第39話 保管場所には理由があります
作業台の上には、二つの輪ゴムのカゴが少し離れて並んでいた。
一つには太い輪ゴムの#260。
もう一つには細い輪ゴムの#16。
ゴムデラックスとじゅうろくちゃん。
先ほどまでゴムデラックスのカゴを覆っていた伝票ファイルは、ようやく片づけられていた。
「……まったく。今日も散々だったわねえ」
「デラックスちゃん、三回も隠れたね!」
「数えなくていいのよ!」
「でも、昔よりはいいよね!」
「……まあ、そうねえ」
「昔は私たち、あっちにいたよね!」
「客の側ね」
「よく落っこちたよね!」
「……忘れたいことを次々と思い出させるわねえ」
以前、二つの輪ゴムのカゴは、重ねたまま作業台の手前に置かれていた。
下には#260。
上には#16。
菊の下葉を取る作業が始まると、床には葉が積もっていく。
店員が菊を一本持ち上げた。
下葉を取る。
また一本。
下葉を取る。
床には、緑色の葉が積み重なっていった。
店員が次の菊を取ろうとしたとき、手が上のカゴに当たった。
カゴがずれた。
下のカゴも傾いた。
「……あら?」
「デラックスちゃん?」
「……ちょっと待ちなさい」
バサーッ。
重なっていた二つのカゴが倒れ、輪ゴムが菊の葉の上に散らばった。
「ちょっとおおおお!」
「落ちたあああ!」
「また一緒に落ちたわね!」
「まただあああ!」
店員が床にしゃがんだ。
目につく輪ゴムを拾い始めた。
太い輪ゴムが一本。
もう一本。
さらに一本。
「……ほら、ちゃんと見つけてもらえるじゃない」
じゅうろくちゃんが言った。
「デラックスちゃん、どんどん戻ってる!」
「アタシは目立つからねえ」
「私、まだいる!」
「アンタもそのうち拾ってもらえるわよ」
店員が細い輪ゴムも何本か拾った。
「助かったあああ!」
しかし、菊の葉の間には、まだ別のじゅうろくちゃんたちが残っていた。
店員が立ち上がった。
「…………」
「……デラックスちゃん?」
「何よ」
「私、まだいる」
「……そうね」
「葉っぱの中に」
「……見えてるわよ」
「店員、立っちゃった」
「……まだ終わりじゃないわよ」
店員が、ほうきとちりとりを持ってきた。
「…………」
「デラックスちゃん!」
「……何よ」
「ほうき!」
「見えてるわよ」
「ちりとり!」
「それも見えてるわよ」
「まただあああ!」
「……落ち着きなさいよ」
「前にもこうやって、じゅうろくちゃんがいなくなったの!」
「……そうだったわねえ」
「いっぱい拾ってもらったのに!」
「そうね」
「全部は帰ってこなかったの!」
「……そうねえ」
店員が菊の葉を掃き集めた。
細い輪ゴムが、葉の間に紛れていく。
「いやあああ! また掃かれるううう!」
「ちょっと! その子、輪ゴムよ! 葉っぱじゃないのよ!」
店員がちりとりの中を確認した。
太い輪ゴムが一本見つかった。
「……あら、アタシね」
続いて、細い輪ゴムが二本見つかった。
「助かったあああ!」
「よかったじゃないの」
店員が残りの葉を少しかき分けた。
さらに一本、輪ゴムを拾った。
「もう一本! もう一本いるの!」
「そうよ! まだ終わってないわよ!」
店員が立ち上がった。
「……ちょっと?」
「まだいるってば!」
店員はゴミ箱へ向かった。
「……嘘でしょう?」
「いやあああ! まただあああ!」
葉と茎が、ゴミ箱へ落ちた。
バサッ。
「じゅうろくちゃあああん!!」
「……また間に合わなかったわねえ」
愛さんが言った。
「清掃は終了しました」
「救助は!?」
「……そうよ、救助はどうなったのよ!」
「終了しました」
「また打ち切られたあああ!」
「……容赦ないわねえ」
ゴムデラックスが言った。
「……アンタ、毎回こんな思いしてるの?」
「うん……」
「……アタシ、太くてよかったわ」
「デラックスちゃん、ずるい……」
「……それはアタシに言われても困るわよ」
別の日。
花を購入した客が、作業台の輪ゴムに目を留めた。
太い輪ゴムを一本指さした。
店員が一本渡した。
「あら、ご指名?」
ゴムデラックスが言った。
「アタシの価値がわかる人もいるのねえ」
客は輪ゴムをバッグにしまった。
「…………」
カゴに残っていたじゅうろくちゃんが言った。
「デラックスちゃん、お引っ越し?」
「……そうみたいね」
「どこに?」
「アタシが聞きたいわよ!」
次の客は、細い輪ゴムを欲しがった。
店員が一本渡した。
「今度は私!」
「……アンタもね」
「お花を束ねるのかな!」
「……そうだといいわねえ」
じゅうろくちゃんも、客と一緒に店を出ていった。
それからも、輪ゴムを欲しがる客がいた。
一本。
また一本。
中には、店員に声をかけずに持っていく客もいた。
