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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
6章 青い火山は怒らない ―ヌァサ・メラ―
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70話 聖女、行間を読む。

 オーリウスは「グレゴリィ医師」、グレゴリィは「オーリウス坊ちゃん」と呼び合った直後。

 二人の声は、完全に途切れてしまった。


 知り合いらしい。

 でも、再会を喜ぶ空気ではない。


 やがて沈黙の中、立ち上がったグレゴリィは——「ちょっと潮風に当たってくるネ」と、小屋を出て行った。


「ジェニファ」

「ミュウル様、追いますよね?」


 グレゴリィは私たちから逃げるように走っているが、白衣の裾を掴むのは簡単だった。


「何で逃げるの?」

「ええと……」


 息を切らして走るグレゴリィに、早歩きで並走していると。

 観念したのか、彼は岩場の平らな石の上に腰を落とした。


「オーリウスさんに、何か後ろめたいことでもございますの?」

「それは……」


 ジェニファの問いかけに、グレゴリィは顔を背けている。答えを言っているも同然だ。


「通信、切って話す?」

「いや、うん、ワシも大人だしね……」


 せめて挨拶だけはするというグレゴリィに頷き、オーリウスに「もういいよ」と声をかけると。


『お久しぶりです、グレゴリィ医師。まさかこんなところにいらっしゃったとは』

「……うん、ごめんネ」

『なぜ謝られるのですか? かつて、私の主治医だった貴方が』


 主治医。

 オーリウスの言葉に、頭が脈打った。


「じゃあ、オーリウスは……」


 “不治の病をも治せる”と噂の魔術医師、グレゴリィの治療を、すでに受けていたというのか。


「ミュウル様、これは……」

「……今はふたりの話を聞こう」


 ぎこちないながらも、通信越しの会話が続いていく。

 グレゴリィはかつて、都でも高名な医師だったこと。

 10年前、彼が突然、行方不明になったこと——。


「行方不明?」

「謝罪しても済まないことはね、分かっているんだ。でも……」


 また、グレゴリィは黙ってしまった。

 波の音、それから通信に混ざる雑音を、ただ静かに聴いているみたいだ。


「……さっきも言ったけどさ、実は」


 改めて、グレゴリィへ話すことにした。

 足を治してもらいたいというのは、オーリウスのことだったのだと。


『それは……初耳ですが?』

「だってオーリウス、最近応えてくれなかったし」

『それは、ここのところ会議が立て込んでいて……すみません、言い訳ですね』


 それより、足を治そうとしているとは、どういうことなのか——オーリウスの低音に、圧がかかった。


「……っ」


 通信越しでも感じる、魔力の圧。

 たぶん怒っている。本気で。


 でも、私は——。


「諦めきれない」


 一緒に世界地図を形にすること。

 世界に足跡を残す旅。


 それを、オーリウスは本心で諦めているのか。


 早くなる胸を押さえながら、問いかけると。


『私はもう、“二度と治ることはない”と貴女に申し上げたはずです』

「どうして分かるの? まだ全部の方法を試したわけでもないのに」


 傷口に触れているのだと分かっていた。

 それでも、黙って旅を続けることはできない。


 私は歩けない痛みを知ったまま、この世界に生まれてきたのだから——。


『……』


 潮風に揺れる耳飾りの奥からは、ついに何も聞こえてこなくなった。

 でも、雑音だけは響いている。

 切られてはいないみたいだ。


 ジェニファは唇を結んだまま、心配そうにこちらを見つめている。

 グレゴリィも、顔を背けて沈黙している。


 波の音だけが響く中——。


『……13年前、そちらの医師が、たしかにそう診断されました』


 オーリウスの静かな声が、耳の奥に刺さった。


『魔王討伐の旅から帰還した、1年と1ヶ月12日目のことです』


 相変わらずの細かさはひとまず置いて。

 医師の腕を信頼するからこそ、無駄な期待は持たないことにした——そう、オーリウスは断言した。


「それは……本当なの?」


