71話 妖しい師匠
「ギザール……!」
ひょろっと背の高い女性の手から、ぐったりしたギザールを奪い返しそうになったけれど。
そもそも、この余裕めいた笑みの人は誰なのか——なぜかこれ以上、近づく気になれない。
「おっ、嬢ちゃんがミュウルとやらか」
「え……?」
私が返事をするより早く、女性は私の手にギザールを預けてきた。
「はぁ~重かった! 肉体労働はあたしの専門じゃないんだよ」
真っ直ぐな栗色の毛をなびかせながら、彼女は背伸びをしている。
少なくとも、ここまでギザールを運んで来てくれたということは、この状態は彼女のせいではないのだろう。
「……あなたは?」
「ん? あたしのこと、愛弟子から聞いてない?」
愛弟子。
ギザールを指す漆黒の長い爪に、背筋が震えた。
この人、たぶん——。
「はいはい、お医者さんが通りますよ!」
いつの間にか追いついていたグレゴリィが、ギザールの額に手を当てた。
ギザールはひどく汗をかいている。
「熱病かな。ミュウル君、そっとダッシュで診療所まで戻れる?」
「うん。でも……」
艶めいた笑みを絶やさない女性を見上げた。
全身を黒い外套で覆っているせいか、それともゾッとするような魔力のせいか——彼女だけが、青と白の砂浜から浮いて見えた。
「お? そんな目で見なくたって、あたしもちゃんと着いていくよ」
「……はい」
とにかく今はギザールだ。
最高速度。でも、腕の中のギザールの首が揺れないように、膝だけで衝撃を殺す——そのまま砂浜を駆けていくと。
「ミュウル様、おかえりなさ……まぁ! 早くこちらへ」
小屋の軒下で薬瓶を乾かしていたジェニファが、手際よく藁のベッドまで案内してくれた。
「お医者様はなんて?」
「熱病だって。いま、頑張って向かってる」
待っていられないと思ったのか、ジェニファは桶を持って来て、中の氷を皮袋に詰めはじめた。
さっき、グレゴリィがラディンの治療で作ったものの残りだろう。
「私も手伝うよ」
ふたりで氷袋を量産し、ぼうっとしているギザールの身体を冷やすと。
熱を放っていた肌が、だいぶ落ち着いてきたみたいだった。
急病人の世話をするジェニファを、修道院にいた頃は何度も手伝ってきたが——まさか、こんなところで役立つなんて。
「それでこの人、今度は何をやらかしたのですか?」
「ええと——」
謎の女性が運んできた、と、言うより早く。
「青い炎の火口に近づきすぎたんだ」
振り返った先には、ひょろっとした黒い影が伸びていた。
「好奇心旺盛なのは、あたし譲りかな」
「……それで、あなたは?」
今度こそ、彼女は答えてくれた——「ヴァニア」と。
「ヴァニアさん。貴女がギザールさんを助けてくださったのですか?」
「ああ。弟子はヌァサ村の通過儀礼を体感するとか言って、火口に近づきすぎてね。一応止めたんだけど」
なんともギザールらしい理由だ。
まさか、ラディンと同じことをしていたとは思わなかったけれど——。
隣のジェニファは、「弟子?」と首を傾げている。
「それについては、まだ聞いてなくて」
小屋の入り口に寄りかかったまま、近寄って来ないヴァニア。
聞きたいことは色々だが、今はギザールの治療が先だ。
「はぁ~やっと追いついたぁ、お待たせ患者君!」
「あっ、グレゴリィ……」
息を切らしながらも、彼はすぐにギザールの横へ膝をついた。
「ちゃあんと応急処置してくれたんだネ! さすが旅の薬師だ」
「ミュウル様も手伝ってくださいました」
ひとまず、グレゴリィが来れば安心だ。
もう私にできることはない。
だったら——。
「改めまして、ミュウルです」
入り口から動かないヴァニアの正面に立ち、紫色の唇を見上げると。
