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第53話 お墓参り① 先客がいらっしゃいました



「……ずいぶん強い風だったな」

「そうかい? 今日は穏やかな方だよ」

「おう」


 ………………。


「…………誰だ?」


 キクの目の前に、小柄な老婆がいた。


 真っ白な髪には、ふんわりとパーマがかかっている。


 少なくなった髪を丸く膨らませ、にこにこと笑っていた。


「おや、あたしが見えるのかい?」

「おう」


 キクは老婆を見た。


 その向こうに、墓石が見えていた。


「……透けてるな」

「そうだねえ」


 さらに下を見る。


 老婆の足は、地面についていなかった。


「……浮いてるな」

「そうだねえ」

「……幽霊か」

「そうだよ!」

「おう」


 老婆は、キクの方へ顔を近づけた。


「あんた、ずいぶん落ち着いてるねえ」

「……そうか」

「幽霊を見るのは初めてじゃないのかい?」

「初めてだ」

「それにしちゃ驚かないねえ」

「……驚いてる」

「そうは聞こえないねえ!」


 老婆は声を上げて笑った。


「あたしは、なつ。なっちゃんって呼んでおくれ!」

「…………なっちゃん?」

「そうそう! いいねえ!」

「……おう」


 キクは、老婆を見つめた。


「なっ……ちゃん」

「はいはい!」

「…………おう」


 なつは、うれしそうに笑った。


「ところで、あんたのお名前は?」

「……キクだ」

「キクさんかい! よろしくねえ!」

「おう」


「いやあ、久しぶりに名前を呼んでもらったよ!」

「……そうか」

「みんな、なっちゃんって呼んでくれてたんだよ」

「おう」

「年を取ってからもねえ!」

「……そうか」


 なつは、キクの周りをふわふわと移動した。


「それにしても、不思議なこともあるもんだねえ」

「……何がだ?」

「あたしの姿が見えるなんてさ。いつもはほとんど気づいてもらえないんだよ」

「……そうなのか」

「そうさ。キクさんが返事をしてくれたからねえ」

「……そうか」

「嬉しくってねえ!」

「おう」


 なつは、キクの花を眺めた。


「ところで、キクさん。いつ亡くなったんだい?」

「……まだ生きてる」

「そうかい?姿が見えないねえ」

「……姿?」

「花の中に隠れてるんじゃないのかい?」

「……俺が花だ」

「花の中にいるんじゃないのかい?」

「……違う」

「そうかい。ここに来る子たちは、みんなかくれんぼが上手だからねえ」

「……かくれんぼ?」

「こっちからは見えてても、声が届かない子もいるんだよ」

「……そうなのか」

「話しかけられてるのに、あたしが気づかないこともあるんだろうねえ」

「おう」

「だから、こうしてお話ができるのは珍しいんだよ」

「……そうか」

「それで、あんたはどこにいるんだい?」

「……これが俺だ」

「……花そのものなのかい?」

「おう」

「へええ! そりゃ初めてだねえ!」

「……俺もだ」


 なつは、キクをじっと見つめた。


「じゃあ、生きてる花が幽霊と話してるってことかい?」

「おう」

「へええ! そんなことがあるのかい!」

「……あるらしいな」

「あたしも長いことここにいるけど、初めて見たよ!」

「おう」


 なつは、楽しそうに笑った。


「死んでからも、知らないことがあるもんだねえ」

「おう」

「生きてた頃は、幽霊なんて信じてなかったんだけどね!」

「……今は?」

「自分が幽霊だからねえ!」

「……そうだな」


 なつは、また声を上げて笑った。


「それで、キクさんはどうしてここへ?」

「墓花だ」

「お墓参りかい?」

「……供えられたんだ」

「そうだったねえ。自分じゃ歩けないものね」

「おう」


 なつは、墓石の方を向いた。


「お盆になるとねえ、こうしてお花を持ってきてくれる人がたくさんいるんだよ」

「……そうか」

「ありがたいことだねえ」

「おう」


 なつは、キクの隣にふわりと浮かんだ。


「キクさんは、いつまでここにいるんだい?」

「……二日くらいだな」

「二日?」

「おう」

「どうして二日しかいられないんだい?」

「……花だからな」

「…?」

「……外だと持たん」

「ああ、そうだったねえ! 生きてる花なんだものねえ」

「おう」

「この暑さじゃ、すぐに枯れちまうねえ」

「……根もないからな」

「そうだねえ。せっかくお話ができる相手に会えたのに」

「おう」

「中に入れてあげられたらいいんだけどねえ」

「……墓花だからな」

「そうだったねえ!」


 なつは、困ったようにキクを見つめた。


「もう少し長く生きたいとは思わないのかい?」

「……咲いたからな」

「咲いた?」

「おう」

「それで、もういいのかい?」

