第63話 戦場を去りし者と貪る女神へ”贈る”鎮魂歌 +ᚱᛖᚲᚹᛁᛖᛗ+
戦の天秤シアン・ノイン・ロッソが熱き突貫に転じた乾坤一擲。
自らの力に振り回された偽りの戦之女神の足元目掛け、鍔付きの手槍を突き刺した。
敵の地面を突き崩す瞬間、敢えて緑色の瞳だけ横に反らした巧妙なる所作。夜の暗闇に流れた翠色の軌跡。
効果の程──?
そんな理屈は仕掛けた当人さえ知らぬ、恐らく無意識が成した反応、戦人の本性なのだ。
兎も角ただのか細き手槍を以て、グラリトオーレの躰に取り憑いたエディウスの足場を砕いたシアンの一閃。
間合いの長い光束の槍──例え槍が重さを持たぬ光で出来ていようとも脚の踏ん張りを失っては致命的欠損に思えた。
異能を使った御業とはいえ、神の運命に反旗を翻した紫色の女戦士が女神をたった独りで打ち破った?
シアンの全身を覆っている紅色の気配が完全に消え、秒にも満たぬ時の狭間。シアンの緊迫感も同刻に失せた。
シアン・ノイン・ロッソ──最後の最期に殺り損ねた。戦之女神の足場を奪い去った後、倒れた仇へ致命の鉾先を向ける判断は誤認。
夫と幸福を抱いた喫茶店ノインと家族へ堕ち延びた。一線を退いた刻の流れは残酷。戦場を裏切った彼女に下した鎮魂歌。
──い、居ない!? え、エディウスは何処だ?
「ぐわぁッ!?」
敵の姿を見失ったシアンの背中に夜空から落ちた焼ける一閃。
最高司祭の姿形で宙から放った蒼の熱線。先程まで飛竜に乗り夜空を飛んでいたシアンを狙った攻勢と同じ物。たった一振りだけで勝敗を決した。
「フフッ……シアン・ノイン・ロッソ。実に心地良き緊迫溢れた戦いであったよ、個の力だけならばカノンのヴァイロを確実に凌いでいた」
宙で静止した嘲を浮かべる偽りのエディウス。彼女は白い神竜に頼らずとも己の力だけで空が舞える。
自らに潜む護りの女神の呪文『重力解放』を行使しただけに過ぎぬ。余りにも簡単な事柄だった。
「グッ……ふ、不覚」
境界線の異能を使い果たした上、全身を焼かれたシアンの意識が薄れ往く。同時に彼女は悟った。戦之女神、初めから本気では無かったのだ。
然し意識を喪失したシアンが腑に落ちなかった一点──白銀の女神は、自分に致命傷の裁きを与えなかった。
彼女の一番弟子、賢士ルオラ・ロッギオネ・ルマンドが争っている滅びの村に向かい、笑いだけを残し飛び去ったのである。
──シアン・ノイン・ロッソ……。また殺ろうぞ、次こそ互いに慈悲を捨て去った本気の力でな。
人間の意識と変わらぬ気紛れ──現人神らしい理由なき遊戯に過ぎなかった。
◇◇
最高司祭の姿を羽ばたかせ飛翔する先で暗黒神の弟子や契約した亜人族と対峙した賢士ルオラ。
怒り任せに放った無慈悲な賢士奇跡の術式──『魂之束縛』をレアットの身代わりに受けたコボルト族の長カネランが苦しみ悶え続けられている不気味。
──な、何故? どうしてコボルト如き化物が未だに死なないのよ!?
被術者が抱く罪の意識に応じて醜いヒキガエルの様に心臓から潰され肉片を飛び散らす魂之束縛。
あのコボルト、これ迄の生涯にて積み重ねた罪の意識が皆無?
