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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
6章 青い火山は怒らない ―ヌァサ・メラ―
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75話 ヌァサ・メラの沈黙

 ラディンの家へ向かうつもりだった足を、診療所へ向けると。


「あれ? ミュウルさん、どこ行ってたんすか?」


 藁の敷物ベッドから、半身を起こしたギザールが笑っていた。

 いつもより少し疲れた顔で。


「ギザール……!」


 気づけば走り出し、ポカンとする彼を抱きしめていた。

 起きているところを見るのが、とんでもなく久しぶりに感じる。


「そんな大袈裟な……って、いででで骨が砕ける! 加減!」

「あ……」


 危うく、熱病に粉砕骨折を追加するところだった。

 青い顔の彼を解放したところで。


「どれ、あたしも祝福してやろう」

「あ……」


 背後から割り込んできたヴァニアが、ギザールの頬に口づけた。


「ゲッ……!」


 顔を真っ青にしたギザールは、再びベッドに沈んでしまった。


「ほんとアンタ、冗談じゃないっすよ……!」

「ん? 親に向かってアンタとはなんだい」


 仲良いのか悪いのか分からない師弟を前に、思わず首を傾げた。

 親しげだけれど、やっぱり本当の親子ってわけではないのだろう。


 隣のジェニファも、同じように首を傾げていた。


「どことなく似ていますけれど、親子と言うには年が近過ぎますわよね?」

「うん、ギザールは家族いないって言ってたし」

「あ……そうでしたわね」


 とにかく、ギザールがいつも通り喋っているところが見られてホッとした。


「あら、ミュウル様どこへ?」

「ラディンと約束してるから」


 物知りなギザールなら、“青い炎”の謎について、何かヒントをくれるかもしれない。

 ただ連れ回すには、まだ本調子ではなさそうだ。


「私がギザールさんを見ています」と、手を振ってくれるジェニファに背を向け、出入り口へ向かおうとしたところ。


「ミュウル君、ちょっといい?」


 ずっとテーブルの方で包帯を巻いていたグレゴリィが、こちらに近づいてきた。

 彼もラディンに話したいことがあるという。


「なんの話?」

「いやね。村の外から来た大人として、彼に話しておきたいことがあってサ」


 白髪をかきながら、いつもの調子で言うけれど――何となく、彼の目が真剣な気がした。


 そんなグレゴリィを連れて、ラディンの家へ向かうと。


 彼は持ち帰った炎の箱を前に、あぐらをかいて座っていた。


「……ミュウル、来たか」

「うん、お待たせ」

「ギザールとかいうやつが病んでるんだろ? 大丈夫か?」


 すると私が答えるより早く、グレゴリィが小屋に入ってきた。


「彼はもう、君の肘より調子いいヨ」

「……先生も来たのか?」


 ラディンは目を丸くしているが、「一緒に炎の研究を見守りたい」というグレゴリィの願いに頷いた。

 村の大人よりは、彼に心を許しているのだろう。


「じゃあ……開ける」

「……うん」


 黒い金属の小さな箱。

 そのフタを、ラディンの指が恐る恐る持ち上げると――。


「そんな……どういうことだ!?」


 箱の中で、チラチラと燃えている炎。

 確かに火口から移したはずの青い炎は――赤色をしている。


「えっ……どうして?」

「早くしないといけないのに……なんでだよ!」


 やっぱりラディンは、“青い炎の謎が解明されれば山の怒りが収まる”と考えているらしい。

 彼は藁の床に拳を叩きつけ、もう一度箱を覗いた。


 でも――何回見ても、やっぱり炎は赤い。


「ラディン君……」


 ここに来るまでに、グレゴリィは教えてくれた。

 彼が炎を山から採って来ようとしては、何度も火傷を繰り返していたことを。


 それでもグレゴリィは、ラディンを止めなかった。村の大人たちとは違って。


「ラディン君、それが……君のいま一番するべきことかい?」

「……え?」


 いつもの軽い口調を封印して、グレゴリィは言った。

「炎の正体を知る前に、確実にできることをした方が良いのではないか」、と。


「逃げろ……って言うのか? 先生も、他の大人と同じように!」


 刃を剥き出すラディンに、グレゴリィは微笑んだ。

 少し寂しそうに。

 