「おう」


 なつは、黙り込んだ。


 しばらくして、ぽつりと言った。


「あたしはねえ、八十七で死んだんだよ」

「……長いな」

「そうかい?」

「おう」

「でもねえ、あと一年だったんだよ」

「……一年?」

「米寿のお祝いがあったんだよ」

「……米寿?」

「八十八歳のお祝いさ。みんな集まるって言ってたんだよ」

「……そうか」

「息子が三人いるんだけどねえ。みんな家を出ちまって」

「おう」

「長男と三男は結婚して、孫も三人いるんだよ」

「……そうか」

「次男はいつまでたっても独り身でねえ!」

「おう」

「まあ、本人が幸せならそれでいいんだけどさ!」

「……そうか」


 なつは、ふっと笑った。


「うちの人も、お義母さんも、もういないしねえ」

「……そうか」

「広い家にあたし一人さ」

「おう」

「みんな忙しいんだよ。そんなことは分かってるんだけどねえ」

「……そうか」

「米寿なら、みんな帰ってくるって言うからさ!」

「おう」


 なつは、少しだけ声を弾ませた。


「それにねえ、ひ孫が生まれるんだよ!」

「……ひ孫?」

「そうさ! 長男の娘に、初めての子ができてねえ!」

「……そうか」

「米寿のお祝いには、その子も連れてくるって!」

「おう」

「楽しみにしてたんだけどねえ」


 なつは、悔しそうに口を尖らせた。


「八十七まで生きたんだよ! あと一年くらい、どうにかならなかったのかねえ!」

「……ならなかったんだな」

「そうなんだよ!」


 なつは、大きくうなずいた。


「まったく、人生ってのは思いどおりにならないねえ」

「おう」

「キクさんは、あと二日でいいのかい?」

「……今、生きてる」

「そうだけどねえ!」


 なつは、言葉に詰まった。


「……あんた、変わった花だねえ」

「……そうか」

「八十七年も生きたあたしが、二日しかない花に何も言えなくなるなんてねえ」

「おう」


 なつは、墓石を見つめた。


「……みんなでお祝いするはずだったんだよ」

「……そうか」

「お嫁さんたちも、孫たちもねえ」

「おう」

「それなのに、八十七で終わっちまった」

「……そうか」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、なつが顔を上げた。


「そうだ! キクさん、あたしの話を聞いておくれよ!」

「……話?」

「そうさ! せっかくこうして話せるんだもの!」

「おう」

「八十七年も生きたんだから、話したいことが山ほどあるんだよ!」

「……そうか」


 なつは、にっこり笑った。


「まずは、あたしが若かった頃からだねえ!」

「おう」

「あの頃はねえ、今みたいに便利なものなんて何にもなくてね!」

「おう」

「朝から晩まで働いて、それでも毎日忙しくてねえ!」

「おう」

「そうそう! あたしが嫁に来たときなんか、そりゃもう大変だったんだよ!」

「おう」


 なつの話は、なかなか止まらなかった。


「それでねえ、お義母さんがまた厳しい人で!」

「おう」

「でも、あたしだって負けてなかったからねえ!」

「おう」

「最後は寝たきりになっちまってねえ。そりゃ大変だったんだよ!」

「……そうか」

「うちの人なんか、ちっとも手伝いやしない!」

「おう」

「でもねえ、お義母さんが最後に一度だけ、ありがとうって言ってくれたんだよ」

「……そうか」

「あれには参ったねえ!」


 なつは、照れくさそうに笑った。


「そうそう、あれは確か六十年以上前の夏だったかねえ!」

「……六十年前?」

「そうだよ!」

「……ずいぶん前だな」

「何言ってるんだい! まだ始まったばかりじゃないか!」

「……そうか」


 キクは、静かに返事をした。


「それでねえ、キクさん! 聞いてるかい?」

「おう」

「よかった! 最近は誰も話を聞いてくれなくてねえ!」

「……そうなのか」

「お墓参りに来てくれても、あたしの声は聞こえないからねえ」

「おう」


 なつは、少しだけ寂しそうに笑った。


「だからねえ、こうして誰かと話せるのが、うれしいんだよ」

「……そうか」

「それに、あんたはちゃんと聞いてくれるしねえ」

「おう」


 なつは、うれしそうに身を乗り出した。


「じゃあ、続きを話してもいいかい?」

「おう」

「本当かい! ありがとうねえ!」

「おう」

「それじゃあ、あたしが嫁に来た日の話から!」

「……さっきも聞いたな」

「そうだったかい?」

「おう」

「まあいいじゃないか! もう一回聞いておくれよ!」

「……おう」


 キクは、静かにうなずいた。


 どうやら、墓地には営業時間というものはないらしい。





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