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第55話 お墓参り③ 名前は正しく覚えてください



「では、わしが初めて部下を持った頃の話からだ!」

「おう」

「あれは、わしがまだ若かった頃のことでな!」

「はいはい、源ちゃん!」

「何だ!」

「長くなりそうだねえ!」

「まだ始めたばかりだ!」


 源蔵は、背筋を伸ばした。


「まず、当時の組織について説明せねばなるまい!」

「組織?」

「そうだ! 上司がいて、部下がいて、その下にも部下がおる!」

「……そうか」

「そして、わしがその部下たちをまとめておった!」

「そうかい、そうかい!」

「まずは組織図からだな!」

「……図?」

「うむ! 紙があれば説明できるのだが!」


 源蔵は、辺りを見回した。


 墓石。


 砂利。


 花。


 線香立て。


「……紙がないな」

「ないねえ!」

「仕方あるまい! 口頭で説明する!」

「おう」


「やめときな」


 別の声がした。


 なつの墓の斜め後ろから、1人の老婆が姿を現した。


 細い目。


 への字に曲がった口。


 腕を組んで、源蔵を見ている。


「その話、昨日も聞いたよ」

「……美津代!」

「昨日も組織図から始めてたじゃないか」

「組織を理解せずに仕事の話はできん!」

「誰も仕事なんか頼んでないよ」

「何だと!」


 なつが、嬉しそうに手を振った。


「みっちゃん! ちょうどよかった!」

「何がちょうどいいんだい」

「キクさんに紹介しようと思ってたんだよ!」

「……キク?」


 美津代は、通路を挟んだ向かいの墓に供えられた花を見た。


「……あんた、花かい」

「おう」

「返事するんだねえ」

「おう」

「変わった花だこと」

「……そうか」


 美津代は、キクをしばらく眺めた。


「で、いつからここにいるんだい」

「……今日だ」

「今日?」

「おう」

「それで、もうこの2人につかまったのかい」

「……おう」


 美津代は、深いため息をついた。


「気の毒にねえ」

「何が気の毒だ!」

「聞かなくてもわかるよ。あんたが仕事の話をして、この人が昔話をしてるんだろ」

「そうだよ!」

「なつ! そこで認めるな!」


 美津代は、鼻で笑った。


「死んでまで仕事の話とはねえ」

「……みっちゃんは、長いのか」

「みっちゃん?」

「おう」

「誰がみっちゃんだい?」

「……違うのか」

「美津代だよ! 美津代!」

「……なっちゃんはそう呼んでる」

「なつが勝手に呼んでるんだよ!」

「……そうか」

「まったく、ちゃん付けする歳じゃないんだよ!」


 なつが、楽しそうに笑った。


「いいじゃないか、みっちゃん!」

「よくないよ!」

「可愛いじゃないか!」

「可愛さなんかいらないよ!」


 源蔵が、うなずいた。


「その点については同意する!」

「何だい、急に」

「わしも源ちゃんなどと呼ばれて迷惑しておる!」

「そうだねえ、源ちゃん!」

「源蔵さんだ!」


 美津代は、呆れたように首を振った。


「まったく、騒がしい連中だよ」


 キクは、静かに揺れた。


「……みっちゃん」

「だから美津代だって言ってるだろ!」

「……おう」


 美津代は、キクをじっと見た。


「……あんたも、なつに似てるねえ」

「……そうか」


 なつが、からからと笑った。


「それでねえ、みっちゃん!」

「何だい」

「キクさん、みんなの昔話を聞いてくれるんだよ!」

「昔話?」

「そうそう! あたしも源ちゃんも、いっぱい聞いてもらってるんだよ!」

「……暇な花だねえ」

「……供えられてるからな」

「そりゃそうだ」


 美津代は、墓石のそばに立った。


「昔話なんて、何を話せばいいんだい」

「何でもいいんだよ!」

「……何でも?」

「そうさ!」

「だったら、うちの馬鹿どもの話でもしようかねえ」

「……馬鹿ども?」

「そうだよ! タマとポチ!」

「馬鹿者! 人をそんなふうに呼ぶものではない!」

「人じゃないよ! 犬と猫だよ!」

「……犬と猫?」

「そうさ!」


 美津代は、胸を張った。


「犬がタマで、猫がポチ!」

「…………」


 キクは、少し考えた。


「……逆じゃないのか」

「逆なんだよ!」

「……そうか」

「最初はちゃんと、犬がポチで猫がタマだったんだよ!」

「……おう」

「ところが、いつの間にか逆になっちまった!」

「……逆?」

「ポチって呼ぶと猫が来る! タマって呼ぶと犬が来る!」

「……そうなのか」

「何度教え直しても駄目なんだよ!」


