは、その内の独りを相手に勢いよく、白装束に包んだ頭をぶつけた。
ふらつきながら相手に小さな頭を下げるニイナ。男性達は、簡素だが白き鎧──修道騎士の下層と思しき装備を身に纏っていた。
「何だぁ手前、危ねぇな……気をつけろ」
騎士の位の高さを如何にもひけらかす汚い言葉を返した被害者面したその男。
「待て、この餓鬼、耳が長いぞ!」
ニイナ、相手の男と衝突した拍子。頭に被った白いフードが僅かに捲れ、尖った耳が露出。慌てて隠すも後の祭り。もう独りの連れに見られてしまった。
「何ぃ!? 戦之女神様はな、耳長族を嫌っている……んだ。ま、まさか貴様等、暗黒神の手下かッ!」
戦之女神の神軍に耳長族は不在であるのをさも偉そうに説こうとした──がっ、途端に震えた狼狽え声に変った。
ハイエルフの子供二人組──戦之女神の兵士達に取って、それは身の毛もよだつ狂信がある。
暗黒神と戦の天秤が率いた少数の軍勢相手に完全敗北を喫した苦過ぎる思い出。
敵軍の混乱に乗じた耳長の少年はナイフを両手に握り、刺し出す場所が全て急所、必殺の脅威を植え付けた。
耳長の少女は飛竜に跨って宙を舞い、煌めく矢尻を打ったが最後。真横に森を割いた雷の道を切り拓き、泡を喰って逃走する兵達を誘い出した。
されどその先に待ち受けていたのは黒い神竜が開いた巨大な口。
あっという間に火達磨と化した戦之女神の最下層の兵士達、ノヴァンと黒い竜に意識を与えた吟遊詩人リンネに貴重な成長を献上したのだ。
以来、銀髪を流した小さな殺戮者二人は、戦之女神の兵達に取って、畏怖の対象に伸し上がった。
トンッ!
突如ニイナは、敵である修道騎士の胸元に自分の身を預けて命を晒す。
「な、何だァ!?」
「お兄さん私の好み、黙って見逃してくれるのなら……。ねぇ、判るでしょ?」
ただでさえ背丈の低いニイナ──。
赤い目だけを相手の男に向けた上目遣い。甘ったるい声を絡ませ、少女とは到底思えない発育の良過ぎた胸元辺りの襟を僅かに開いた。
ゴクリッ……。
背格好と声は幼き少女。森に迷い込んだ人間を騙す妖精のような格別が男を惑わす。落ちた雨粒がニイナの谷間へ滑り落ちる様子を思わず眺め続けた堕ちた騎士。
連れの騎士は置いてきぼりをくらった形。いずれも理性を欠いてしまった。
ビュッ!
150歳の少女に邪な気分を抱いた男に落ちた天罰覿面。
ニイナが腰ベルトに吊るした革製のポシェットを開いたと同時に飛び出したのは、水がとぐろを巻いた蛇。薄っぺらい鎧の隙間、首元に咬みつき、声を出せぬまま絶命させた。
パシャッ!
取り残されたもう独りの憐れな騎士。
レイチが抜いたナイフの上に落ちた雨を払って男の目を晦ます。流れる水の如き鮮やかさを以て男に近寄った首切り。
自分達が何時死んだのかも掴めぬまま殺害された敵の騎士達。
水溜まりに倒れたにも拘わらず、音も水飛沫さえも皆無の静けさ。恐らくニイナが精霊達に命じたに違いなかった。
「全く……その形で殺るとか反則じゃないか?」
ニイナの失敗を完璧に消した子供達の共演。恐怖の帳尻合わせを目の当たりしたヴァイロ。舌を巻く思いを正直に告げた。
ぐうの音も出ない暗殺術。愛らしさと狂気が同居した最恐。暫定とはいえ味方で良かったと改めて思えた。同時にこんな二人を飼い馴らしているシアンの側面に驚異した。
バシャッ……! バシャッバシャッバシャッバシャッ!
「ムッ? 新手を呼んだか」
強かな雨音を掻き消す水を弾いた、多数の足音が近寄るのを感じ取ったヴァイロ。
それでも霧隠れした紅色の蜃気楼を抜かなかった。今、倒した敵と同じ様な連中であれば、自分が手を汚すまでもない余裕。
「ヴァイロ様、次の敵、恐らく侮れないです」
片手だったナイフを両手に握る本気に転じたレイチ、幼さ残る顔立ちと真逆の斬れる視線をヴァイロに投じた緊迫の色艶。
「なんて気色の悪い! 絶対、人の足音なのに魂の揺らぎを感じない」
少々身震いしたニイナ。尖った耳に届いた音だけで人間と確信した割、魂を感じないとは一体どうした事か。
──この様子、既に囲まれているな。それにしても魂がないとは不死の類か?
ヴァイロ、新たな敵達が自分達の視界の外で包囲砲を敷いた現状を理解。
少々腑に落ちない敵の正体──。
敵味方双方に色を好むあの戦之女神が腐臭漂う不死の軍団を率いるものか?
心中だけで首を傾げるヴァイロ、それでも次元の断層に隠した愛刀は、未だに抜刀しなかった。否──抜刀出来ぬ混迷の上に彼は立ち尽くしていた。




