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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
1章 閉ざされた地図 ―ロマンティア―
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6/10

5話 考古学者と世界地図

 血管の浮き出る拳に、ありったけの力を込めると。


「その光は……」


 本を抱えた少年が、輝く拳に目を留めた。


 握った拳が、光の波を放つ。

 その間隔が短くなるたび、胸が高鳴る。


 みなぎる自信を連れて、拳を振り抜こうとした、瞬間。


「……え?」


 目の前に迫っていたのは――獣型の影とは比べものにならない、巨大な羽虫だった。


「デカくて気持ち悪っ……少年、下がってて!」


 背中を軽く押したつもりが、本を抱えた少年は「うわっ」と声を上げ、落ち葉の中に転んだ。


「あわわっ、大事な参考書が……」

「ごめんだけど拾ってる場合じゃない! 早く逃げて」


 修道院に出た影の獣より、闇が濃い大型の虫。

 金属音を響かせながら迫ってくる。


 木々を裂く羽先が、目の前を通り過ぎた――瞬間。


「ふっ……!」


 光を帯びた拳を一心に振り抜いた。


 が、手ごたえがない。

 光の散った拳が、虫の腹をすり抜けていった。


「あの時は倒せたのに……どうして」

「いま、拳が光ってましたよねっ?」


 振り返れば、少年は私の背に隠れつつも、のんきに本を開いていた。


「聖女適性があるなら、もっと聖力を込めれば倒せるかもしれないっす」

「でも私、生まれつき聖力が弱くて……!」


 刃のような羽をいなしながら、答えると。

 背中合わせの少年が、「そうだ!」と声を高くした。


「聖力は祈りから生まれるんです! “誰かを信じる心”っていうか」

「そんな人いないけどなぁ……」


 勇者像へのお祈りをサボっていた私だ。

 お節介な薬師見習いから、毎日叱られるほどに。


『ミュウル様ったら、また礼拝堂の戸を壊して逃げたのですか?』


 もはや懐かしく感じる声が、頭をよぎった途端。

 胸の奥がじわりと熱くなった。


「ジェニファ……」


 勇者像は信じられなかった。

 大聖女様の言う祈りも、私にはよく分からなかった。


 でも、あの子が私を心配してくれたことだけは、ちゃんと信じられる。


 彼女の笑顔を思い浮かべると、身体の芯から熱が湧き、拳が硬くなっていく。


「……これならいけるかも」


 虫の羽が頬をかすめた。

 それでも、じっと。

 力を高める想像だけを続ける。


 拳の光と熱が、これまでにないほど高まった、直後。


「……いまっ!」


 呼吸と同時に振り抜いた光の拳が――影を捉え、突き抜けた。


『ギ……ギ、ギ』


 霧散した影が、夕日に溶けていく。

 そうして、すべてが風にさらわれたところで。

 本を抱きしめた少年が、満面の笑みでこちらを振り返った。


「……やった?」

「うん、やったよ」


 笑顔で応えた後。

 どちらからともなく両手を掲げ、手のひらを強く打ち鳴らした。


「いやぁ、助かりました! 隠し資料取りに来たら影に見つかっちゃって。オレ、ほんと運悪いんすよね〜」


 あんなことがあったのに、よく口が回る子だ。


 それでも、彼の笑顔には嘘がない。

 どこかの勇者の息子と違って。


「あっ、オレはギザールっていいます。考古学者ってやつで」

「……子どもが?」


 ムッとするギザールに対し、「まだずいぶん若いのに」と付け加えると。


「たぶんオレ、アンタより年上っすよ! 230歳だから」

「……え、ほんと?」

「うそうそ、ほんとは23歳っす」


 ギザールは、照れたように頬を染めているけれど。私と背丈の変わらないこの人が、5歳も年上だなんて信じられない。


「もしかしてアンタ、修道院の聖女様? でも何でこんなところに」

「……私は聖女じゃないから」


 純粋そうな彼に嘘をつくのは、心が痛むけれど――追放された話をするのは気が引ける。


「でもさっき、“ごりら聖女”? とか何とか言ってませんでした?」

「うっ……」


 とっさに、「この森の木こりの娘、ミュウル」と絞り出した。


「ここで暮らすの大変でしょう! 壁が近いから、あんなに大きな穢れ獣(けがれじゅう)が出るんでしょうね」

「穢れ獣……?」

「ええ。あの影は、“障壁”が生んだ獣だとか」


 ただの獣。

 本当に、そうなのだろうか。


「それって魔ぞ……“魔のつく族”じゃないの?」


 うっかり禁句を口にするところだったが。


「まさか! “魔の族”は、勇者さんが滅ぼしたはずでしょ?」


 ギザールの曇りない笑顔に、口をつぐんだ。


 あの影が本当は何者なのかは分からないけれど――壁が、穢れ獣を生んでいる。


 ならば壊しても良いはずだ。


 落ちた本を拾い集めているギザールに背を向け、壁の方へ歩いていった。


「ミュウルさん、どうしたんっすか?」

「ギザールはそこにいて」


 最初に壁を殴った時は、聖力をひとつも込めていなかった。


「でも、今なら……」


 私が信じるもの。

 ジェニファとの友情。


 彼女の笑顔を頭に浮かべ、再び拳に力を込めれば。


「……きたっ」


 軋む拳を、光の輪が囲む。

 その手を半透明の壁に向けて――振り抜く。


「ふっ……!」


 最初と同じで、手ごたえはない。


 でも。

 ピキ――と、空間の割れるような音が響いた。


「あ……」


 半透明の景色に、亀裂が入っている。


