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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
1章 閉ざされた地図 ―ロマンティア―
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7話 特別試験への切符

 オーリウスは執務室の扉を開け放った。


「どうぞ、こちらからお帰りください」


 それでも、動くわけにはいかない。


「私は――」

「ちょっと待ってくださいっ!」


 ひりつく空気の中。

 間に入ったのは、ギザールだった。


「彼女は壁にヒビを入れられた。木こりの娘さん……らしいっすけど、彼女の拳は特別っす!」


 聖力を込めた拳は、唯一無二のパワーを誇る。

 そんなギザールの援護に、思わず頬を緩ませていると。


「能力ではありません。動機の問題です」

「え……?」


 考える間すら与えてくれずに、オーリウスは「お帰りください」と繰り返す。


「でも……」


 バクバクと脈打つ頭の中に、声が浮かび上がってきた。


『オレらの作った道を、これから何千何万って人が歩くのかと思うと……ワクワクしません?』


 昨晩のギザールの声。

 私がここへ来ようと思った、きっかけの言葉。


 それを胸に、拳を強く握りしめた。


「帰れません」


 車椅子の車輪を軋ませる彼を、まっすぐに見つめる。

 そして。

 深く、息を吸った。


「オーリウスさん。私にも、測量士試験を受けさせてください」

「……はい?」


 今度は容赦なく向けられた視線。

 やはり目が合うだけで、全身が重く痺れる。


 すぐにでも逃げ出したくなるけれど――目だけは、絶対に逸らせない。


「私はずっと、壁の中の景色しか知りませんでした」


 そう口にすれば、“灰色の窓”が目の前に浮かんだ。

 それが、圧をにじませるオーリウスに重なる。


 でも、私は――。


「今度こそ、私の足で残したい。私は確かにここにいたんだって!」


 言い放った瞬間。

 彼の放つ、刃のような魔力が弾けた。


「……っ!」


 車椅子から腰を浮かせかけて、オーリウスの身体が止まっている。

 

 でも。

 震える足が、床に触れる直前――彼は座席に腰を落とした。


(あれ? 今……)


 車輪の軋む音が響く中。


 違和感を口にしようとした、直後。


「……少し、講義をしましょうか」


 オーリウスは長いため息を吐き出し、視線を逸らした。


「え……」


 彼が向かったのは、壁いっぱいに広げられた、真っ白な地図の前。


 真ん中にひとつだけ、島の形をした点がある。


「ここが我々の住む『修道国ロマンティア』。そして……」


 彼が取り出した杖の先端が、白地図に赤い線を描いていく。


「これが、魔王討伐に旅立った勇者によって開かれた道です」

「あっ……」


 壁画にあった、未完成の地図。

 その輪郭を作っていた赤い線と似ている。

 

 ただ、あの壁画よりも長い道だ。


「ご存知の通り、世界は“障壁”に隔てられています。しかも最近は、勇者が破壊した壁すら復活しているのです」


 今や勇者の統治する修道国を、誰も出ることができない。


 オーリウスの言葉に、ふとギザールを振り返った。


「もしかして、森の壁は……」

「そうっすね。あれは復活した壁ってこと」


 あそこが『勇者旅立ちの地』だったのに、なぜ壁があったのか。

 ようやく腑に落ちた。


「さらに。文献によると、大陸はこのように位置していると予想されていて……」


 オーリウスが輪郭を描いていくたび、「あれ?」と思う点が重なっていった。

 

