6話 車椅子の長官
「すごい……落ちたら死にそう」
修道院の鐘つき台よりも高い建物が、積み木のように何段も重なっている。
「ねぇギザール。あれを登れば、まどう測量士……になれるの?」
「そんな感想初めて聞きましたけど、そうっす」
隣からの笑い声に、顔を下げると。
大量の本を鞄に詰め込んだ考古学者が、ニヤニヤとこちらを眺めていた。
「上と下の行き来はどうするの?」
「便利な乗り物があるんすよ!」
今から行く場所。“魔導測量士”の試験会場だという塔を指差しながら、ギザールは鉄柵の中に入っていく。
彼に続いて、木組みの地面の上へ乗れば。
「わっ」
突然、床が動き出した。
浮いた床が、まっすぐ上に向かっていく。
修道院の屋根から見た景色より、ずっと高く。
「魔法って、こんなことまでできるの?」
「これは魔法じゃなくて『魔導』っす」
少ない魔力で大きな力を生み出す仕組みが『魔導』――ギザールの早口な説明に、ただ頷くことしかできなかった。
「じゃあ、その魔導を発明した人がいるってこと?」
「その通りっす! なんとそれが、今から会いにいくスゴい魔術師なんっすよ」
それがギザールを推薦した、元勇者パーティーの人ということか。
「ミュウルさんの推薦も、オレからお願いしてみますんで」
壁にヒビを入れられた時点で、きっと推薦をくれる。
ギザールは得意げに話すけれど――『魔導』とやらを発明したのは、どんな人なのだろうか。
「ただ、ちょーっとばかし気難しい人で。そこが心配なんっすよね」
「そうなんだ……」
あの勇者の息子と同じ、厄介なクセを持っていないことを願うしかない。
よく磨かれた勇者像が、ここからでも数体は見える。お年寄りたちが立ち止まって、祈りを捧げる姿も。
修道院よりもずっと多い“偶像”を見下ろしながら、たどり着いたのは――。
「ここが、その魔術師さんの職場で、魔導測量士の試験会場っす」
見上げなければ目に入らなかった、レンガの塔。
その塔を中心に、円状の平家が軒を連ねている。
「職場で、試験会場……?」
いったい、どういうことなのか。
「それは――」
「キミ、もしかして聖女?」
ギザールの声を遮ったのは、知らない男性の声だった。
金の薔薇の紋章をつけた二人組が、こちらへ近づいてくる。
「いま聖女って、修道院に集められてるんじゃなかったっけ?」
「貴重だからな」
この嫌な視線――あの人と似ている。
格好も、あのお見合いパーティーに来ていた連中と大差ない。
「彼女は聖女じゃないっす……!」
「まぁまぁ、弟さんはちょっと黙って」
ギザールを押し除けて、彼らは「お茶しない?」と、私に詰め寄ってきた。
「お茶よりもっと楽しいこと、します?」
拳の準備だけは、いつでも万端だ。
「ちょっと、ミュウルさん……!」
「大丈夫だよ、ギザール。2割くらいでやるから」
私が素手で岩を砕けるゴリラだと、今ここでわからせるしかないか――。
うずく拳を握り直した、その時。
「残念だ」
背後からの凍てつく声に、周りの音が消えた。
私と勇者の息子モドキの間に入ったのは、車輪を回さず移動する、車椅子の男性。
「……っ」
眼鏡を引き上げる彼と、視線がぶつかった瞬間。
思わず肩が震えた。
目が合っただけなのに、身体が指先まで痺れている。
「この人……」
たぶん、とんでもない魔力を秘めている。
あの勇者の息子の比ではないくらいに。
「ぐ、グレイヴ長官!」
銀髪の隙間からのぞく瞳が、ナンパ男たちを捉えると。彼らは私と同じように、車椅子の男性に見られただけで震えはじめた。
「前回の議事録も確認せず、こんなところで油を売っているとは」
淡々と言いながら、男性は懐中時計を取り出した。
「あと7分9秒後に、定例会議ですが……」
「登用したことを後悔した」と、刃のような声が響いた瞬間。
官僚らしき男たちは、小走りで逃げていった。
「失礼いたしました。部下の教育が行き届いておらず、お恥ずかしい限りです」
「え……あ、助けてくれてありがとうございます。ぶん殴らずに済みました」
「ぶん殴る……?」
さっきは怒っていたからだろうか。
