82話 幻想の紅都
「先祖の……?」
このおじさんは、突然何を言い出すのか――。
身を構えたまま、気だるげな顔をじっと見つめるうちに、軽やかな足音が近づいてきた。
「ミュウル様!」
「ジェニファ……?」
薬瓶を抱えたジェニファが、ギザールの腕を強引に引っ張っている。
「いでででで、もう勝手にふらつきませんから……あっ! ミュウルさん、目が覚めたんすね」
駆け寄ってきた二人の顔を見て、全身の力が少し緩んだ。
ジェニファはともかく、気絶していたギザールが元気そうに笑っている。
「ギザール、何があったの?」
「いやぁ、17個目の質問をしたところで、ウェンゴウさんに首をトンとされまして。船の上でもう目が覚めましたし……アンタこそ大丈夫なんすか?」
かなり強めの手刀が首に入っていた、とギザールは言うが――どうやら私も、ギザールと同じ方法で気絶させられていたらしい。
「ミュウル様、ちょっと可動チェックを」
「うん……」
ジェニファの言う通りに首を動かしてみても、特に身体に異常はなかった。
「ミュウルさん、この人は師匠と同じ、元勇者パーティーの人らしいっす」
「え……?」
改めて見上げたウェンゴウは、面倒そうに頭を掻いていた。
瞳には、一切覇気がない。
でも、この人の立ち方、重心の取り方を見るだけで、かなり腕が立つと伝わってくる。
実際に私は、彼に一発も拳を入れられなかった。
「今はただの傭兵だけどな。オーリウス介して伝えてもらったら、嬢ちゃんの仲間は警戒を解いてくれたわ」
「一応、ですわ」
ジェニファは私の腕にしがみついたまま、ウェンゴウを睨みつけていた。
オーリウスが説明した上で、二人が大人しく同行しているのならば――少なくとも、無理やりという感じではないのだろう。
「でも、本当にオーリウスがこのおじさんを信用していいって言ったの?」
勇者の命令で、私たちを修道国へ送り返そうとしている途中じゃないのか。
声を低くして問いかけると。
「おいおい、おじさんじゃなくてウェンゴウな」
鼻の頭を掻いたウェンゴウは、私たちを越えて先を歩き出した。
「俺ぁ別に、勇者の依頼なんざどうでもいいんだよ」
「え……?」
「俺の先祖が生まれたっていう都を見ておきたかっただけだ」
それだけ言うと、ウェンゴウは通りを行き交う人に混じり、ふらふらと歩きはじめた。
「第一なぁ、本気で連れ戻そうってんなら、とっくにそうしてるわ」
「あ……」
確かに、彼は気絶していた私を見知らぬ土地まで連れてきて、あくびばかりしている。
右も左も、焼き物の美味しそうな匂いが漂う露店市。
ウシやヤギを引いて歩く商人たち。
修道国では見慣れない、渋い色で涼しそうな生地の衣。
ウェンゴウは、それをどこか懐かしそうに眺めながら歩いていた。
たぶん彼は、嘘をついていない。
(でも、だったら……どうして私たちを連れてきたの?)
