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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
7章 不死国家が巡る朝 ―凛紅(リンコウ)―
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83話 壁を操る皇帝

 石造りの城の中には、甘ったるい線香の煙が漂っていた。

 門前を守る革の鎧の衛兵たちは、その匂いに酔っているみたいにぼうっとしている。


「すんなり入れたけど、なんで?」


 煙にむせているウェンゴウに尋ねると、代わりにギザールが隣に並んだ。


「“皇帝”とかっていう王様が、オレらを通すように命令してたらしいっすよ」

「……私たちのこと、もう知ってるってこと?」


 石畳みしかない中庭を横断する間、城の中で働く人たちは、私たちにお辞儀をするだけで通り過ぎていく。

 まるで、私たちが見えていないかのようだ。


「……なんだか気持ち悪いですわね」

「大丈夫?」


 ジェニファも甘い匂いに酔ったのだろうか。

 背中をさすろうと、彼女の後ろに回ったところで。


「うわっ、なんすか!?」


 衛兵たちが、いつの間にかギザールの肩を叩いていた。

 

「皇帝がいる屋上に行けるのは、ウェンゴウさんと付き添いひとりだけだって言ってますね」

「ひとりだけ……」


 皇帝という人物が、すでに私たちのことを知っているとして。そう指示を出したのには、きっと理由があるはずだ。

 そもそもウェンゴウは、ここに来た目的をまだ教えてくれない。


 でも、勇者の依頼を蹴ってまで、わざわざ連れてきたということは――。


「ウェンゴウ、私が行く」

「……だな」


 彼は何か、私に見せたいものがあるはずだ。


 見上げた顔は、通りを歩いている時とはまるで違っていた。

 相変わらず目には覇気がないのに、肌が粟立つような気配を放っている。


「ギザール、ジェニファ……外で待ってたほうがいいかも」


 念のため、二人に元の通りへ向かうよう言って、背中を向けたウェンゴウに続いた。

 右へ、左へと、長い石の階段が続いている。


 単調でひんやりとした空間を上へと昇るうちに、やがて――少し湿った風が髪をさらっていった。


「ここは……」


 見渡すほどの、石造りの屋上。


 眼下には紅都の旗が踊り、市場のにぎわいが遠くに聞こえる。

 風に混じるのは、香辛料や焼き物の匂い。


 そんなものを見下ろしながら、少しも動かない男がいた。


「ウェンゴウ、あれが……?」

「おう、違いねぇな」


 彼の纏う闇色の衣だけが、風に逆らって動いている。


「来たな、我が都へ踏み入った者たちよ」


 振り返ったのは、顔を面布で隠した大男だった。

 首から上が、ぼんやりと濁って見える。


「皇帝……?」


 声がこぼれた瞬間、大男は布を揺らした。


「我を恐れず見つめるか。貴様は……」


 彼が息を吸い、口を閉じた、その瞬間――膝が崩れ落ちた。


「……!」


 いま、何が起こったのか。

 

