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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
7章 不死国家が巡る朝 ―凛紅(リンコウ)―
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86話 聖女の拳

 なにが師匠だ。

 なにが鍛えるだ。


 激しい風圧の中、私はただ、こちらを見下ろすウェンゴウを睨みつけていた。


「あのおじさん、絶対許さない……!」


 風に打たれる身体をひねり、近づく街を見据えた。

 乾く目を見開き、足を下に向け、邪魔な裾をまくり上げる。

 そして――何とか、目当ての天幕に着地できた。


「はぁ……」


 ただ、ほっとしてもいられない。

 露店の紅の天幕が揺れていると気づいた衛兵が、こちらに集まってきた。


「……っ、逃げなきゃ」


 それでも、軽く屋根を飛んで走るうちに、衛兵たちはすぐ見えなくなっていった。


 意外と簡単に逃げられるものだ。


「あ……そっか」


 ふと頭をよぎったのは、大聖女様との追いかけっこの日々。

 修道院の高い建物を越えて走っていたあの頃が、もはや遠い昔のように感じられる。


「……オババ、元気かな」


 鬼の形相を思い浮かべながら呟いた、瞬間――顔面に衝撃が走った。


「……っ!?」


 目の前に壁なんてなかったはずなのに――それにこの壁、少し湿っている。


「おい」

「あっ……」


 見上げた壁は、ウェンゴウの直の胸板だった。


「逃げてねぇで戦え」


 いったい、いつの間に先回りしていたのか。

 ウェンゴウの顔を見上げる間にも、彼の背後から手槍が飛んできた。


「わっ」


 このくらいなら、ちょっと身をそらせば簡単に避けられる。

 でもウェンゴウは、そんな私を見て眉根を寄せていた。


「おいおい、ちゃんと戦えよ。そのちっこいのに立派な拳、使わねぇ気か?」


 衛兵との戦いを避けている。

 そう言われて、思わず肩が揺れた。


「影と壁は殴るけど……人は殴りたくない」

「あ? エリアスのこと、修道院でぶん殴ったって聞いたが」


 やっぱり元勇者パーティーだ。

 勇者の息子、エリアスのことは当然知っているらしい。

 それに、私と彼の因縁についても。


「あれは仕方ない……でも、もう殴らないって彼には言った」

「なら、今は修行優先だ。殴れ」


 殺気は感じないものの、攻撃にためらいのない衛兵たち。そんな彼ら10人あまりを指差しながら、ウェンゴウは言った。


「でも……」

「んじゃ俺、寝るわ」

「……は?」


 急に地面へ寝転んだウェンゴウは、寝息を立て始めた。

 衛兵の槍が迫っても、彼は本当に起きようとしない。


「ウェンゴウ……!」


 挙句、いびきまでかき始めた彼に、唇を噛みしめた。


「……っ」


 やるしかない。


 不安定に揺れる拳を手刀に変え、迫る衛兵に向き直った。

 ただの人間の衛兵たちを前にすると、やっぱり身体が震えてしまう。

 それでも――ウェンゴウが私に使ったのと同じ方法で、彼らの首元を狙っていった。


「ごめん……」


 衛兵たちは、いとも簡単に背後を取られ、次々と地面へ崩れていく。

 彼ら全員が地に臥したところで、深いため息がこぼれた。


 道行く人たちは、倒れる衛兵の中に立つ私を指差し、ひそひそと囁き合っている。


 手刀を入れたはずなのに、骨や肉を打った感触がほとんどなかったけれど――ただの人間相手だと、こんなものだろうか。


「よくやったな、弟子」

「……」


 何事もなかったかのように起き上がったウェンゴウの腹を、軽くパンチした。


「お前っ、あいつらより力込めてやりやがったな?」

「おじさんは私より強いから、このくらい平気でしょ」

「クソ……でもよ、これでよく分かったわ」


 腹を押さえていたウェンゴウは、その手で私の拳を持ち上げた。

 また、じっくり観察しているらしい。


「……ジェニファ呼ぶ?」

「ややこしくすんな!」


 ウェンゴウの指が、私の手の甲から腕の血管まで、なぞるように這っている。

「くすぐったい」と身をよじらせていると、彼は拳を見つめたまま口を開いた。