そんな馬鹿げた話、意志を持った生物である以上、絶対に在り得ないのだ。
「──うがぁぁぁッ!」
胸を搔きむしるカネランの絶叫──一転、犬族の身体から解き放たれたのは、なんと鎖。あろうことか術者ルオラへ跳ね返った。
「なっ!? な、何これぇッ!?」
レアットの鈍に依って衣服を斬り破られたルオラを縛りあげた仰天の様。
一体何が起きたのかまるで理解出来ない周囲の者共。されどアギド側に取っては、降って湧いた千載一遇。この機を逃す訳にはゆかないのだ。
「暗黒神の神竜ノヴァンよ、全てを焦がすその息を我に与えよ! ──『爆炎』!」
爆炎の魔導士アズール咄嗟の詠唱。爆炎はヴァイロの呪文史上、屈指の短い詠唱術だ。そして何よりアズールが最も手慣れた呪文。例え意識がぶれていようが果たせた。
スガァァンッ!
「アァァァッ!」
鎖で拘束されたルオラの背後で炸裂したアズールが唱えた爆炎。背中から弾かれのたうつ。そして未だ解かれぬ鎖、死にぞこないの犬が絡めた屈辱。
さらにルオラを襲う戦慄の巷。
アズールが造ったルオラの隙。
鎖で全身を拘束されたまま自分達の方へ弓形の姿で飛び込んで来た処を防御魔法で強化したミリアの慈悲無き拳。強かに地面を蹴って飛び上がり、そのまま引力を載せた。
ルオラを護ってくれた白い竜はレアットの爆発的な一閃で滅びへ転じた。ルオラの美しくも柔い頬を狙い澄ましたミリアが振り下ろした拳。ルオラ、まさしく風前の灯火。
「ミリアァッ! 止せぇッ、危険だッ!」
「──ッ!?」
ミリア最高の形を突然邪魔したアギドの悲鳴に近しい叫び。
重力任せのミリア、驚きつつも今さら止められぬ進撃。一体何が『危険』なのか、判断の暇さえ彼女には与えられなかった。
ガキンッ!
「……!」
「へへッ……!」
鈍器同士が相対した生々しい音が森深き滅びの村に木霊する。
蒼い宝玉突き出した杖と勝手に邪魔した斬れぬ鈍。
最高司祭の杖を突き出した偽りのエディウスが既に此処まで辿り着いた。蒼の宝玉から光束の槍を何故か出し惜しんだ。簡単な話、愛しい女子を斬れなかったエディウスの甘さだ。
対する邪魔者、それこそ犬か狼の様に新たな戦いの火種を嗅ぎつけたレアット。鈍の巨大剣、刃の側面を刺し出す障壁に転じた。
相手が可愛らしい少女だったので思わず手緩い加減を下したエディウスの苛立ち。
そんな心持ちなぞ全く知らないレアット、自身が熟せた仕事に満悦の笑みを浮かべた。
「え、エディ……」
「ルオラ、此処は退くのだ。我に全てを任せるがいい」
兎に角ルオラの面前に浮いて飛び出した偽りのエディウス。ルオラを声ひとつで制した滲む神格。
普段ルオラとの夜遊びに悦びを抱く白銀の少女が大人女性の大層哀れな変わり果てた姿を直視出来ない不謹慎を戦場に持ち込んだ。
「アンタがえでうすだな? 俺様はレアット、お前が滅ぼした村の生き残りだ」
一方、重力制御の術式なんぞ知らない筈のレアットが自身の足元に巻かせた風へ乗り、此方も空中に静止しながら、己の魂で女神を差して睨みを効かせた。
たいきもえでうすすら言い表せぬ漢が示した大気の異能。当人は一切意識などしていない発現。
「アギド先輩、ミリアの姐さん方。皆この場から離れろ! 此奴は村の仇! だから俺様が倒すッ!」
吼えたレアットの仇打ち宣言──。この女こそ村人達を無慈悲の内に消した相手だと身勝手にも決めつけた。
「フッ! 笑止だな、貴様如き馬鹿相手にこの女神が斬れるのか?」
仮初の身体に灯した自分の碧眼を以て見下したエディウス。されど愚かしいこの男が告げた台詞は全部当たっていた。『面白い』と肌で知れた。
「だ、だがレアッ……ト!」
「邪魔だって言ってんだ俺様はッ! エターナを連れてシアン姐さんを救ってやれッ!」
この場にレアット独りだけ置いて去るのに心残りが在る必然を訴えたアギド先輩。
だがレアット──戦の女神の司祭級、エターナ・アルベェラータを一刻も早く、傷ついたシアンの元へ送る様、えでうすを睨んだまま怒気を荒げた。