今は正面から向き合っても、魔力の圧はあまり感じない。
ただ――車椅子に乗せられた彼の足元に、ふと視線が落ちた、瞬間。
息が止まりそうになった。
わけが分からないまま、“灰色の窓”が頭をよぎる。
「……ところで、あなたは?」
肩の震えを誤魔化すように、無理やり口角を上げ訊ねると。
男性はふっと視線を逸らした。
「オーリウス・グレイヴ。国土省所属……5分36秒後に会議があるため、失礼します。ギザールさんは執務室でお待ちください」
オーリウスは、ギザールを横目にそう言い残すと。さっさと背を向け行ってしまった。
「……っ」
見透かされるような瞳が離れたせいか、ようやく深い呼吸ができるようになった。
「もしかして、彼が推薦をくれた魔術師さん?」
「まぁ、そうなんっすけど……ミュウルさん、大丈夫なんっすか?」
「なにが?」
オーリウスに睨まれて平然としている人を初めて見た。
言いながら、ギザールは目を丸くしている。
「別に……だってあの人、私をまっすぐ見てなかったし」
「え……?」
小さくなっていくオーリウスの背中を、改めて見つめた。
悪い人ではなさそうなのに。
どうして、あんなに冷たい目をするのだろうか。
「ひとまず、オーリウスさんの執務室にお邪魔します?」
「……うん」
執務室は、オーリウスと出会った時の印象そのまま。きっちりかっちり、一枚も乱れなく、書斎机に書類が積まれている。
「ここは相変わらずっすねぇ」
「ギザールは、どうやってあの人と出会ったの?」
待ち時間を潰すつもりで問いかけると。
ギザールは壁一面の窓に近づき、都の外に見える緑の海を眺めはじめた。
「お互いに旅をしてた時、たまたま知り合って」
「旅?」
ギザールは、この国を見て回ったことがあるのか――。
「オレと3つしか違わないのに、彼はすごーい人なんっすよ! 12歳で勇者パーティーの魔術師になった天才――」
「執務室ではお静かに」
刃のような声を振り返ると。
きっちり閉じた扉の前には、オーリウスの姿がすでにあった。
「あれ? オーリウスさん会議は」
「即解散させました。貴方がお越しになったので」
ギザールには、旅の恩がある。
そう呟いたオーリウスは、次に私を見据えた。
やっぱり。
気を緩ませると、にじみ出る魔力に刺されそうだ。
「それで、そちらの方は?」
「あっ、こちらは有望な測量士候補の――」
ギザールが言い切る前に、一歩前へ進み出た。
きっとこの人には、自分の言葉で伝えないと信じてもらえない。
「オーリウスさん、私……」
暗い色の瞳を、まっすぐ見つめた。
「自分の足跡を、外の世界に残したいんです」
そう宣言した、直後。
彼は軽く目を開いた。
「足跡……か」
オーリウスの指が、車椅子の肘掛けを強く掴んでいる。
怒っているのかと思ったけれど――何だか違う。
もっと、別のものだ。
「オーリウスさん?」
かすかな期待を込めて、声をかけたところ。
彼はハッとして、眼鏡を引き上げた。
「ギザールさんに負けず劣らず、妙な方を連れてこられましたね」
さっきの間は何だったのか。
訊ねることもできずに、次の言葉を待っていると――無音の執務室に、深いため息が響いた。
「……貴女の主張は受け取りました」
本当に言いたかったことを、無理やり押し込めたかのように。
彼は膝の上で拳を握り――「却下です」と言い放った。
「以上、お帰りはあちらです」
「え……」
一瞬、なんと言われたのか分からなかった。
届いたと思ったのに――容赦のない言葉に、喉が締めつけられる。
「待ってください、私まだ……」
ここへきた理由を、ちゃんと伝えきれていない。
オーリウスは私をそれ以上見ることなく、扉の方を向いている。
「ちょっと、オーリウスさんっ……!」
私の力を認めてくれた、彼。
ギザールと一緒に、せっかく都まで来たのに――私はここで終わるのか。
「どうして、そんなに必死なんだ……」
「え……?」
今のつぶやきは、オーリウスのものだったのだろうか。
「……」
まだだ。
あの人の却下は、完全な“拒絶”ではないように聞こえた。
ならば、扉を閉められる前に、こじ開けるしかない。