 今でもそう思うのか、と、俯いたグレゴリィに顔を寄せると。

 彼は深いため息を吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。


「……オーリウス坊ちゃんは、今もリハビリ続けているのかい?」


 人が変わったかのように、険しい表情をしているグレゴリィ。

 彼の問いに、オーリウスはしばらく黙った後。『いいえ』と囁くように言った。


『先ほども申し上げた通り、希望がないのであれば、やっても無駄だと割り切っただけです』

「……っ」


 無駄。

 オーリウスの言葉が、やっぱり耳に刺さる。


 ただ、グレゴリィの方が、オーリウスの言葉ひとつひとつに肩を揺らしていた。


 なんか変だ——。


 どこかへ逃げなくても、消えてしまいそうなほどに、彼は小さく丸まっている。


「……オーリウス。少しの間、通信切っててもいい?」

『安全が確保されているのであれば構いませんが……なぜ?』

「うん、ちょっとね」


 グレゴリィとふたりで話したい。

 そう言い残して、耳飾りに流す魔力をこちらから切った。


 グレゴリィの顔から血の気が引いている。


(このまま話しても、きっと誰も本音を言えない……)


 ジェニファにも、一度診療所まで戻ってもらうことにした。

 その上で、改めてグレゴリィの前に腰を落とす。


「オーリウスのために、正直に話してほしいんですけど……あっ」


 座ろうとした岩にヒビが走った。


「ごめん、つい」

「つい、で岩が割れるのかい!?」


 緊張のせいか、指先に力を入れすぎたらしい。


「素手で岩砕くとか、どんな構造をしているのか君を調べ上げたいところだけど……それで?」


 何が訊きたいの、と、グレゴリィは沈んだ声で言った。


 ここからは、本当に落ち着かなければ——他人の傷に踏み込むのだから。


「10年前、グレゴリィが修道国を出たのは……」


 オーリウスの足を治せなかったからなのか。


 真っ直ぐ、彼の横顔を見つめ問いかけると。


「……っ」

 

 グレゴリィは肩を揺らし、指先を震わせた。


「オーリウスに対して……申し訳ないと思ってるの?」


 彼の動揺が全身に広がっていくだけで、答えはない。

 波の音だけが、穏やかに引いては寄せてを繰り返していた。


 やがて。


「……ミュウル君。ワシは最初から、この世のありとあらゆる病や怪我を治せるなんて思っちゃいないさ」


 ただオーリウスに対して、“申し訳ない”などという感情を抱くことすら許されない——グレゴリィは、項垂れたまま言った。


「許されない?」

「ああ、そうだよ。彼の事情を知りながら、何もできないワシが逃げるためにここへ来た……それは確かだ」


 グレゴリィは、ようやくこちらへ向き直って言った。


 沈んだ目の奥の闇に、背筋が震える。


 いったい彼は、何が言いたいのだろうか。

 瞳の影と見つめ合いながら、次の言葉を選んでいると。


 彼はふっと笑って、少しずつ太陽を飲み込んでいく水平線へ目を向けた。


「どんな事情があったにせよ、あの時のワシに彼は治せなかった。だから今、ここで自分にできることをしているんだよ」

「グレゴリィ……」


 夕焼けを映した彼の瞳が、胸に染みる。


 グレゴリィは治せなかったと言った。

 オーリウスも、割り切ったと言った。


 ならば、今の私にできることは、もうないのだろうか——。


 何かに耐えるように唇を引き結んでいるグレゴリィを、じっと見つめていると。


「お~い!」


 背後から、艶を帯びた声がした。


 ふたり一緒に立ち上がり、声の方を向くと——豆粒のような人影が、遠くの海岸線からこちらに向かっている。


「あれは……女の人? 誰か抱えてる」

「えっ、君、この距離で見えるの!?」


 頷く間にも、背の高い女性のような人影は近づいていた。


「そこの白衣の人~! ちょいと怪我人、診てほしいんだけど」

「あれは……!」


 抱えられているのは、ぐったりした男性。

 黒髪に年季の入ったベスト、革靴——それがウチの通訳さんだと気づいた瞬間、駆け出していた。


「ギザール!」

 

 まさか、あの霧を出していた何者かにやられたのだろうか——?

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