72話 ゴリラ聖女、力を示す。
目の前には、黒光りする筋肉を誇るような男性たち。
『オマエの強さを示せ』とラディンは言っていたが、いったい私に何をさせるつもりなのか。
「どれ、ヒマだから見物して行こうかな」
「え……」
さっきまで話していたヴァニアが、いつの間にか後ろからついて来ていた。
「ミュウルの仲間か?」
真剣な顔つきのラディンに、ヴァニアは「そうさ」と軽い調子で返し——結局、彼女まで見物することになってしまった。
「……ッ! ……」
「えっ、なんて……?」
険しい顔で小屋に詰まる大人たちに、ラディンが何かを話している。
何となく強い口調で。
「『“青い炎の秘密”を解き明かすことが成人の条件ならば、山に登るしかない』……もっと訳してやろうか?」
「え……ヴァニア?」
後ろで黙っていたヴァニアが、「弟子より上手いぞ?」と、自信に満ちた笑みを浮かべている。
「じゃあ……お願いします」
実際に、ギザールより長けているかどうかは置いて。
ヴァニアは彼らが喋るのとほぼ同時に、大事なことを短く教えてくれた。
ラディンだけが、「本当に青い炎の正体を知りたいと思っている」ということを。
「どういうこと?」
「他の成人を迎える若者は、大人の言いつけを守って、実際に山に登らない。でも彼だけが、正しい答えを見つけて大人になりたいと思っている……ってことかな」
眉を寄せる大人たちに、懸命に訴えるラディンの横顔。
それが人ごとではないものに思えた。
彼は自分が納得できる方法で、自分の前にそびえる壁を越えようとしているのだ——。
「それで、『私の力を示せ』っていうのは?」
「それは……おっと、訳すまでもないようだね」
こちらを振り返ったラディンが、私の手を強く握った。
「話は通した。ミュウル、オマエの出番だ」
自分には頼もしい味方ができたということを、山を登ることに反対する大人たちに示してくれ——そう言って、ラディンは握る力を強めた。
「示すって、どうやって?」
「火口に近づきすぎた俺を、とっさに助けてくれただろう」
手を握る力を緩めたラディンは、部屋の隅で佇む大男を指した。
「あの男は村で“山”と呼ばれる巨漢だ。華奢な女のオマエが奴を持ち上げれば、ここにいる連中はオマエの力を知ることになる」
「えっ……」
それは、たぶんできる。
でも、山に登っても危険がないことの証明になるのだろうか——?
これが唯一の方法と疑わないラディンから、視線を逸らしたところで。
後ろから、笑いを堪えるヴァニアの声が聞こえてきた。
あの変な人、この状況を絶対に楽しんでいる。
「笑いたきゃ笑え。俺は山に選ばれたいんじゃない。青い炎の正体を知るために山へ登るんだ」
「……ラディン」
私が何か言ったところで、彼の決意は固そうだ。
「あの人たちも、私が“山さん”を持ち上げれば納得してくれるの?」
「ああ。“出来るはずがない”と取り合ってくれないが……」
だったら、と、山さんの前に進み出た。
彼は体格だけでなく、どっしりとした表情で私を見上げている。
「『やめときなよお嬢さん、オラを抱えたら骨が折れるぞ』……だとさ。どうする、ミュウル?」
ヴァニアは引き続きニヤニヤしながら、こちらを眺めている。
「どうって…………こうっ!」
全身に息を吹き込むように吸い、山さんを横抱きにすると。
「オオッ……!」
歓声と同時に、何人かの大人が立ち上がった。
「……思ったより軽いよ、お兄さん」
「ヘェェ……?」
正直、ヴァリナ川から村まで運んだ水よりも楽勝だった。
さらに巨体を頭上へ持ち上げて見せれば、もはや声が止んでしまった。
ヴァニアが笑いながら拍手をする一方。
当のラディンは、山さんを見上げてポカンと口を開けている。
「オマエ……そこまでだったのか」
ついでにラディンも一緒に抱えるか、尋ねると。
小屋の中は、しんと静まり返ってしまった。
ただ、一番年長らしき白髪の女性が、ポツリと何かを発した直後。
唖然としていた大人たちが、一斉にラディンへ向き直った。
「ヴァニア、なんて言ってるの?」
「『確かにこの娘の力は凄まじいが、山は人が勝てるものではない』」
「……そっか」
最初から、薄々わかっていたことだけれど——私の“ゴリラパワー”を見せつけたところで、山の大人たちは納得しなかった。
「クソっ……」
「ラディン!」
ヴァニアに先へ帰っててと告げ、小屋を飛び出したラディンを追っていくと。
彼は包帯の巻かれた肘を押さえながら、浜辺の先へ歩き出していた。
「ラディン……」
成人の儀を通過するためなら、もっと安全で確かな方法があるのでは——なんて思ったところで、私には言えない。
やがてラディンは、海に張り出した桟橋の端で足を止めた。
夜の海は静かだ。
でも、遠くの火山だけが、暗い空の下でぼんやりと青く揺れている。
ここからでも熱波が感じられるほど、息遣いが強い。
そんな山を隣人にしているラディンは、どうして炎の解明にこだわるのだろうか——。
「ラディンはさ、山が怖くないの?」
訊いた瞬間、彼はほんの少しだけ振り返った。
「怖い。だから知りたいんだろ」
怖いものを怖いまま祀って、何になるのか——。
そう言って、ラディンはポケットから石をひとつ取り出した。
昼間、彼の家で見せてくれたものと同じだ。
青い火口のそばで拾ったという、歪な黒い石。
「大人たちは言うだけだ。山を怒らせるな。火に触るな。祈れ。でも……」
それだけでは、村は守れない。
ラディンは静かな青い眼光で、あかりの灯る村を見回した。
「観光客は『綺麗だった』と言って帰れる。だが……俺たちはここで寝て、ここで起きるんだ」
「……うん」
昼間、彼が「観光客は良いよな」と言った理由はそれだったのか——。
「早く大人になって、村を出たいわけじゃないんだね」
「当たり前だ」
ラディンは少しだけむっとした顔をした。
それから。火山の方を見たまま、小さくため息を吐いた。
「俺はこの村を残したい。親父たちみたいに祈るだけじゃなくて……俺たちの病を知っているから治せる先生みたいに、ちゃんと山のことを知って、村を残すんだ」
ラディンの声が、胸にすっと溶けていく。
前の世界では、歩けなかった私。
でも今は、世界を知って、自分の足跡を残そうとしている。
彼と私の痛みが、重なるんだ——。
「ミュウル」
「なに?」
「青い炎の謎、手伝うって言ったな」
「……言った」
頷くと、ラディンの海色の瞳に、青い火がちらりと映った。
「明日、一緒に山へ登ってくれないか? 青い炎を村まで運ぶためのものが、そろそろ完成しそうなんだ」
「私は……」
彼のこと、そして彼を心配する人のことを思うなら、手伝うべきではないのだろう。
でも、「やらない後悔」がいかに痛くて自分を苦しめるのか、私は誰よりも知っている。
「分かった、行くよ」
ポツリと答えると。
「……ありがとな」
火山の青い光を映した瞳が、すっと細くなった。




