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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
6章 青い火山は怒らない ―ヌァサ・メラ―
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73話 青い炎を盗んだ日

 まだ鳥も鳴いていない、翌早朝。

 民宿の薄暗いラウンジに、ラディンはじっと立っていた。


「……おはよう」

「バレないように行くぞ」


 これからふたりだけで、“青い炎”を手に入れる。

 ラディンが見せてくれたのは、金属製の箱だった。


「俺の魔法で作ったから、大したものじゃないが……しばらくの間、中に入れたものをそのまま保存できる」

「えっ、すごい……!」

「しっ」


 まさかラディンに魔法が使えるとは思わず、つい声を大きくしてしまった。


 ふたりでこっそり民宿を出ると、すでに空は白んでいる。


「あの黒い女は?」

「え……?」


 振り返ると、黒くヒョロ長い影が後からついて来ていた。


 同じ民宿に泊まっていたはずのヴァニアだ。


「あたしもヒマだし、君たちと山を登ろうかなと思って」


 本当に、そうなのだろうか。


「村の大人に告げ口されたら面倒だ、連れていくか?」

「うん……ラディンさえよければ」


 いったい彼女は、何のためにこの孤島を訪れたのか。


 ギザールの師匠だという話だって、真実かは分からない――そう、思っていたのだが。


「おおっ! あの溶岩の形、興奮するね」


 地形に風景、落ちているもの何にでも目を留める彼女を見ていると、納得してしまった。

 彼女は紛れもなく、あのギザールの師匠なのだと。


「あの陥没(クレーター)は……」

「危ない!」


 魔力の圧は桁違いだけれど、ふらふら出歩いては穴へ落ちそうになるところがそっくりだ。

 細い腕を捕まえつつ、はっきり言うと、ヴァニアはくくっと喉を鳴らした。


「危険を承知で動かないと、考古学者の欲求は満たされないのさ」

「それ、考古学者関係あるの……?」


 軽口を交わす間にも、ラディンはさっさと山を登っていく。


 何だろう――山の空気が昨日とは違う。


 火口に近づくほど、肌をひりつかせる気配は濃くなっていった。


「チッ……面倒なことになった。ミュウルも影(バヤン)をやっつけるのに協力してくれ」

「バヤン……?」


 何のことかと訊ねるより早く、先を行くラディンが石を拾いはじめた。


 彼が石を構え、狙いを定める先にいるのは――。


「……影?」


 この指先が震える感じ、間違いない。

 トカゲ型の影が、乱立する岩を這い回っている。


「壁が近くにあるってこと……?」


 でも、今は目の前の影をどうにかしなければ。


「ヴァニア、さがってて」

「はいよ」


 影を見ても、ヴァニアは特に驚いていない。

 彼女なら、魔法で影を何とかできるのかもしれない。


 それでも、今はラディンの様子を見ようと思ったのか、素直に岩陰へ下がっていった。


「ラディンも、さがって……!」


 このくらいの小さな影ならば、数が多くてもひとりで何とかなる。


 そう言って、軋む拳に聖力を集中させていると。


「女ひとりに背負わせるかよ」

「え……?」


 麻の腰布に石を装備しただけの彼が、影に向かって腕を振りかぶった。


 せっかく当たっても、影をすり抜けるだけだと言おうとしたのだが――。


『ギィッ!』


 石が直撃した影たちは、ひっくり返ってのたうち回っている。


「どういうこと……?」

「ぼうっとしていて良いのかい?」


 艶めいた声に、背中を弾かれた。


 私も影を消さなければ。


「はぁ……!」


 走って、飛んで、素早い影をぶん殴る。

 もはや慣れた仕事を一通り終えたところで。


「すごいな」

「え……わっ」


 海色の目を細めたラディンに、ひょいと身体を持ち上げられた。

 ギザールやジェニファを運ぶことには慣れているが、持ち上げられることは滅多にない。


 まして、いつも静かな彼がこんなことをするなんて――。


「土地の穢れを“青い炎”ナシで倒したんだ。驚かない方が無理だろ」

「え……」


 ラディンは影のことを、穢れと呼んだ。


 修道国にいた私たちと同じように。


「どういうこと……?」

「ふぅむ、なるほどね」


 ひとりで頷いているヴァニアに、「教えて」と遠慮なく尋ねたところ。

 彼女は、私の少し焦げた手を見て微笑んだ。


「あの青い炎には、聖力のようなものが含まれているのだろう」


 この土地に出る“穢れ獣”は、あの炎で弱っているらしい。

 それを彼は、「この青い炎に願えば影を払ってくれる」のだと思っている――ヴァニアの言葉に、深く頷いた。


「全然分からなかった」

「混ざりものも多いからね。聖女でも感じなくて当然だろう」


「それにしても」と、ヴァニアは宙に浮く私をじっと見た。

 光のない漆黒の目に囚われると、やっぱり背筋が震える。


「ミュウルは本当に、殴るタイプの聖女だったか」

「……通称“ゴリラ聖女”です」


 もはや慣れたやり取りに、定型で返すと。


「道理でエリアスが気に入るわけだ」

「え……?」


 久々に聞いた名に、胸が軋んだ。


 ヴァニアの目が、私を試すように細くなる。


「どうして――」

「そろそろ火口へ到着する。ミュウルのおかげで道が開けた」


 ラディンには降ろしてもらえたけれど。

 ヴァニアはそれ以上、何も口にしなかった。


