79話 また灯る炎
あんなに激しい顔を見せていた火山も、夜明けまでには少しずつ轟音を遠ざけていた。
それでも頂からは、まだ灰色の煙が上がっている。
「……診療所も桟橋も、陸にあったものは全部なくなった」
「ラディン……」
陸地にあった建物は、噴石と溶岩でほとんど消えている。
それをいつまでも眺めているラディンに、どんな言葉をかけたら良いのか分からなかった。
でも――海の中の家はこうして残っているし、村にいた人はみんな生きている。
それを伝えたくて、だらりと垂れた彼の手をそっと握ると。
「……ミュウル」
ラディンの手に、少しずつ力がこもっていった。
「山の怒りは止められなかった。でも俺は、この村をもう一度始めたい」
「……うん」
彼の空色の瞳に、かすかな青い炎が見えた気がした。
「今は、私たちにできることをしよう」
「ああ、そうだな」
私は村の住人でも、観光客でもない。
それでも、あの美しい村の景色を取り戻したくて――村の人たちと手を合わせ、沖に流した家を元通り繋げていった。
ただし火山のある島ではなく、避難中の無人島の方に。
「はいはい、あんまり船に近づきすぎないで! オレたちは縄を編むお仕事っすよ!」
病み上がりのギザールは、村の子どもたちを束ねて、小さな復興の手伝いをさせていた。
「ギザールさん、あまり声を張らないでくださいませ! 病人がいるのですから」
ジェニファは今も、グレゴリィと一緒に咳病の薬を作っている。
「あとは……」
新たな村を見回していると。まだ灰に覆われた空を見上げる、ラディンの横顔が目に留まった。
そんな彼に近づいていくのは、彼の父スラヤド。それに村の年寄りたちだった。
笑う彼らに声をかけられたラディンは、大きく目を開いている。
「ラディン、どうしたの?」
少し複雑そうに笑う彼に、近寄っていくと。
「ああ、たった今、成人として認められたんだ」
噴火から村人を逃がし、復興へ動き始めた若者たちを、大人たちはもう庇護される子どもではないと認めたらしい。
ラディンはあれほど望んでいた成人を、どこか淡々と報告した。
「なんか、嬉しくない?」
「いや……ちょっとな。お前はもう大人なんだろ? どうやって成人したんだ?」
「え……私?」
もはや遠い記憶となった、修道院での日々が思い浮かんだ。
18歳になった日、大聖女様の長い説法を聞き、いつもの食事に肉料理が一皿増えた。それだけだった。
「そうか……周りが祝うだけで、自分が何かしないんだな」
そうだ。彼は最初、青い炎の謎を自分で解明することで、成人の儀を乗り越えようとしていた。
だからこそ、この形での成人が納得いかないのだろう。
でも――。
「やっぱりラディンたちの村、また来たいって思えるくらいキレイだよ」
彼らが逃げることを選んだから、村は続いた。
青い炎も消えていない。
あんなに恐ろしい目に遭ったというのに、彼らはまた――小さな青いかがり火を、村中に灯している。
「そうか。逃げる道を選べたから、青い炎もまた灯せるんだな」
「……うん」
あれほど望んでいたはずなのに、ラディンの目はもう成人の儀ではなく、復興する村へ向いていた。
この儚い炎の村を、いつまでも見ていたい。
それでも私たちは先へ向かわなければ――。
「ラディン、私……」
「……オマエが来てから四日だ。そろそろ、大陸からの船が来る」
「行くのか?」と低い声のラディンに、無言で頷いた。
「でも、また来るよ」
ギザールから預かっていた、青緑の丸石――“魔の割符”を取り出すと。ラディンの静かな目が、少しだけ開いた。
「私、ほんとは地図を作るために世界を旅してるんだ」
もしラディンたちが良ければ、ヌァサ村との拠点契約を結びたい。
そう話すと、ラディンは「やっぱりな」と頬を緩めた。
「オマエの力、ただの観光客じゃないと思った。で、契約のための条件を言えって?」
「うん。村のみんなと相談する?」
浜を忙しなく行き来する大人たち、それに波打ち際で山に向かって平伏する年寄りを眺めた後。
ラディンは、「いや」と首を横に振った。
「次の長は俺が勝ち取る。だから、この条件は俺からみんなに認めさせる」