「オーリウス、ここってどのへん?」
試しに耳飾りへ声をかけたけれど、返事はなかった。
また会議か仕事だろうか――。
「ここは修道国からずっとずっと東に行った海沿いだ。大陸の、東の果てだな」
オーリウスの代わりに応えたのは、串焼きを頬張るウェンゴウだった。
「首打ってごめんな」と、ギザールまでおごってもらっている。
「あ、ずるい……じゃなくて」
ここが本当に、東の果てだとすれば。
私たちはついに、自分たちの国のある大陸の、一番端まで到達したということになる。
今すぐにでもオーリウスに、白地図がどうなっているのか確認したいところだけれど――今は胸が落ち着かない。
いくら覇気がないおじさんとはいえ、ウェンゴウは元勇者パーティーの一員だ。
ああして私たちの警戒を解こうとしているのかもしれない。
「……私、何があっても修道国には帰らない」
私の足跡で、この世界の形を描くまでは――。
「それより、ミュウルさんも串焼き食べません? あっちの謎肉の姿焼きが気になって」
「まぁギザールさん! 串焼き1本で、あの殿方に懐柔されたのですか?」
ジェニファはそう言いつつも、自分の腹から音が鳴ると、ギザールの手を離して小さくなってしまった。
「……ギザール、串焼き買ってきてくれる?」
「あいあいっす!」
オーリウス提供の財布――魔導袋からロマンティア銀貨を1枚取り出し、露店に向かうギザールについていくと。
露店の少女は、銀貨を前に目を丸くした。
「あれ……?」
このお金、ここでは使えないのかもしれないと思ったけれど――ギザールが何か言う前に、少女はすぐにこちらを向いた。
お団子頭を赤い髪紐で結んだ、吊り目の少女。
彼女は私にニッコリと微笑んで、串焼きを2本くれた。
“前の世界”で見た、焼き鳥を思い出す匂いとタレの照り具合。
腹が鳴ると同時にがぶりと噛みつくと、熱々の肉汁がしたたり落ちた。
「……っ、おいしい」
これは止まらない。
あっという間に2本を平らげると、お団子頭の少女は追加の串焼きを差し出した。
「え……いいの?」
「その坊主、この都で宿を3か月借りられるくらいの金を渡してたぞ」
ウェンゴウの言葉に、後ろのギザールが「げっ!」と声を上げた。
「この子に聞いたら『串焼き100本分』って……」
「観光客相手だからって、強かな娘さんですわね」
ぼったくられたのか――でも食べてしまったら、もうお金を返してもらうわけにはいかない。
露店の少女はニコニコとして、さらに串焼きを差し出してきた。
ギザールが7本、ジェニファが3本、私が残り90本を食べて、全員の腹が満たされたところで。
「こりゃたまげたな。嬢ちゃんの腹、どうなってんだ?」
少し膨らんだ私の腹を見るウェンゴウから、さっと身を逸らした。
さすがに、じっくりと見られるのは恥ずかしい。
「それより……ウェンゴウは、本当に私たちを連れ戻す気はないの?」
一応、勇者からの依頼なのだろうと尋ねるも。
彼は笑って串を少女に返しながら、「どうしようかなぁ」と呟いた。
「それは、ここでの嬢ちゃんたちの働き次第だ」
「働き……?」
首を傾げる間にも、ウェンゴウは歩き出した。
「……シェシェ」
露店の少女は、その背中をじっと目で追っている。
私も串を返した後、ウェンゴウの後を追うことにした。
「嬢ちゃんらは、なんかおかしいと思わねぇか?」
「え……?」
ギザールは首を傾げ、周りの建物を見回した。
一方ジェニファは、遊ぶ子どもたちに目を向けている。
「あちこちにある、赤と金の旗のこと?」
それが鉛色の空を覆うほどにはためいているのは、確かにやりすぎな気はするけれど――ウェンゴウが言っているのは、そういうことではないのだろう。
「だったら……」
目を閉じて、魔力や聖力のかすかな揺れを感じてみようとした。
けれど、変な感じだ。
強い魔力の塊がすぐ近くにあるみたいに、それ以外のものがまったく拾えない。
「違う違う、そうじゃなくてだな……まぁ、実際聞いた方が早いか」
ウェンゴウが目の前の高い建物を見据えながら、歩いていく。
その間もジェニファは、子どもたちの遊ぶ姿をじっと見ていた。
「ジェニファ、どうしたの?」
「あ……いえ、何でもありませんわ」
「膝を思い切りすりむいたのに、血が出ないはずがない」――ジェニファの呟きに首を傾げつつも、今はウェンゴウに着いていくことにした。
今の私はこの人に勝てない。
もし彼を振り切れたとしても、ギザールたちを連れてこの都を出る方法も分からない。
ならば――彼が私たちに何を見せようとしているのか、まずは見極めなければ。
「おっ、たぶんここだな」
ウェンゴウが足を止めたのは、煌びやかな楼閣――その背後に高くそびえる城だった。
「……この建物、ヘンだ」
いつもなら建材や様式について騒ぎ始めるギザールも、城を見上げたまま黙り込んでいる。
石の継ぎ目も、支える柱も見当たらない。まるで巨大な岩が、最初から城の形で生えてきたようだった。
「なにこれ?」
問いかけた先で、ウェンゴウはゾクっとするような暗い目をしていた。
「凛紅を仕切る頭……“皇帝”ってやつの家だ」




