85話 ゴリラ聖女、師と出会う。
衛兵が近くから消えたのを確認して、5人で通りへ出ることにした。
ギザールの仮説、「この都の人は、みんな不死?」を確かめるために。
ただ、このまま出て行っては相当目立つ。
そういうわけで、眠民の家族の服を借りたのだけれど――。
「俺、こういう趣味ないんだが」
ウェンゴウだけは眠民の父の服が入らず、上半身裸で歩いている。
「暑そうなジャケットより全然いいよ。ナイス筋肉」
慰めるつもりで言えば、軽く額を小突かれた。
「お前さんこそ、ひらひらの着物がよくお似合いだぜ」
「……あんまり見ないで」
少しだけ、ウェンゴウは私たちに馴染んできたように見える。
でも彼が私を利用してこの都へ侵入し、さらに何かさせようとしているのは事実だ。
無言で隣のギザールを見つめると、彼は咳払いをひとつして、「それにしても」と辺りを見回した。
「よーく見ると、確かに変っすね、ここ」
これだけ大きな都なのに、街中が清潔で、争いが起きている様子もない。
ギザールの言葉を受けて、前を歩く眠民が振り返った。
「はい、ええと……『不治の病にかかった近所の人が、何日か経つと仕事に戻っているの』」
眠民が指したのは、猟銃を背負って歩く若者だった。
「それって……」
ジェニファが目撃した、転んだのに怪我をしていなかった子どもと同じ――この都の人は、怪我や病気に怯える必要はないということだろうか。
「まぁ……それは何だか」
きっとジェニファのことだ、「気味が悪い」と言いそうになって飲み込んだのだろう。
彼女は、何食わぬ顔で働く商家の人たちを眺めていた。
でもここの人たちは、自分が不死になっていることに気づいていないかのような、穏やかな顔で過ごしている。
(そういうものなの……?)
「『気味が悪いよね。これってきっと、何年も姿の変わらない“皇帝さま”のせいなんだよ』」
私たちが飲み込んだ言葉を、眠民自身が口にした。
どうやら彼女は、道端で笑い合う彼らとは違うらしい。
「『こっち、来てみて』」
眠民が足を踏み入れたのは、緩やかな坂の続く竹林だった。
葉の擦れるさらさらという音を聞くうちに、整備されていない坂の先には、小高い丘が見えてきた。
「わぁ……」
皇帝の城の屋上から見た時よりも、ずっと広く都が見渡せる。
やっぱりここは、白と灰色に赤が交じる、石造りの街並みが美しい。
でも――町を行き交う人々は、何だか記号のように見えた。
「死なない都って、すごいね」
死んでも生き返る民。
同じ命が、終わりと始まりを永遠に繰り返している。
それだけ聞けば、無敵のように思える。
「でも、進まないんだね」
「『……そうだよ』」
誰も未来の話をしない。
結婚式も、葬式もある。
でも出産の祝いがない。
眠民はそう言って、瞼を伏せた。
「『新しい命は生まれない……ここには“未来がない”の』」
“命”という言葉に、ジェニファは肩を揺らしたように見えた。
彼女だけではない。ギザールもウェンゴウも、この都の「異質」を目の当たりにして、自分の言葉を失っている。
「『外から来た人なら、この国の終わらなさを壊せるかもしれない』」
「え……?」
光を宿した茶色の瞳が、私をまっすぐに見上げた。
眠民はそのまま瞬きもせず、「『どうか終わらせて』」と言い放った。
「眠民ちゃん……『外から入ってきた人は、ほとんどいないから』って……どうしますか、ミュウルさん」
「どうって……」
もし、それができるとして。
私が終わらせてもいいのだろうか――。
「でもよ、いいのか?」
言葉が探せない間に、深く息を吐いたのはウェンゴウだった。
「この都の連中は、不死の生活を満喫しているように見えるんだが」
誰も異議を唱えていないと、ウェンゴウは遠くの街並みを見つめた。
それに対して、眠民は――「『構わない』」と寂げに笑った。
「『終わらせてあげてほしいの。私、ずっと見てきたから』」
「え……?」
その微笑みが、何だか大人びて見えた。
もうずっと、何年も、何十年も、ここから都を見下ろしてきたみたいに。
「『お姉さんが追われてるのって、きっと皇帝が怖いと思う力を持ってるからなんだよね』」