 まだない輪郭を描くように、思わず指が動く。


「ちょっと貸して」

「あっ……おい!」


 オーリウスの杖をひったくり、「世界はこんな形かもしれない」と書いた地図――元の世界と同じ、“世界地図”を描くと。

 杖の先を凝視していたオーリウスが、ピタリと固まった。


「なぜ」

「えっと、それは……」


 さすがに前世の話をするわけにはいかない。


「何となく」と小声で絞り出せば、彼は「そうか」と声を緩めた。


「興味深い考察だ」

「え……?」


 いま、褒められたのだろうか。

 振り返ると、ギザールも目を丸くしていた。


「障壁のせいで、この国の人間は外の世界をほとんど歩いたことがない」


 再び淡々とした声が響く。

 でも、さっきまでの鋭さはない。どこか期待を込めたような目で、オーリウスは私を見た。


「つまり魔導測量士は、どのような危険があるのかも分からない世界へ踏み出そうというのです」


 木こりの娘だという私に、未知の世界を歩き続けることができるのか。

 その壁にヒビを入れたという拳と、旅への情熱だけで――。


 容赦のない口調と視線に、肩が震えた。


 そうだ。

 私にあるのは、それだけ。


 でも。

 それは全部、前の私は持っていなかったものだ。


「危険、どんとこいです」


 危険すら与えられない世界にいるより、ずっと幸せだ。


「見たこともない世界を、そこまで信じられる理由は」

「え……?」


 そんなの、考える必要もない。


「どこまでも行ける身体がある。それだけです」


 自慢の拳で、胸を叩きながら言うと。

 オーリウスの白い頬が、一瞬だけ震えた。


 彼の目は私を見ているはずなのに――どこかもっと、遠くを映しているようだった。


「……貴女の名前は?」


 相変わらず淡々とした声。

 それでも、「ミュウル」と答えると。


「では、ミュウルさん。6日と1時間12分後に試験会場でお会いしましょう」

「じゃあ……!」

「ただし。貴女だけに、特別な試験を課させていただきます」


 足跡を残したいなら、せいぜい選抜試験で合格することだ。

 そう告げられ、喜ぶ間もなく追い出されてしまった。


「でも……」


 やっぱりオーリウスは、冷たいだけの人ではない。

 一瞬でも緩んだ表情を思い出し、私まで頬が緩んだ。


「オーリウスさん……いくらなんでも、普段はあそこまで頑固じゃないんすけどね」


 なぜか私に対しては厳しい態度だと、ギザールは首を傾げているが。


「あの人は優しいよ」

「そうっすよね、厳しすぎ……って、ええ! どの辺がそう見えたんっすか?」


 目を見開くギザールに対して微笑み、執務室の閉じた扉を見上げた。


「でも、試験は甘くなさそうだから」


 早く勉強を始めないと。


「ミュウルさん、オレ、勉強付き合います。いくらでも!」

「うん。ありがとう、ギザール」


 “特別な試験”とやらに必ず受かってみせる。

 そう心の中で唱えて、国土省を後にした。


「オレの下宿先でいいっすかね? あ、夜はもうひと部屋取りますんで」


 そう言って、宿の玄関先で財布の口を開けたものの。ギザールは凍りついてしまった。


「すみません、その、オレの稼ぎが少ないせいで……」

「いいよ、そこまでしてもらう義理ないし」


 それでも、都での野宿は森より危ないと、ギザールは私を部屋に置いてくれた。


「狭いし汚いし、重ねてすみません……」


 彼の部屋にも、オーリウスの執務室にあったのと同じくらい、大量の本がひしめいている。違うのは、本と筆記用具が床にまで散乱しているところか。


「あっ、オレは床で寝ますんでご安心を」

「むしろ私がドアの前で寝るよ」

「いや、せめて部屋の中には居てください!」


 寝る時のことは、また後で考えればいい。

 それより時間が惜しいと、ベッドへ参考書を広げていると。


「ん?」


 出窓の隙間から、小さな紙切れが入り込んできた。


 私の手元に滑り込んだ、それには――“ジェニファ”と綴られている。


「追跡魔法の手紙? 誰からっすか?」

「あ……えっと、木こりの父さんから」


 ギザールはそれ以上追及してこなかった。


 彼がベッドで寝落ちた後。床に降り、こっそり手紙を開くと。


『生きていらっしゃるなら、どうか応えてください!』


 切実な声が響いた。


 とっさにベッドを振り返ったものの、ギザールは本を顔にかぶったまま寝息を立てている。


「……ジェニファ」


 彼女の声を閉じ込めた手紙を抱きしめ、呟くと。


『きっとミュウル様を探しに参りますっ!』


 すぐにでも修道院を退職するつもりだという。


「でも……」


 本当に、それでいいのか。

 

 もし彼女が都まで追いかけてきてくれたとして。

 私が測量士になって外へ出れば、彼女はひとりになってしまうのではないか。


 手紙に言ったところで仕方ないけれど――。


『それから、心配なことがひとつありまして』


 追放先の森で、勇者の息子が私を探しているみたいだった。


 ジェニファの最後の言葉に、胸が軋んだ。


「……エリアスが、私を?」


「他の従順な聖女を探す」と言っていたのに、どうして――。


 あの薄っぺらな笑顔が頭をよぎった、その時。

 ガタッと、背後から音がした。


「……!」


 とっさに魔法の手紙を握りしめたところで。

 右肩に、重い何かが乗せられた。


「ミュウルさん……聖女だったんすか?」


 低い声。それに、私の肩を掴んだ手。


「ギザール……」


 おそるおそる、振り返ると。

 暗闇の中で浮かび上がる、夕日色の瞳から目が離せなくなった。

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