「おお、すごい自信……」
患者を診るグレゴリィを、ラディンはまっすぐ見つめている。
「修道国の“サコク”ってのが終わったら、ここまで来られる人を増やしてくれ。先生みたいな、村の役に立つ人も来てくれるかもしれない」
観光客を呼んでも、山を見世物にするのではない。
山を怖がることも、青い炎を綺麗だと思うことも、どちらも教える。
ラディンの力強い宣言に、深く頷いた。
「うん、分かったよ」
たとえ修道国が外交を開いても、今は一般の人がここまで来られる手段はないかもしれない。
それでも、“前の世界”みたいに、いつか便利な交通手段が生まれたら。ここまで来ることだって、簡単になるだろう。
「あ……もしかして、あれが船?」
赤い帆を張った巨大な船が、波間を滑るように近づいてくる。
それでも、山の様子がおかしいと思ったのか、なかなか島に近づいてこない。
「俺、ちょっと行ってくる」
噴火のこと、村を引っ越したこと。
船に伝えると言って泳ぎ出したラディンを見送り、ギザールとジェニファを呼びに行くことにした。
「あっ、ミュウルさん! そろそろ出発っすか?」
「うん。あの船で、一度大陸に戻ろう」
ここに来たのは、グレゴリィに会うためだった。
でも今は、ギザールの師匠ヴァニアが言っていた『魔王城』がどこにあるのか気になる。
「あー……師匠ってば、いつの間にいなくなったと思ったら、そんなことを言い残していったんすか?」
いったん元の大陸に戻って、東まで向かおうと提案すると。
苦笑いでため息を吐くギザールの後ろから、白衣の老人がぬっと現れた。
「お役に立てなくてごめんね、ミュウル君」
私たちの見送りに来てくれたグレゴリィが、白髪を掻いて頭を下げた。
「グレゴリィ……」
「オーリウス坊ちゃんの足を治す方法は、渡せなかった」
どこか後ろめたさそうに、少し悔しそうに、彼は笑った。
「でも……もし彼がまた歩こうとするなら、最初に必要なのは奇跡じゃない。リハビリを続ける理由だよ」
「理由……?」
「ウン。君なら彼に渡せるかもしれない」
オーリウスはもう、リハビリはやめたと言っていた。
でも、もし私が続ける理由を渡せるなら――。
「私、やってみるよ」
いつかまた、どこかで会えたら。
そんな言葉を互いに残して、握手を交わしていると。
「ミュウル、大汽船まで送ってやる!」
全身ずぶ濡れのラディンが、小舟を用意してくれていた。
でも彼は、俯いてこちらを見ようとしない。
「ラディン?」
「ミュウル、本当に行くのか?」
「え……」
いつまでも、ここに居ても構わない。
自分の嫁として。
俯いたままの彼の言葉に、一瞬、頭が真っ白になった。
「なっ……!?」
薬瓶を握ったジェニファが、ラディンへ向かって行こうとしたが――ニヤつくギザールが彼女を止めてくれている。
「別にいいんすよ? オレは」
「あっ、ライガ・マナの時の仕返し……?」
「絶対に許しません!」
私を隠すように抱きしめるジェニファに、小さな笑いが込み上げてきた。
でも、ラディンの濡れた髪や手が震えている。
「ナンパじゃなくて、本気だって……言っただろ」
「あ……」
初めてグレゴリィの診療所を訪ねた時の、あの言葉――ずっと冗談だと思っていた。
「ラディンがそんな風に思ってくれてたのは、驚いたけれど……」
震える手を誤魔化すように、耳飾りへ手を添えると。
「……ああ、分かってる」
ラディンは契約の割符をもう一度取り出し、それを強く握った。
「オマエにしかできないこと、やってる途中なんだろ」
「……うん」
私はまだ、止まれない。
「また来るよ、きっと」
最後は、せめて笑顔で――ふだん固まっている口角を力いっぱい上げて、目の前の彼に微笑むと。
彼は「ああ」と呟き、顔を上げた。
「ラディン……」
最初に火口で出会った時と同じ、透き通った綺麗な目だ。
「ミュウル、達者でな」
「うん……!」
ヌァサ村にいる間、何度も繋いだ温かい手。
一緒に、青い炎を採った手。
その温度をこの先へ連れて行くために――私は彼の手を、しっかりと握った。