だから、私にこの異様な永遠を壊してほしいという。
「永遠……」
ふと、皇帝の姿が頭に浮かんだ。
最初に都を見下ろしていた顔は、面布でまったく見えなかったけれど――。
なぜか、少し寂しげに見えた。
「……ミュウルさん」
ギザールが、「どうする?」とも言わずに私を振り返った。
「ミュウル様」
ジェニファが、私をじっと見つめて頷いた。
きっと二人は、もう確信しているのだろう。
私が納得できる答えを選ぶと。
でも、その前に――少しだけ険しいウェンゴウの顔を見上げた。
「もしかして……都に入るためだけじゃなくて、皇帝を倒すために私を連れてきたの?」
ウェンゴウが私たちを連れ帰らない条件は、“私たちの働き次第だ”と最初に言った。
城壁の内側に入ることが目的だったならば、私の聖力はもう必要ないはずだ。
「もしかして、あなたがいくら強くても……皇帝の作った城壁は壊せない、とか?」
少しだけ煽るように、でも真剣に言うと。
新しい煙草を取り出したウェンゴウは、白い煙を吐き出し――クスクスと笑いはじめた。
「考える役は黒髪坊やかと思ってたが……お前さん、なかなか鋭いじゃねぇか」
初めて見る笑顔に、思わず口をポカンと開けてしまった。
ジェニファとギザールも、顔を見合わせている。
「この殿方、意外と上品に笑われますね……」
「お、嬢ちゃん惚れたか?」
「お黙りください、煙臭いオジサマ」
ジェニファとウェンゴウが騒ぐ間にも、眠民がこちらを見ていた。
また、あの大人びた目で。
(眠民だけ、なんか違う……?)
「とにかく、オレらが皇帝を倒せば見逃してくれるってことでいいんっすよね?」
ギザールが言い合う二人の間に入っていくと、ウェンゴウは「ああ」と頷いた。
「ま、仕方ねぇわな。俺ひとりじゃどうにもならんし」
「でも、どうするの?」
私の聖力が皇帝の壁に有効だということは、この都に入り込めたことで証明されているのかもしれない。
でも、今の私の力では皇帝に勝つどころか、ウェンゴウの足手まといになるだろう。
「ほう? 意外に冷静じゃねぇの」
「悔しいけど、事実だから」
船の上で気絶させられたことも、当然まだ忘れていない。
「ああ、そうだ。だから最低限鍛え上げてやる」
「……え?」
いま、「鍛える」と言ったのか――?
ウェンゴウは、目を瞬かせる私に構わず、私の拳を掴んで観察しはじめた。
「なっ、ミュウル様のお手に易々と――」
「ジェニファさん、今は抑えて!」
二人が騒ぐ間にも、ウェンゴウはひと通り眺め終えている。
さっきので、いったい何が分かったのだろうか。
「それで、お前はどうする?」
改めて、この都の壁を殴る気があるのか。
ウェンゴウは静かな口調で言った。
「私は……」
チラッと、眠民に視線を遣ると。
彼女は怯えるでもなく、絶望するでもなく、ただ静かに私を見ていた。
壊すかどうかを決めるには、まだ知らないことが多すぎる。
皇帝は、何のためにこんなことをしているのか。
そもそも、いくら強力な魔族とはいえ、都中の人間を不死にできるのか。
それでも――壊す前にまずは、皇帝から話を聞くべきかもしれない。
この都は奇妙だけれど、一度見たら忘れないほど鮮烈な色をもっている。
少なくとも、皇帝はこの都を慈しむように見下ろしていて、壊そうとしているようには見えなかった。
だったら――。
「皇帝に届く拳がほしい」
そのうえで、壁を壊すべきか見極める。
絞り出した決断に、ウェンゴウは私の手を握る力を強めた。
「いいんだな? 俺ぁこう見えても厳しいぜ」
「……っ」
この目――船の上で気絶する直前に見た、夕日色の眼光と同じだ。
背筋が震える。
それでも「構わない」と口にした、直後。
「よし、んじゃ行くか」
突然、ひょいと、ウェンゴウが私の身体を持ち上げた。
「まずはどこまでやれるか、“師匠”に見せてみろ」
「は……わっ!」
いったい何が起こったのか。
気づけば、身体が街の真上に放り出されていた。
このおじさん――遥か下で私たちを探している衛兵目がけて、人を紙飛行機のように投げ飛ばしたのだ。