 オーリウスやヴァニアの、肺が重くなるような魔力の圧とも違う。

 ウェンゴウの、にじみ出る気迫とも違う。


 内側から少しずつ解体されて、身体の中を覗かれているような気分だ。


「そうか。ヒトの有する聖なる力をもって、“壁”を越えたか」


 膝をついたまま、せめて拳だけは握ったけれど。

 隣のウェンゴウは、何事もなかったかのように仁王立ちしている。


「よぉ魔族の。そろそろ俺の事情、話して良いか?」

「……っ!」


 魔族。

 いま、確かにそう言った。


「ここ最近、東に妙な城壁が立ってるって聞いたんだわ。しかもその壁、終わりがねぇとか」

「終わりがない……?」


 思わず漏れた声に、ウェンゴウは「ああ」と呟いた。


「上から越えようが、魔法をぶつけようが、びくともしなかったらしい」


 旅の考古学者から聞いたと言うが――。


「それって……」


 元勇者パーティーにしてギザールの師匠、ヴァニアのことかもしれない。


「どう考えても普通じゃねぇ。そんなもんを、帰郷がてら見に来たってわけだが……お前さんの仕業だな?」

「そうか。その目、その肌……我が国の古き血を継ぎしものか」


 皇帝が宙に手をかざすと、何もないところに黒い線が現れた。

 空間を切り取るように開いたそれは、一枚の黒い正方形へ広がっていく。


「壁……?」


 ウェンゴウと皇帝の間にそびえた壁は、風ではない何かの力で揺らめいていた。


 肌で感じる。

 あれは世界を隔てる壁と同じものなのだと。


 それに――あれが現れた時の音が、壁を殴った時のものと似ていた。


「この国を囲ってる壁を解け。外からも中からも、まともに通れやしねぇ」


 ウェンゴウは皇帝へ、まっすぐそう言い放った。


 でも――皇帝の放つ圧が、息苦しいまでに上がっている。

 ついに足先すら動かせなくなった。


「……ここは我の国。去れ」

「おう。んじゃ、やるか」


 ウェンゴウは「待ってました」とばかりに即答し、ジャケットに手をかけた。


 内側に吊り下げられていたナイフが、すべて石床へ落ちていく。


「え……?」


 カラン、カラン、と高い音が響く中、ウェンゴウは開いた両手を構えた。

 まさか私と対峙した時と同じく、素手でやろうというのか。

 

 皇帝の作り出した壁が、カーテンのように揺れた。


「ほう、賢明だ」


 ウェンゴウが髪の毛一本すら動かさなくなった、その直後。

 壁にウェンゴウの手のひらが触れていた。


 でも――瞬きの間に繰り出された張り手を、壁はふわりと受け止めている。


「……!」


 ウェンゴウは舌打ちをしながら、「やっぱりかよ」と呟いた。

 間髪入れずに壁を避け、彼は皇帝の間合いに滑り込もうとしたが――。


 面布の隙間から覗く皇帝の赤眼は、ウェンゴウではなく、壁に触れたその手だけを追っていた。


「……なるほど。貴様ではなさそうだ」

「なんのことだ、よっ!」


 外側から見て、ようやく少し分かった気がした。

 ウェンゴウの動きが、急にゆっくりになったわけではない。

 私が瞬きをする瞬間、息を吐く瞬間――意識が途切れる隙間だけを選んで動いているように見える。


 でも――皇帝の壁は、ウェンゴウの動きに合わせて、自在に形と位置を変えている。繰り出される手すべてを、柔らかい布のように受け流していた。


「ふむ……面倒な使い手よ」


 皇帝の足が、一歩下がった。


「いまか……!」


 途端に、ウェンゴウが壁の中へ足を踏み込んだが――壁は、瞬時にウェンゴウを飲み込んだ。


「ウェンゴウ……!?」


 閉じた壁が消えてしまった。

 かと思いきや――皇帝から離れた場所に現れた壁が、ポカンとするウェンゴウを吐き出した。


「壁の中を通して、別の場所へ飛ばした……?」


 皇帝は、自在に壁を操っている。

 

 頭が追いつかないけれど、とにかくウェンゴウに加勢しなければ――そう思っても、まだ膝に力が入らない。


「くっ……」


 仮に動けたとしても、私はあそこに入ってはいけない。

 ウェンゴウの、音を置き去りにする足さばき――今の私が割り込んでも、あれにはついていけそうにない。


 皇帝の圧に潰されないようにするだけで、精一杯だ。


 それでも。

 瞬きの間に消えては現れる壁を、ウェンゴウは着実にかわし始めている。


(すごい……速さだけじゃない)


 徐々に皇帝へと距離を詰め、ついに彼の指先が黒い衣の端にかかった、その時。


「貴様は邪魔だ。次(・)は(・)あの女だけで良い」

「え……?」


 皇帝が振り返った。

 布越しからでも、突き刺さるような視線を感じる。


 そのゾッとする気配に気をとられる間に、周囲が暗くなった。


「……っ、これは!」


 壁だ。

 四方八方を塞ぐ壁が、私を押し潰すように迫っている。


「クソッ……!」


 ウェンゴウの指先が、私の腕を手繰り寄せた。

 けれど、閉じる壁のほうが速い。


 私を離さなかったせいで、ウェンゴウの身体まで一緒に暗闇へ引きずり込まれた。


「おい、ミュウル!」

「ウェンゴウ……?」

 

 手首に、彼の手の温度だけは感じる。

 でも、ここは真っ暗闇の中だ。


 嵐のように吹く絶叫が、轟々と響いている。

 誰かが、「助けて」と口々に叫んでいる。


「なに、これ……」


 これが壁の中なのか。

 それとも、どこか別の場所へ飛ばされてしまったのか。


 何も分からないうちに、私は――明るい路上に立っていた。


「ブゥヨジェンマ?」

「……え?」


 眉根を寄せてこちらを見上げているのは、あの串焼き屋の少女だった。

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