第76話 無垢に解け合う揺りの花束 γγ ᛃᛁᛚᛁᛟ γγ
ヴァイロ・カノン・アルベェリア──黒を司る神が白銀の女神の膝元に侵入するべく、着慣れぬ白にその身を包んだ。
普段は戦の天秤シアン・ノイン・ロッソに付き従っているハイエルフの少年レイチと少女ニイナを同伴する、余り見慣れない行動を起こしていた。
同じ街、戦之女神の神都アディスティラにて、病床に伏せていた長き黒髪を垂らした女性。戦之女神の最高司祭グラリトオーレ・ガエリオが居た。
ラファン山中に於ける戦いにて最も重体であったグラリトオーレ。
大気の使い手、レアット・ウィニゲスタが彼女の躰に染み込ませたオゾンの毒素。未だグラリトオーレの完全復帰を阻んでいたのだ。
身体機能こそ、回復していたが未だ病室のベッド上。
司祭服と同じ白の衣服だが今、身に着けているのは入院患者向けの白衣であった。
「負けた……!」
独り項垂れ続けるグラリトオーレ。
敬愛する戦之女神を自分の躰に降ろしてなお、レアットには勝てなかった。屈辱の滲む入院着に爪を立てた怒りと失望に酷く沈んでいた。
コンコンッ……!
「ど、どうぞ……る、ルオラ様!」
病室の引き戸を開けたのは、自分と同じくカノンの連中に敗北を喫した賢士ルオラ・ロッギオネ・ルマンド。彼女の方は軽傷であった。
とても珍しい客人に思えたグラリトオーレ、愛くるしい白銀の少女へ常に付き纏うルオラが自分の病室を訪ねる真意が判らず、戸惑いを隠せぬ緊張に少しだけ頬を染めた。
「グラリン、具合はどうかしら?」
手土産は何も持たないルオラ。
長い茶髪に手櫛を優雅に通して首を横に振ると、たわわな胸元をグラリトオーレが横になっているベッドの淵に乗せ、自身も悠々自適な様子で椅子へと座る。
恐らく深い意味を持たない興味本位だ。心配を持ち寄る仕草は皆無に思える自己中の為した行動。ただの気紛れである態度を匂わせた。
「ま、誠に申し訳ございません。だらしなく寝ているばかりで……」
最早『グラリン』と揶揄された処で反論する気さえ起きない堕ちた最高司祭。
遊女な容姿で振る舞うルオラとは正反対、生真面目を絵に描いたグラリンが項垂れままの頭を下げ、顔をそのまま上げなかった。
「そんな……有事じゃあるまいし。今はゆっくり静養するのも仕事の内よ」
やはり気のない様子を声音に乗せたルオラ。仕事仲間、業務上の都合を思わせる気遣いの発言。されどもルオラ、グラリンに尋ねてみたい話が在るのだ。
「それよりもさグラリン、貴女凄いわよ。エディーに2回も躰を預けて、今は平気な顔して要られるんだから」
「え……?」
そうなのだ──。
この最高司祭グラリトオーレ・ガエリオ、戦之女神に躰と意識を捧げたのは、ラファン山中での戦闘を足して、なんと二度目。
自らの躰と魂を白い女神の供物として捧げておきながら、今はこうして自我を悠々保っていられた。
初回はレアットの故郷であるラファン山中の村を見せしめの為に消した時。
民草はおろか家畜や飼い犬に至る全ての生き物達を根絶するべく、細胞分裂活性化を超が付くほど強化した禁術『終わりなき旅路』を見舞った。
戦之女神の司祭級が唯一扱える攻撃の奇跡。だが戦之女神に身も心も代価として投じなければ成し得ないのだ。
そして今回のが二度目──。
戦の天秤シアン・ノイン・ロッソと互いの槍衾を賭けた勝負。
グラリトオーレは、青に輝く光束の槍を用いてシアンの扱う境界線の力と拮抗したが、敗北を喫した。
なお、グラリトオーレの繰り出した蒼き光りの束を撃ち出した超高熱の槍。
あの力とて、元を辿れば戦之女神が彼女に与えた異能。
グラリトオーレが自分に戦之女神を憑依させる以前から、彼女は軽々、女神の異能を代行していた事になるのだ。
この力を以てしてもシアンに負けたグラリトオーレ。然もシアンは、敗者にトドメを刺さない余分な手心を加えた。
これにグラリトオーレは『貴女は戦の掟に背いた』と逆上。戦之女神を召喚した狂気に飛んだ争いに転じた。
これにて漸くシアンこそ負かしたものの、次はレアットを相手にギリギリの勝負。