 どうして彼女は、エリアスのことを知っているのか――訊ねる機会がないまま、ラディンの「止まれ」の声が思考を遮った。


「……ここ、昨日の火口と同じところ?」


 肌を焦がす熱に、喉まで焼かれそうだ。

 火口の底では、青い炎をまとった溶岩が、より激しく煮えたぎっていた。


「ふむ。これは危険だねぇ」

「でも、これを持ち帰れば……何か分かるはずだ」


 ラディンは長めの木の枝を拾い上げると、それを持ったまま火口へ近づいていく。


「ちょっと待って!」


 念のため、ラディンの腰を掴んでおいた。

 こんなに身を乗り出して、落ちたら取り返しがつかない。


「……オマエに支えられてるなら、安心だな」

「いいから早く採って」


「暑すぎて溶ける」と近づいてこないヴァニアのことは、気にしなくても大丈夫だろう。

 枝の先に何かを塗りつけるラディンを、今はしっかり見張ることにした。


「樹脂を塗っている。これに一度火を移してから、あの箱に入れるんだ」

「……うん」


 正直、話に耳を傾けている余裕はない。

 お互いの汗で滑る身体を、しっかり掴まえておくだけで必死だった。


「よし、移った……!」


 ラディンは棒に灯った青い炎を、灰を敷いた金属箱へ移し替えている。


「わぁ……」


 中に入れた炎は、消えることなく青々と燃えていた。


「本当は昨日やり遂げるつもりだったんだが……これでじっくり調べられるな」

「そうだね」


 昨日負った肘の火傷を忘れたかのように、ラディンは真剣な横顔で炎の箱を抱え込んでいる。


 彼にとってこれは、希望の箱なのだろう。


「さて、色はいつまで保つかな」

「え……?」


 ヴァニアの呟きに、首を傾げたものの。

 彼女はにっこりと笑うだけだった。


 時間が経てば、色が変わってしまうかのような言い方だったけれど――。

 あとは帰るだけだと、ラディンは村へ戻る道を振り返った。


「そんなに早いと危ないよ」

「ミュウルはこんな山道余裕だろ。むしろ俺が急ぐべきだ」


 火が消えないように、と、ラディンは箱を大切に抱えたまま先を下っていく。


 そんな中――最後尾のヴァニアが、ふと足を止めた。


「ヴァニア?」


 いったいどうしたのか。


「疲れたなら、背負って山を下りる……?」


 ギザールにしているように、と告げたところで。


 不敵に笑む彼女の栗毛が舞い上がり、外套がはためいた。


「……っ!」


 何かが来る――身構える身体を覆ったのは、白い霧だった。


 最初に私たちを分断した、あの霧とよく似ている。

 というより、魔力の感触が完全に同じだ。


「昨日のも、あなたがやったの……?」

「ああ、すまなかったね。我が弟子とふたりで話したいことがあったもので」


 さて、と、ヴァニアは背筋を伸ばした。


「君にも、ふたりだけで話しておきたいことがあってね」

「話……?」


 昨日出会ったばかりの彼女が、私に何を伝えるというのか。


 そう思った瞬間、ふと彼女が口にした名――エリアスが頭をよぎった。


「勇者関係の人……?」

「ご名答。ただのゴリラじゃあないみたいだね」


 バカにしているのか、褒められているのか。

 ヴァニアの笑みはよく分からない。


 ただ。紫色の口角が下がった途端、彼女と周囲の霧の温度が冷えていった。


「話は簡単だ。君たち“非公式選抜隊”は、ここで帰国しろってことさ」


 帰国。


 頭が真っ白になって、一瞬、言葉の意味を理解できなかった。


「……まさか、エリアスが?」


 ついに彼は、自ら追うだけでは飽き足らず、勇者関係の人、もといギザールの師匠にも依頼したのか。


「いや、エリアスではないよ。この命令は勇者からだ」


 勇者。


 また、頭の中が白く染まっていく。


「ついでに言えば、君たちだけじゃない。公式に派遣された選抜隊も、順次引き上げだそうだ」


 呼吸が止まりそうになった。


 国では彼の像ばかりを見上げていて、おとぎ話の存在みたいだった勇者。

 そんな彼が、どうして私たちの足を止めるのか。


 しかも勝手に旅立った“非公式”だけでなく、“公式”の選抜隊まで。


「ねぇ、オーリウス……聞いてる?」


 揺れる耳飾りに触れてみても、返事はない。


 目の前の霧の中、なぜかはっきりと姿が見えるヴァニアは、笑うだけだった。


「……勇者とどんな関係なの?」

「それなりに長い付き合いさ。オーリウス坊やともね」


 オーリウスの元主治医の、グレゴリィ。

 そんな彼と知り合いで、ギザールの師匠を名乗る考古学者――本当は何者なのだろう。


 ただ、ひとつだけはっきりした。


 彼女は私たちの味方ではない。

 少なくとも今は、私を籠に戻そうとする修道国からの追跡者だ。


「……おや?」


 突然、ヴァニアの圧が解けた。

 

 頬を打つ熱波に、霧が消されていく。


「これは……」


 地面が揺れている。

 そう気づいた瞬間、全身を悪寒が走り抜けていった。


「ラディン!」

「もうこの辺にはいないみたいだね。どれ、私たちも……おっ」


 のんびり歩くヴァニアを抱え、山の斜面を滑るように降りた。


「大胆だねぇ、ますます気に入ったよ」

「口閉じてて……!」


 背後からは、火口が激しく溶岩を散らす音が聞こえる。


「これは何なの……?」


 まるで、山が“炎を盗まれた”と怒っているかのような揺れと音だ。


「ああ、火山の怒り……噴火の予兆だね」

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