76話 幻想の青い炎
翌朝。
「……ということがあったんだけれど」
すっかり回復して村を散策しはじめたギザールに、青い炎が赤に変わっていたことを話したところ。
彼は少しやつれた頬を緩ませ、「そういうの待ってました!」と叫んだ。
「しっ、まだ朝なんだから」
「村の人たちは、もうとっくに働いてますって。それより、ラディンくんとやらは、“青い炎の謎”に躍起になってるんっすね」
ならば、それが山とは関係がないことを目の前で示せば良い――ギザールの提案に、残っていた眠気が吹き飛んだ。
「え……?」
どうやったら、そんなことができるのか。
目を輝かせるギザールを連れ、ラディンの家までの桟橋を渡っていくと。
ラディンは小屋の下に吊り下げられた網を引き揚げていた。
「ミュウル、早いな。朝飯の魚、食ってくか?」
「うん……いただきます。でも、その前に」
背後のギザールが前に出ると、ラディンは目を瞬かせた。
「オマエの連れ、起きたのか」
「初めまして! ギザールっていいます」
ギザールの笑顔に、ラディンの海色の目が丸くなった。
やはり、この考古学者兼通訳さんはすごい――初対面の相手でも、その警戒心を取り払ってしまうのだから。
「ちょっと話したいことがある」と、いきなり提案したギザールに対し、ラディンは渋々ながらも家に入れてくれた。
「まぁ、ミュウルの仲間なら……」
「お邪魔しま……うおぉぉぉ!?」
ロマンティアの名残がある診療所とは違い、魚の皮で作られた袋が下がるヌァサの小屋。
その内装を見回しながら、ギザールはいつも通り息を荒げている。
「ちょっとギザール、今は炎でしょ」
「はっ! そうでした」
「炎……?」
眉根を寄せたラディンが引き寄せたのは、いまや赤色に変わってしまった炎が閉じ込められている、黒い箱。
ギザールはその箱を指差し、「ああ、あれっすか」と自分のポケットを探り始めた。
「これ、昨日……一昨日でしたっけ? 火口付近で倒れる前に、拾ったんすけどね」
ラディンがいつか、ここで見せてくれたものと同じ――ボツボツと穴の開いた黒い石だった。
「その箱、金属じゃなくてこの火山岩を加工したものみたいっすね。時間が経つと、アレが抜けちゃうんでしょう」
「あれ……?」
箱は金属製だと思っていたが、実は違うらしい。
それに、いったいアレとは何なのか。
答えるより早く、ギザールはラディンに箱を開けるよう言った。
「何をする気だ……?」
色が変わってしまったとはいえ、やっとのことで採れた炎。
それでも、ギザールの真剣な表情と勢いに押されたのか、ラディンは箱を開けた。
中では、まだ赤い炎が揺らめいている。
「ここに、このちょっと削った火山岩を……えいっと」
「あっ!」
ラディンと私の声が重なった、その直後。
石が放り込まれた箱の中の炎が――青色に変わった。
「なぜ」の声が出ない代わりに、ギザールを見上げると。
彼は得意げに、「炎色反応です」と胸を張った。
「でも、聖力があるかもって……」
「あるかもっすけど、炎の色が青いのとは関係ないっすね」
火口付近の火山岩に含まれる、目に見えない成分。それが炎を青くしているのだと、ギザールは言う。
「これは魔法でも山の息吹でもなく、“現象”っす」
「現象……」
やっと声を出したラディンは、箱の中で揺らめく青い炎を、瞬きもせずに見つめていた。
私も、まだ信じられない。
「最近学会で立証された、比較的新しい発見っすから。一般人が知らなくても仕方ないでしょ」
だから、解明したところで山の噴火は収まらない。
儀式と自然は、実際には結びつかない。
ギザールの柔らかくもはっきりとした口調に対して、ラディンはまだ箱を見つめていた。
「じゃあ、俺がやってたことは……全部、意味がなかったのか?」
「ラディン……」
炎の謎の解明は、火山の噴火を止めるための手段ではなかった。
でも、炎の謎は解明された。
この先ラディンにできることが、きっとあるはずだ――。
「噴火を止める意味はなかったかもしれないけど……ラディンの想いは無意味じゃないよ」
『俺はちゃんと山のことを知って、村を残すんだ』
いつか夜の桟橋で聞いた、ラディンの声がこだまする。
あの想いを、私は決して忘れていない。
「ミュウル……」
ようやく、ラディンの目が炎から私へ移った。
その目には、小さな炎の影がチラついているみたいだ。
「現象だからって、価値が下がるわけじゃないっす。むしろ再現できるなら、村の財産にできるかも」
「財産……?」
この村は、少しずつでも観光地化が進んでいるみたいだった。
「青い炎」を村の象徴にしてみたらどうか――そう、ギザールは提案した。
「俺らの畏怖の象徴を……村を照らす灯りにできるのか?」
「ええ、最初は少しずつ。きっとキミならやれるっす」
ギザールの微笑みにつられ、私も笑ってしまった。
あの顔、魔導測量士に誘ってくれた時と同じだ。
「だったら、俺は……」
静かな光を灯した目は、すぐに外へ向けられた。
ラディンはさっそく、漁から帰ってきた村の若者たちに声をかけ、火山の石を集め始めたのだ。