「……ちょっと」
「どうしたの?」
「アタシたち、いつから無料配布になったのよ!」
「人気者だね!」
「人気の方向が違うのよ!」
愛さんが言った。
「輪ゴムは店舗の作業用資材です」
「そうよ!」
「無料配布を目的としていません」
「そうなのよ!」
「ただし、持ち帰られる事例が発生しています」
「だから困ってるんでしょうが!」
じゅうろくちゃんが言った。
「デラックスちゃん、またお引っ越し?」
「無断で引っ越しさせられてるのよ!」
「お給料は?」
「元から出ないわよ!」
「大変だね!」
「アンタも同じでしょうが!」
さらに、別の日。
親と一緒に来店した子供が、作業台の輪ゴムのカゴに手を伸ばした。
親は花を見ていて、気づいていない。
子供が太い輪ゴムを一本取り出した。
「……あら、小さな客?」
子供は輪ゴムを両手で引っ張った。
「……ちょっと」
さらに伸ばした。
「……ちょっと待ちなさい」
指に引っかけた。
「……嫌な予感がするんだけど」
片方の指が離れた。
ピンッ。
「ちょっとおおおお!」
ゴムデラックスは作業台から数メートル先へ飛んだ。
床に落ち、少し跳ねた。
「…………」
カゴに残っていたじゅうろくちゃんが言った。
「デラックスちゃん、飛んだあああ!」
「……飛んだわね」
「すごく飛んだね!」
「……見世物じゃないのよ!」
子供が、今度は細い輪ゴムを取り出した。
「…………」
「……じゅうろく?」
「……また?」
「……またみたいね」
輪ゴムが引っ張られた。
「いやあああ!」
指が離れた。
ピンッ。
「じゅうろくちゃあああん!」
細い輪ゴムも、作業台から飛んでいった。
先に飛ばされたゴムデラックスの近くに落ちた。
「…………」
ゴムデラックスが言った。
「……アンタも来たのね」
「来たくなかったあああ!」
「……アタシだってそうよ!」
店員が子供の様子に気づいた。
店員は子供に近づき、輪ゴムのカゴを指さして使用を控えるよう促した。
それから、作業台に戻った。
二つのカゴを持ち上げ、客から見えず、手も届かない作業台の奥へ移した。
床に飛んだ輪ゴムは、そのまま残されていた。
「…………」
「デラックスちゃん」
「……何よ」
「私たち、置いていかれた?」
「……そうみたいねえ」
愛さんが言った。
「再発防止措置が実施されました」
「……それは結構なことね」
「輪ゴムのカゴは安全な位置に移動しました」
「……アタシたちは?」
「床に残されています」
「知ってるわよ!」
「今後、子供による持ち出しの危険は低下すると考えられます」
「……今後の話より、今のアタシたちをどうにかしてちょうだい!」
やがて店員が床に落ちた輪ゴムに気づいた。
目についた太い輪ゴムを拾い、続いて細い輪ゴムを拾った。
二本は作業台の奥のカゴへ戻された。
「……やっと帰ってこられたわねえ」
「もう飛ばされないかな?」
「そう願いたいわね」
「もう持っていかれないかな?」
「そうでしょうね」
「葉っぱにも落ちないかな?」
「……それは店員次第よ」
愛さんが言った。
「保管位置の変更により、客による持ち出しや遊戯の危険は低下しました」
「そう。それでいいのよ」
「ただし、作業台上での物品の重なりについては、対策されていません」
「…………」
現在。
二つの輪ゴムのカゴは、同じ作業台の上で、少し離して置かれていた。
太い輪ゴムの#260は、作業台の奥。
細い輪ゴムの#16は、花を束ねる作業のすぐ近く。
「……昔よりは平和になったわねえ」
「そうだね!」
「カゴも重ねられなくなったし」
「そうだね!」
「落っこちることも減ったし」
「…………」
じゅうろくちゃんは黙っていた。
「……じゅうろく?」
「……私、あんまり変わってない」
「…………」
愛さんが言った。
「#260の落下頻度は減少しています」
「そうでしょうねえ」
「#16の落下頻度には、大きな変化がありません」
「…………」
じゅうろくちゃんが言った。
「……どうして?」
「#16は使用頻度が高く、作業中に接触する機会が多いためです」
「……私、働き者だから?」
「はい」
「…………」
ゴムデラックスが言った。
「……アンタ、働きすぎなのよ」
「でも、束ねるのが私の仕事だから!」
「……そうねえ」
店員が#16のカゴに手を伸ばした。
輪ゴムを一本取り出した。
その手が、カゴの縁に当たった。
カタン。
「…………」
じゅうろくちゃんが言った。
「デラックスちゃん」
「……何よ」
「また、ほうきが来るかな」
「……まだ落ちてないでしょうが!」
愛さんが言った。
「なお、#16の落下防止対策は未完了です」
「いやあああ! また落ちるううう!」