 源蔵が、腕を組んだ。


「ふむ。何か原因があるはずだ!」

「そんなもん、あたしが知りたいよ!」

「普段はどのように呼んでおった?」

「ご飯のときだよ! 毎日ちゃんと呼んでたさ!」


 美津代は、得意げに話し始めた。


「まず、タマ、ご飯だよって猫を呼ぶんだ」

「……おう」

「ところが猫は来ない! 代わりに犬が飛んでくるんだよ!」

「……犬が?」

「そうさ! 尻尾を振って、早く飯を出せって顔をするんだ!」

「……そうか」

「仕方ないから犬の餌も用意してやるんだよ」

「……おう」

「今度はポチ、ご飯だよって犬を呼ぶだろ?」

「……おう」

「そしたら猫がやってきて、ニャーニャー鳴くんだよ!」

「……猫が?」

「そうさ! 自分のご飯はまだかってねえ!」

「……そうか」

「仕方ないから猫の餌も出してやるんだ!」


 源蔵は、しばらく黙った。


「……美津代」

「何だい」

「それを毎日繰り返しておったのか?」

「そうだよ!」

「犬はタマと呼ばれると餌が出てくる」

「猫を呼んでるのに、犬が来ちまうんだよ!」

「猫はポチと呼ばれると餌が出てくる」

「犬を呼んでるのに、猫が来ちまうんだよ!」

「……お前が逆に覚えさせておるではないか!」

「何だって!」

「呼ばれた方に餌を出すからだ!」

「犬と猫の餌はちゃんと別々だよ!」

「餌の種類の話ではない!」

「じゃあ何なんだい!」


 キクは、少し考えた。


「……みっちゃん」

「何だい」

「……2匹とも、名前を覚えてるんじゃないのか」

「……何?」

「……呼ばれたら、ご飯が出る」

「…………」

「……賢いな」

「馬鹿なんだよ!」


 なつが、からからと笑った。


「みっちゃん、2匹ともちゃんと考えてたんだねえ!」

「何を考えるっていうんだい!」

「どうしたらご飯が早くもらえるかだよ!」

「…………」


 美津代は、腕を組み直した。


「……まったく、食い意地ばっかり張って!」

「……おう」

「名前くらい、ちゃんと覚えなっていうんだよ!」

「……覚えてるな」

「逆なんだよ!」

「……おう」


 美津代は、ふんと鼻を鳴らした。


「結局、あたしが折れてやったんだよ!」

「……そうか」

「犬はタマ! 猫はポチ! それで決まり!」

「おう」

「まったく、手のかかる連中だったよ!」


 美津代は、そう言いながら、少し笑った。


 なつが、尋ねた。


「みっちゃん、昔から飼ってたのかい?」

「いや、娘が置いていったんだよ」

「娘さんが?」

「そうさ。急に遠くへ転勤が決まってねえ」

「おやまあ!」

「引っ越し先じゃ犬も猫も飼えないって言うじゃないか!」

「……そうか」

「自分で飼い始めたくせに、結局あたしに押しつけていったんだよ!」

「……大変だな」

「まったくだよ!」


 美津代は、腕を組み直した。


「それからは、あたし一人であの2匹の世話をすることになったんだよ!」

「……そうか」

「犬は朝から散歩に連れていけって騒ぐし、猫は膝の上に乗って動かない!」

「おやおや!」

「しかも、あたしの布団まで占領するんだよ!」

「……布団?」

「犬は足元! 猫は枕元!」

「……そうか」

「寝返りも打てやしない!」


 なつが、首を傾げた。


「旦那さんは、動物が好きだったのかい?」

「……うちの人かい」

「そうそう!」

「ずっと前に死んじまったよ」

「……そうだったねえ」

「あたしより8つも若かったくせに、先に逝っちまったんだから」

「……そうか」


 美津代は、何でもないことのように続けた。


「それからは、娘と2人で暮らしてきたんだよ」

「……そうなのか」

「そうさ。あの子を育てるのに、ずいぶん働いたもんだ」

「……大変だったな」

「大変だなんて思ってる暇もなかったよ!」


 美津代は、少し顎を上げた。


「娘が転勤してからは、あの2匹が毎日の相手になっちまった!」

「……そうか」

「雨が降ろうが雪が降ろうが、犬は散歩に行きたがる!」

「おう」

「猫は猫で、餌が気に入らないと、いつまでもニャーニャー鳴くんだよ!」

「……そうなのか」

「こっちは健康を考えて選んでやってるっていうのに!」

「……そうか」

「これじゃない、あれがいいって、文句ばっかりなんだから!」

「……大変だな」

「まったくだよ!」


 美津代は、少しだけ笑った。


「……毎日、騒がしかったよ」


 キクは、美津代を見た。


「……今は?」

「…………」

「……タマとポチ」

「…………」


 美津代は、墓地の入口の方を見た。


「……さあねえ」

「……そうか」

「あたしが死んじまったからねえ」

「…………」