「……逃げることだって、時には必要だよ」

「グレゴリィ……」


 その言葉が、なんとなく彼自身への慰めのように感じた。


 ただ――ラディンは、自分の思うやり方で頭がいっぱいみたいだ。

「それ以外の選択はない」と、箱を大切に抱えている。


「ラディン……」


 グレゴリィの言うことは、たぶん正しい。

 それでも、ラディンの気持ちに心が傾く。


 でも、私は――。


「後でだって、遅くない」

「……ミュウル?」

「必ず青い炎の謎は解けるって思ってる。でも……ラディンと村の人が傷つくのは嫌だよ」


 グレゴリィみたいに諭す言葉なんてない。

 ただ、正直な気持ちを伝えることしかできない。


 すっかり俯いてしまったラディンの横顔を、じっと見つめていると――。


「あれ……?」


 外の空気が変わった。

 それに、賑やかな声も聞こえてきている。


「おや、いったい何事かナ?」


 小屋から出た瞬間、思わず目を見張った。


 山が――黒い煙を吐くことをやめている。


「噴火は……?」


 まだ、細かい灰が青空に混じっている。

 それでも山自体は震えを止め、沈黙していた。


 村の大人たちは、何かを叫んで互いに抱き合っている。


「おお良かった! 見なよラディン君、みんな喜んでいるよ」

「……ほらな」

「ん?」


 グレゴリィと目を合わせ、首を傾げると。

 小屋から半歩だけ出たラディンは、口角を上げた。


「山を知ろうとすれば、山は鎮まるんだ……だったら」


 その調子で研究を進めると言って、ラディンは私たちの背を押した。


「ふたりとも、今は帰ってくれ。俺ひとりでやれることをやりたい」

「あっ、ちょっと……なんてオーボーな!」


 ふたり揃って、小屋から追い出された後。

 村人の歓声を聞きながら、溜め息を吐くグレゴリィと視線を合わせた。


「……本当に、炎の秘密を調べようとしたから山は鎮まったの?」

「うーん、あんまり夢を壊すようなこと言いたくないけども」


 関係はないはずだ。


 グレゴリィは、はっきりと言った。


「……だよね」


 山を鎮めるためではなく、ラディンが納得する方法で進めるなら、それでいいと思っていた。

 でも――山は本当に鎮まったのだろうか。


「もう遅いからネ、宿に戻ったらどうだい?」

「うん……グレゴリィ、ギザールをよろしくね」


「料金は後でバッチリいただくネ!」と、片目を閉じるグレゴリィと別れ、昨日もお世話になった民宿へ向かうと。


「今夜ノ客サンノ部屋、ココネ」

「え……?」


 案内されたのは、前の世界の雑誌特集で見た、高級ヴィラのような部屋だった。


「間違ってるんじゃ……」

「ラディン、言ッタ」


 私が火山の怒りを鎮めた功労者のひとりだと、さっきラディンが言いに来たという。


 どうやら彼は、若者とはいえ、村の中では一目置かれているみたいだった。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 昨日の簡素な空間とはまるで違う。

 ベッドはハンモックで、風呂も洗面台もないけれど――貝殻の壁装飾と天井の夜空が見事だった。


「魔法……なのかな」


 天井はちゃんとあるはずなのに、夜空が透けるように見えている。


「あの景色はね、魔力をもつ村人が今見ている景色を、天井の魔結石に投影しているそうだよ」

「へぇ、意外と人力……って」


 隣のハンモックに揺られているのは、絵本の中から飛び出してきた魔女のような女性――ヴァニアだった。


「どうしてここに……?」

「部屋が満室だったものでね。ところで、君こそどうしてここに?」


 修道国を出てから、獣人族の森、砂漠のピラミッド、中継都市、人魔の川、そしてなぜ次はここを目指したのか。

 ヴァニアの問いかけに、ハンモックから半身を起こした。


「どうして、そこまで知ってるの?」

「さて、どうしてだろうね」


 まるでオーリウスの執務室の白地図を見たかのように、正確な口ぶりだ。


 ヴァニアは私の反応を楽しむかのように、妖しく微笑んでいる。


「別に……どこをどう回ろうと、私たちの勝手だ」

「ああそうだね。ただ、妙だと思ってね」


 非公式でも、魔導測量士第一号の私たち。

 その第一目的は、各主要地で拠点契約を結ぶこと。


 大陸をざっくりと切り取るように移動して、そうするなら分かる。

 でも、なぜこんな小さな島に、わざわざやって来たのか――ヴァニアの疑問に、喉が詰まった。


「それは……」


 彼女はオーリウスを「坊や」と呼んでいた。たぶん知り合いなのだろう。

 それでも、彼の足のことを話すわけには——。


「さて、もう寝ようか。明日もラディンの謎解明に付き合うのだろう? おやすみ」


 私が困っているところは充分堪能した、とでもいうかのように、ヴァニアはあっさり目を閉じた。


「……おやすみ」


 ハンモックに揺られながら、耳を澄ませると。

 波の音と隣の寝息だけが部屋に響いていた。


 窓の向こう、夜の山(ヌァサ・メラ)は、ひどく静かだ。

 ――静かすぎるほどに。

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