「いいねぇ。あたしの魔力を痛いほど感じているだろうに。物怖じしないその目、興奮するよ」
「……はい?」
「さすが、弟子が惚れ込んだだけあるなぁ」
笑顔も魔力も不気味だけれど。
この人、あんまり嫌な感じがしない。
入り口に立ったままなのも、病人のそばに自分の魔力を近づけすぎないようにしているみたいだった。
「本当にギザールの師匠なの?」
「ふふっ、保護者代わりともいうかな」
「保護者……?」
病的に白い肌をじっと見つめても、やはり彼女が何歳かは分からない。
少なくとも、私やジェニファ、ギザールよりは上に見えるが——。
「若い子相手に、あんま変なこと言わないでよね」
「えっ……?」
手に治療魔法の痕跡を纏ったまま、グレゴリィはこちらに近づいてきた。
この二人も顔見知りなのか。
「浜辺の医師が、まさかグレゴリィだとは思わなかったよ。こんなところで腕を腐らせていたとは」
「ヴァニアちゃんこそ、隠居先探しかナ?」
オーリウスの声を聞いた時ほどではないにしても、グレゴリィの声は少し硬かった。
やっぱり彼は、修道国にすべてを置いてくるつもりでここまで来たのだろう。
「相変わらず自信満々だねぇ、ヴァニアちゃん」
「おっと、それは魔法のことかい? それとも、この身体?」
突然開かれた黒い外套の中に、思わず吹き出しそうになった。
「なっ……」
南国の海辺でも、なかなか見ないほど攻めた布面積だ。
「むっ? グレゴリィ、もうこれは面白くなくなったのかい?」
「いやワシもう70よ? こういうのでいちいち騒がないくらい大人になったの!」
グレゴリィは「相変わらず時代錯誤なんだから」と、苦笑いで済ませているが——こんな変人が、本当にギザールの師匠なのだろうか。
それに。
グレゴリィよりもずっと若く見えるのに、ヴァニアの方が老成して見える。
「ふふふっ、すまない。若者と話すのが久々でね」
「……“からかい師”の方ですか?」
たった今思いついた職業を言ってみると。
彼女はさらに笑って、「失礼」と、外套の前を閉じた。
「私はただの考古学者ってやつさ」
ギザールと同じ職業。
でも、彼女からにじむ魔力や不穏な気配が、彼とはまるで違っている。
本当に、ただの考古学者なのか。
敷物の方を、チラッと見たけれど——ギザールはまだ起きる気配がない。
少し離れた作業台の上では、ジェニファが懸命にすり鉢で葉を擦っていた。
「解熱の薬は彼女にお願いしたんだ。ほんと優秀な薬師さんだネ。さて……」
このまま入り口で騒いでいると、病人がゆっくり寝られない。
笑顔でそう言ったグレゴリィに、外へ追い出されてしまった。
ヴァニアまで一緒に。
「……」
彼女をじっと見たところで、光を吸収する黒の瞳を、すっと細めるだけだ。
それでも、疑念が晴れない——どうしてこの人は、今ここにいるのか。
ギザールの師匠、しかもグレゴリィと知り合いの考古学者。パッと見た感じ、ロマンティア人だろう。
偶然にしては、なんだか違和感がある——。
「ミュウル」
落ち着いた声を振り返ると、ラディンが砂を蹴って歩いてくるところだった。
まだ肘には、痛々しい傷が残っている。
「村の集会は?」
「それが……とにかく、オマエも来てくれないか?」
「え……あっ」
よく分からないまま、少しざらついた手に腕を引かれた。
火傷した肘以上に、ラディンの横顔が傷ついているように見える。
「ラディン、いったい何が……」
「オマエの強さを示してくれ」
「……え?」
意味がわからないまま連れてこられたのは、村の中央に繋がれた大きな藁小屋。
その中には——村の厳つい大人たち10人ほどが輪になり、顔を寄せ合っていた。