「娘が引き取ってくれたとは思うけどさ」

「……おう」

「あの子、仕事が忙しいんだよ」

「……そうなのか」

「犬の散歩なんか、ちゃんと行ってるのかねえ」

「…………」

「猫だって、餌が気に入らないと食べないんだよ」

「……そうか」

「犬は暑いのが苦手だし、猫は寒いと布団に潜り込んでくるし……」


 美津代は、そこで口を閉じた。


 なつが、静かに尋ねた。


「みっちゃん、心配なんだねえ」

「心配なんかしてないよ!」

「そうかい?」

「犬と猫だよ! そんなもん、いちいち心配してられるかい!」

「そうだねえ」

「……ただねえ」

「うん?」

「ご飯の時間だけは、ちゃんと守ってほしいんだよ」

「……そうか」

「あいつら、時間になると待ってるからさ」

「……おう」


 美津代は、腕を組んだ。


「それに、名前を間違えられたら困るだろ」

「……名前?」

「そうさ! 犬がタマで、猫がポチ!」

「……おう」

「ちゃんと覚えてもらわないと、呼んでも来ないじゃないか!」

「……そうだな」


 源蔵が、咳払いをした。


「ふむ。ならば、引き継ぎが必要だったな!」

「引き継ぎ?」

「そうだ! 飼育方法、給餌時刻、名前の対応表!」

「名前の対応表?」

「犬はタマ、猫はポチ! 明記しておけば間違いは起こらん!」

「そんなもの、紙に書かなくてもわかるだろ!」

「そもそも、お前が逆に覚えさせたのではないか!」

「まだ言うかい!」


 なつが、楽しそうに手を叩いた。


「源ちゃん、得意分野だねえ!」

「当然だ! 引き継ぎは組織運営の基本だからな!」

「そうかい、そうかい!」


 美津代は、源蔵をにらんだ。


「じゃあ、あんたがタマとポチの世話をしてみな!」

「……わしか?」

「そうだよ!」

「わしは管理職だ!」

「犬と猫に役職なんか通用しないよ!」

「何だと!」


 キクは、少し考えた。


「……源ちゃん」

「源蔵さんだ!」

「……タマとポチ」

「うむ」

「……部下にするのか」

「…………」


 美津代が、声を上げて笑った。


「ははは! いいじゃないか! 犬と猫を部下にしてみなよ!」

「馬鹿を言うな!」

「どうせ言うことなんか聞かないよ!」

「わしの指導力を甘く見るな!」


 なつが、嬉しそうに身を乗り出した。


「じゃあ、キクさんも入れて3人だねえ!」

「……俺もか」

「そうだよ!」

「待て! 勝手に人数を決めるな!」


 源蔵は、慌てて腕を組んだ。


「そもそも、犬と猫はここにおらんではないか!」

「そうだったねえ!」

「そうだったねえ、ではない!」


 美津代は、まだ笑っていた。


「まったく、あんたたちと話してると、ろくなことにならないねえ」

「……そうか」

「そうだよ!」


 それから、キクを見た。


「……でも、あんたは変わった花だねえ」

「……そうか」

「こんなくだらない話を、ずっと聞いてるんだから」

「……おう」

「飽きないのかい」

「……今日初めて聞いたからな」

「……そりゃそうだねえ」


 美津代は、少しだけ目を細めた。


「だったら、また聞いてもらおうかねえ」

「おう」

「タマとポチの話なら、まだ山ほどあるんだよ」

「……そうか」


 源蔵が、すかさず口を挟んだ。


「待て! わしの話が途中だ!」

「まだ組織図の話かい?」

「そうだ!」

「もういいよ!」

「よくない!」

「じゃあ、あんたは組織図でも考えてな!」


 なつが、ぱっと顔を上げた。


「あら、あたしの話もまだ終わってないんだよ!」

「なつは少し休んでな」

「はいはい!」


 源蔵は、納得のいかない顔をした。


「……順番を決めるなら、責任者が必要だ」

「いらないよ」

「進行管理というものが!」

「いらないって言ってるだろ!」

「…………」


 美津代は、キクに向き直った。


「それで、あんた」

「おう」

「本当に何でも聞いてくれるんだね?」

「……おう」

「じゃあ、次はタマが風呂から逃げ出した話だよ!」

「……おう」


 源蔵が、キクを指さした。


「待て! 菊はわしの部下だ!」

「……いつからだ」

「今からだ!」

「……墓花だ」

「知っておる!」


 美津代は、とうとう吹き出した。


「花まで部下にする気かい!」


 なつも笑った。


「源ちゃん、部下ができてよかったねえ!」

「源蔵さんと呼べ!」


 キクは、静かに揺れた。


「……おう」


 どうやら、墓地では所属を断っても、勝手に配属されるらしい。





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