「……やった。ギザール、ヒビが入った!」


 バンザイの体勢で振り返ると。

 ギザールはせっかく集めた本を、また手の中からこぼしていた。


「え……」


 しかも。

 残りの本すら捨てて、こちらに近づいてくる。


「アンタ……」


 しまった。

 壁を壊すのは、法律で禁止されていたのだろうか――。


 額に汗がにじんだ、その時。


「アンタならいけるかもしれないっす!」


 顔を上げたギザールは、夕日色の瞳を輝かせていた。


「いけるって……?」


 いったい、何のことを言っているのか。

 言いかけた途中で――また、腹が鳴ってしまった。


 キョトンとしたギザールの顔に、頬が熱くなる。


「そういえば今日、木苺しか食べてない」

「ははっ! じゃ、一緒に焚き火しません?」


 影は昼間でも出るくせに、なぜか火のそばには寄ってこない。

 そう言って、ギザールは小枝を拾いはじめた。


「私も手伝うよ」

「サンキュっす。ミュウルさんの方が動き速いし、枝集めはお任せしますね」


 その間に自分は食料を調達すると、ギザールは地面へ膝をついた。

 キノコをじっと観察しているみたいだ。


「ギザール、鑑定できるの?」

「これでも学者っすからね〜」


 最初に、()()()()と名乗っていた気がするけれど。


 ギザールが串焼きにしてくれたキノコは、どれも香り高く焼けていた。


「ほら、これ食ってみて。トロトロでお肉みたいっすよ」

「うわ……おいしい」

「それで、さっきの話っすけど」

「んむ?」


 私なら、何が「いける」と思ったのか。

 彼は赤々と弾ける火の粉を見つめながら、口を開いた。


「パワーと聖力を併せ持つミュウルさんは、“魔導測量士”が天職に違いないっす」

「まどう……測量士?」


 また、知らない言葉が出てきた。

 小枝の串をくわえたまま、首を傾げると。

「世界地図を作る仕事だ」と、ギザールは瞳を輝かせた。


「でもそのためには、世界中にある壁を壊さなきゃで」


 だから私が“適任”だと思った。

 そう言って、ギザールは期待めいた眼差しを向けてくる。


「オレ、これから都へ向かう途中だったんっす。測量士試験のために」

「試験……」


 それは誰でも受けられるのだろうか。

 言いかけた口を閉じ、炎の向こう側のギザールをただ見つめた。


「地図作りのための人員を国が募集するのは、今回が初めてなんっすよ」

「……そうなんだ」


 修道院を出られたら、気ままに旅をしようと思っていた。


 でも。

 ギザールの弾む声を聞くたびに、私の胸も熱くなっていく。


「もし行くあてがないなら、一緒に行きません?」

「え……」


 思ってもみない提案に、胸が跳ねた。


「でも。私がそんな仕事にかかわる資格、あるかな」


 ただ、この世界の形を見たいだけ。

 そんなちっぽけな気持ちだと、焚火より小さな声で吐き出すと。


「でも、オレらが作った道をこれから何千何万って人が歩くのかと思うと……ワクワクしません?」


 遠くを見つめる、強い瞳。

 それを目の当たりにした瞬間――沈みかけていた胸が、ドクンと鳴った。


「……道を作る?」


 ふと浮かんだのは、修道院の地下にあった壁画。

 あの未完成の地図を眺めた時、描いた人がすぐそこにいるような気がした。


「私も、この身体なら……何かを残せるのかな」


 でも。

 結局ヒビを入れられたとはいえ、あの壁を壊しきれなかった。


 目の前に浮かぶのは、やはりあの“灰色の窓”。


「どこへも行けない」と宣告するかのように現れたそれを、眺めていると。


「アンタほどの適任はいないっすよ」


 はっきりとした声に、頭の中の窓がかき消された。


「え……?」


 いつの間にか、目の前には手が差し出されている。


「ほら、ミュウルさん」

「……うん」


 そっと、目の前の手を握ると。

 彼の手は温かくて、意外にもゴツゴツしていた。


「この小さな手が、壁を壊せるほどの力を秘めてる。それだけで資格十分っす」


 ひとりで壁にヒビを入れた人を、勇者以外で初めて見た。


 ギザールのまっすぐな言葉と瞳に、固まっていた口角が上がった。


「ミュウルさんはもしかしたら、壁を壊せる特別な力を持ってるのかも」

「……そっか」


 壁を越えた先の世界で、私の足跡が未来にまで残るなら――。


「私も、その……まどう測量士になりたい」

「うん、そうこなくっちゃ!」


 自分のことのように喜んでくれるギザールの手を、強く握った。

「力加減バグってますよ!」と、手を振り切られるまで。


「でも、上位職者の推薦が必要なんっすよねぇ〜」

「えっ」


 修道院にいた時ならともかく、追放された私にそんなツテはない。


「大丈夫っす。オレ、いいツテありますんで」

「ほんと?」

「はい! ()()()()()()()()()


 胸を張るギザールに対し、息が止まりそうになった。


「とにかく明日、日が昇ったら都へ向かいましょう!」

「……うん」


 元勇者パーティー。


 勇者の息子に関係ない人だと良いけれど――。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


追放されたゴリラ聖女の旅は、ここからが本番。

壁の向こうへ飛び出し、仲間と共に“未完成の世界地図”を少しずつ描いていきます。


ミュウルと一緒に壁の外を見てみたいと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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