そうして集めた石で、最初はラディンの家の前に一つ。
次に、避難路の曲がり角に一つ。
それから、村の広場に一つ。
少しずつ、“青い炎のかがり火”が増えていった。
「ラディン……」
彼の父スラヤドをはじめ、大人たちがその様子を遠巻きに見ている。
それでも「村の象徴だ」というラディンの言葉を信じたのか、彼らは止めることはなかった。
そうして、青い炎が村のあちこちに灯った夜――。
「『綺麗』……って、言っていいのかな」
こんな時間まで走り回るラディンたちを遠くに眺めながら、ひとり砂浜に横たわった。
青く浮かび上がる、船上の小屋。静かな明かりが濡らす桟橋。
ぜんぶが幻みたいだ。
でも、山が眠っているわけではない。
怖さが消えたわけでもない――。
「さぁて、あたしもぼちぼち去ろうかな」
「え……?」
突然の、背後からの声に身体を起こすと。
ヴァニアは「弟子も目覚めたし」と、妖しい笑みを浮かべていた。
「伝えることも、ちゃんと伝えたからね」
彼女は私を、国へ連れ戻しに来たのではないのか――。
いつもに増して青白く見える彼女の顔を、じっと見つめていると。
『お話中失礼いたします』
耳飾りからの声に、耳の奥が震えた。
「おや、その声はオーリウス坊やかい?」
『……ヴァニアさん、どういうことですか?』
「ああ、その前に。ミュウルに、改めて自己紹介しておこうか」
こちらから問いかけるより早く、ヴァニアは教えてくれた――ギザールの師匠である彼女とオーリウスは、同じ元勇者パーティーだったのだと。
「やっぱり……」
エリアス、それにオーリウスと顔見知りのような口ぶりだったから――。
『それで、勇者の発令した“選抜隊帰還命令”のことですが』
もはや、エリアスどころではない。
修道国の王とも言える勇者が帰還命令を出せば、今度こそ逆らうことは難しくなる。
オーリウスの低い声には、苛立ちが交じっていた。
『帰らなくて結構です』
「え……?」
冗談めいた口調ではなく、至って真剣な声。
声が出なくなった私に、オーリウスは繰り返した――『貴女は帰らなくていい』と。
『元パーティーメンバーを派遣するくらいには、勇者も本気なのでしょう。ですが、その理由に筋が通っていない……ただ、なぜです?』
勇者の依頼通り、私たちを修道国へ連れ返そうとしないのはなぜか。
オーリウスの言葉に続いて、じっとヴァニアを見つめると。
「ただ忠告を依頼されただけだからね」
連れ戻すのは自分の仕事ではない。
そう言って、彼女は私に微笑んだ。
「じゃあ、敵対するつもりはないってこと?」
「うむ。あたしはね」
引っ掛かる言い回しだけれど――ヴァニアは「思う存分、今の問題を解決してくれたまえ」と残し、こちらに背を向けた。
「あ……待って!」
どうしても、彼女に聞きたいことがある。
元勇者パーティーにしか聞けない、オーリウスが答えてくれなかったこと。
それを、おそるおそる口にした――「勇者は本当に魔王を倒したの?」と。
『……っ!』
すべて滅ぼされたと言われていた魔族も、実際は生きて暮らしていた。
それに、魔族が崇める壁は各地で復活している。
『ミュウル、それは――』
「オーリウスはいま黙ってて」
彼はいくら私を信じてくれていたとしても、そこだけは教えてくれない。
ならば、同じ元勇者パーティーのヴァニアに尋ねるしかない。
波の音だけが響く中。
ヴァニアは紫色の唇を持ち上げ、笑い声を上げた。
初めて聞くような、大声で。
「知りたいのなら、実際に魔王の棲み処へ行ってみればいい」
「え……?」
「これまでも、君はそうしてきたのだろう?」
ヴァニアの言葉に、両足が疼いた。
そうだ。最初に修道院を出たかったのだって、「知りたいから」だった。
「ロマンティアの世界地図に、魔王城が記されていたら面白いと思わないか?」
「……!」
もし本当に私の足が届くのなら、行ってみたい。
自分の目で確かめたい。
勇者が倒したという魔王が、本当に生きているのかどうか。
「それじゃあね、ミュウル。君のことは覚えておくよ」
ヴァニアがゆっくりと遠ざかるのを見送った後。
『……ミュウル』
オーリウスは何か言いたげに、それでも静かに私の名前を呼んだ。
たぶん、怒っている。
「ねぇ、オーリウス。あなたの前の白地図……どうなってる?」
『はい……?』
声を揺らしつつも、彼は教えてくれた。
寸法は違えど、海岸線の形は、私が最初に描いた「予想の地図」と重なりつつあると。
「……そっか」
修道院の地下で、前世の記憶を頼りに描いた地図。
あれが“今の世界”の形でもあるとしたら――壁と魔王の真相を知れば、この奇妙な一致の理由も分かるかもしれない。
『ミュウル、なぜ貴女は……』
オーリウスはそこで言葉を切った。
何かを迷っているみたいだ。
通信越しなのに、全身が震えるほどに彼の魔力を感じる――。
「……あれ?」
いや、違う。
この震えは――。
ふと、夜の闇にそびえる山を見上げた、その瞬間。
突然襲いかかってきた地鳴りに、立っていられなくなった。