「この馬鹿力、筋肉だけで殴ってるんじゃねぇな」

「……? これは筋肉と骨のカタマリでは?」


 拳を握ってみせると、ウェンゴウはふっと笑った。


「ああ、だが肝は別……その拳に流れてるのは、聖力だな」

「え……?」


 私は今回、聖力を使っているつもりはなかった。


 いったい、どういうことなのか――。


「ちと難しい話になるが、ついてこいよ?」

「……うん」

「本来なら回復魔法や光魔法に変わる聖力を、お前さんは無意識に肉体強化へ回してる」

「え……それって」


 私は生まれつき聖力が弱いのではない。

 聖力が、身体能力を引き上げる力に変換される体質みたいだ――ウェンゴウはそう続けた。


「でも私、回復と光魔法が使えないから、聖力が弱いって言われてて……」

「外に出せる分だけ測りゃ、そりゃ弱く見えるわな。お前さん、作った端から身体に食わせてる」

「……つまり?」

「つまりお前さんの聖力は、自分の身体を生かす方へ真っ先に流れてるってこった」


 私の力が、私の身体を生かそうとしている。


 そう理解した途端。ふと、頭に灰色の窓がよぎった。


(もしかして……前世の記憶がそうさせた?)


 今度こそ、自分が納得できる人生を生き抜くために。


「そっか……そうだったんだ」


 聖女のくせに、無駄に怪力だと言われてきたこの身体――何だか急に愛しくなって、自分を自分の腕で抱きしめた。


「で、だ。聖力は祈りで引き出される」


 少し硬くなったウェンゴウの声に、以前、ギザールから聞いた言葉を思い出した。


『聖力は祈りから生まれるんです! “誰かを信じる心”っていうか』


 初めて修道院の外へ出て、影と対峙したあの時。

 私はあの影に勝つため、私の信じるジェニファを思い浮かべた。


「聖女が勇者像に祈りを捧げるあれは、聖力を上げるための修行でもあったはずだ。お前、ちゃんとやってたか?」

「うっ……」


 勇者像の首を折ったことはあっても、祈ったことはない。

 そう正直に告白すると、ウェンゴウは吹き出した。


「それは最高だが、今よりぐんと聖力を高めねぇと……その拳、皇帝にゃ届かねぇぞ」

「……!」


 私の想い、それに祈りがまだ足りない。

 ウェンゴウはそう言っているのだ。


「でも……」


 これまでは、ジェニファとギザール、オーリウス、そして旅の途中で出会ったみんなのことを思い浮かべてきた。


 それでも足りないなら、私はどうすればいいのか――。


「勘違いすんな。想いの強さじゃねぇ。お前は、それを狙って力に変える方法を知らねぇんだ」


 私の想いが足りないわけではない。

 その想いを、祈りとして力へ変える方法を、私はまだ知らないということか。


「あとは、単純に弱い」

「……は?」


 ちょっと苛立って、ウェンゴウを見上げると。

「戦い慣れてねぇって意味だよ」と、彼に頭を小突かれた。


「それにしてもお前の動き、野生動物みてぇだな。誰に習った?」

「それは……」


 言えない。


 物心ついた時には、修道院の森に棲む野生動物を追いかけていたなんて。


「ま、修道院の護衛の傭兵上がりどもが、組み手の相手ってところか?」

「それは……そう」


 ある聖女に手を出そうとした傭兵上がりを私がぶちのめして、大聖女様が護衛をみんな解雇した――なんてことも、決して言えない。


「まぁまずは追っ手の相手しながら、残り2日で俺と組み手100本な」

「……聖力の方は?」

「そりゃ、お仲間にでも聞いてみろ」

「え……」


 急に突き放された気がしたけれど。

 いつもの怠そうな態度の割に、その目は真剣だった。


「ん、追いついてきたか」

「え……?」


 ウェンゴウの見つめる先を、目で追うと。


「ミュウルさん、ちょっと来てください!」


「大変なものを見つけた」と、ギザールが走り寄ってきた。


 また、ギザールの“世紀の大発見”だろうか――。


「ギザールの発見は、難しいことばっかりだから……」

「違うんすよ! 壁! 城壁に人が埋め込まれてるんっす!」


 壁に人。


 冗談ではないと訴える瞳に、周りの賑わいが遠くなっていった。

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