またもや禁じられた術式に手を染めたにも関わらず、相手の流した毒が全身に回るのが先か。或いは魂の行き場を失う自身の術式が先行するのか。
この勝負にグラリトオーレは大敗を喫した。尤もこの勝敗、彼女の身体を借りたエディウスの黒星なのだが、そんな言い逃れをする気はない。
敬愛する女神様の力を借り受けたのだ。負けた自分自身が全ての罪を被る。戦之女神に敗北の要因を押し付ける気などさらさらなかった。
少々話が長引いたがこの際、敗因が誰に依るものなのかは敢えて捨て置く。
グラリトオーレ──。戦之女神の一番弟子。即ち実力No2のルオラを以て『グラリンが実は一番やばい』と言わしめた存在。
グラリトオーレは、常日頃から戦之女神様の為なら何もかも捧げる覚悟が決まっていた。加えて、その身や魂とて供物にしながら、事が済めばグラリトオーレ自身に戻れる驚異。
然も一度ならず二度までも──。これぞルオラ・ロッギオネ・ルマンドの聞きたい本音であった。
「えと…私、戦之女神様にこの躰を捧げている間の記憶が殆ど欠落しております故、余りまともな話が出来るかどうか……」
グラリトオーレ、顔が火照り始める自分を何故か止められずにいた。
まるで赤裸々な告白を思わす女の仕草。黒髪を掻き上げ、ルオラとは視線を逸らすと、篠突く雨が降り続く窓の外を眺めた。
「ンン……?」
グラリンの見せる以外な程の可愛げ。『躰も心も全てを捧げる』言葉を額面通りに捉えれば、これ以上なき愛の形と云えなくもない。
この最高司祭、まさかとは思うがエディーに躰を預ける度に性愛的な何かを感じてやいまいか?
これまで散々エディーを愛しき少女として扱って来たルオラだが、グラリンの境地に至れた試しはないのだ。ルオラの中で抱いていた興味が違う形を生み始めた。
「あ、あの御方の精神支配……っていうんでしょうか? なんと言えば正しいのか……奇妙な間? 捧げた途端に全てを持って征かれる感じではないの……です」
語尾こそ濁すものの、気分を害した印象を全く受け取れないグラリトオーレから滲み零れた笑み。
──言えない! エディウス様と私が溶け合う様なあの至福のひと時だけは!
顔を朱に染め抜き、言葉に詰まるグラリトオーレの様相。
横顔を見つめたルオラ、ただの喜びではない、妖艶の溢れた女性特有の悦楽をみつけた想いに絡み取られた。
「……グラリン。貴女さっきからずっと顔が赤いわよ。まるで恋する乙女だわ。そんなに好いの?」
「……! あ、え、あの…その、云ってる意味がよ、よく判りませんが……」
ズィッ……!
椅子から立ち上がったルオラの何とも言い難い怪訝な表情。そっぽを向いていたグラリトオーレの顔を目掛け、頬が触れ合う程に近づけた。妖しさにも程あるルオラの云いたい疑問。
『エディーに憑依されるのって、それくらい癖になっちゃうの!?』
ルオラが『好いの』に込めた皆まで言えぬ本音だ。
不意に顔を寄せられ焦りが頂点に達したグラリン。
その愛称が寧ろ様になりそうな生娘を彷彿させる穢れを知らぬ顔。耳まで染め上げた首をシーツの中に埋めて隠した。
「そ、そんな事よりも、あの男は、あれから一体どうしたのですか……?」
シーツに全身を埋めたグラリトオーレ。顔だけ出すと蚊の鳴く声で話題の中心をずらしに掛かる。あの男──語るのも無駄に思えるレアットに他ならなかった。
「──ッ!」
ルオラが現在最も聞きたくない名前。グラリンに注いでいた興味が一瞬にして削がれた。
「レアット! あの馬鹿が此処に来て以来、エディーは彼奴にゾッコンなのよォッ!」
忌々しくて仕方ないルオラの絶叫。
本来なら静粛にすべき病棟に響かせた絶望感。ルオラの可愛い玩具であった少女エディーは、今やレアットと毎日毎晩、神殿で二人っきり。何人たりとも入室は不許可にされた。
「え……ええぇッ!? あ、あの戦之女神様がッ!」
ルオラの様に白銀の女神を愛くるしい少女として扱う興味は抱かないグラリトオーレとて、これには一驚。男に一切興味を示さない女神様の気紛れに、衝撃を隠せなかった。




