69話 魔術医師の終の住処
よれた白衣の老人は、気品漂う顔を歪め、手を繋ぐラディンと私を交互に見ている。
「おや? ラディンにナンパされた君、もしかして修道国の人?」
「あ……いえ、はい」
きっとこの医者——グレゴリィもそうだ。
どうやって壁を越えて来たのかは、分からないが。
首を傾げる間にも、ラディンと医者のグレゴリィは親しげに言い合っている。
彼のおかげで、ラディンはロマンティア語を流暢に話せるのだろう。
「……ナンパじゃない。俺は本気だ」
ラディンの、繋いだ手を握る力が強くなった。
さっき約束した、“青い炎の謎”を解くのに協力するといった件か。
私も彼の手をさらに強く握って、想いに応えるべきか——骨を折らない程度に。
「そうそう、こんな小柄で赤髪のカワイイ子を探してるっていうお嬢さんが来ているよ」
「それって……」
グレゴリィの後ろから出てきたのは、金髪ゆるふわの女性——。
「ジェニファ」
「まぁ、ミュウル様! やはりここで待っていて正解でしたわ」
ずっと頭の隅に居座っていた不安が、ようやく吹き飛んだ。
ジェニファが無事だということは、きっとギザールも、あの霧から逃げられたのだろう。
「ギザールさんはまだ合流できていないのですが、使用済みの薬瓶をこちらで洗わせてもらっていて……って」
空の薬瓶を手から落とし、ジェニファが固まってしまった。
私とラディンの、繋いだ手を見ている。
「あっ……」
いやな予感がする——。
「いくらミュウル様が全人類をたぶらかすほどに魅力的だとしても……」
肩を震わせたジェニファが、私たちの前に迫ってきた。
「出会って間もないであろう貴方が、なぜミュウル様のお手を……?」
やっぱり。
ギザールのことは認めたみたいだけれど、それ以外に対しては、まだ過保護が発揮されているみたいだ。
黒い笑みを浮かべているジェニファに対して、ラディンは冷静に「なぜって」と言い返している。
「ミュウルは俺の協力者だ。この女がオマエの連れか?」
「うん……ジェニファはちょっと心配性なんだ」
「気にしないで」と言ったところで、今度はグレゴリィが間に入ってきた。
「はいはい! どういうことなのか分からないけど、今は怪我人診るのが優先ネ」
グレゴリィがラディンの腕を引くと、手がようやく離れていった。
これでジェニファのチクチクとした視線を感じないで済みそうだ。
「怪我人って……まあ、ひどい火傷ではないですか!」
ジェニファの高い声に、ラディンはさっと肘を隠そうとしたけれど。
グレゴリィは構わず、ラディンを小屋の中まで引っ張っていった。
床には巨大な葉が敷かれ、その上に木組みの薬品棚と、テーブルひとつ、イスふたつだけが並んでいる。
あの藁で編まれた敷物が、ベッド代わりなのだろう。
「ラディン君、あと少しズレてたら終わってたよソレ。また山に登ったのかい?」
簡素なイスに腰かけたグレゴリィの顔が、急に真剣になった。
正面に足を崩して座るラディンは、目を逸らしている。
「はぁ……だからおじさん、ここを離れらんないのヨ」
ため息を吐いたグレゴリィが、ラディンの肘に手をかざした、瞬間——全身の肌がざわついた。
あの光、聖力だ。
点滅を繰り返しながら、光の輪が増幅している。
「あの方、聖女と同じ力を……!?」
ジェニファが目を開く横で、私も思わず目を見張った。
本当なら、あれは聖女たちの専売特許だ。
でも、グレゴリィの手元をのぞき込むと。
「傷が完全には塞がってない……?」
「んー、おじさんただの魔術師だからね。これは“模倣魔法”。聖女様のマネしかできないわけ」
祈りの力で傷を癒す。
それができるのは、聖力を傷口へ届ける“回路”をもって生まれた人間だけ。
グレゴリィの説明は難しかったけれど、つまりそういうことらしい。
「出力……回路?」
「祈りを傷口に届かせる回路が、生まれつき違う……とにかく、君みたいな子は特別ってこと」
聖女であることどころか、まだ名乗ってすらいない。
それなのに、グレゴリィは私をはっきりと見上げてそう言った。
「おじさん、魔力の流れが見えるんだよ。君のは典型的な聖力持ちだネ」
グレゴリィの言葉に、ジェニファと顔を見合わせた。
私も、聖力と魔力を感じることくらいはできる。
でも、身体の構造を見ることができるなんて、普通ではない——そう思った、瞬間。
『“魔力感知”さ。僕のは街ひとつ分調べられるよ』
砂漠の都で聞いた、勇者の息子エリアスの言葉が反響した。
桁違いの人間は、確かにいる。
「そっか……やっぱりグレゴリィは、すごいんだ」
なんだか軽いおじさんが出てきたと思っていたけれど。
彼の纏うオーラが、凄まじいものに見え始めた。
「先生、ミュウルは先生と同郷なのか?」
「ああゴメンね、すぐ処置するから」
ラディンの火傷は、完全には治っていない。
それでも痛々しかった傷口は塞がれかけている。
グレゴリィは消毒した針で肘を数箇所縫うと、すぐに包帯を巻いていった。
「はい。氷出しとくから、ちゃんと冷やしてネ」
彼は水桶に手をつけるだけで、氷を生み出してしまった——鮮やかな手際で、難なく魔法を使っている。
「奇跡の手……ですね」
「薬師から見ても、やっぱりすごい?」
試しに尋ねてみると、ジェニファは「もちろんですわ」と頷いた。
「私は複雑な魔法が使えませんし、薬の調合しかできませんから」
医療魔術師として、飛び抜けて優秀なグレゴリィが、どうしてこんな孤島の村にいるのか。
ジェニファの呟きに、ラディンの肘の処置を終えたグレゴリィが振り返った。
「この村は、こういう無茶な若者が多くてね。なんだか離れがたくなっちゃったのよ」
「……でも、元々は修道国にいたんでしょ?」
こちらから問いかけると、彼は少しの間をおいて、静かに頷いた。
「でも、なぜこちらへ?」
彼ほどの腕なら、都でも有数の名医だったはずでは——ジェニファの問いかけに、グレゴリィはぎこちない笑みを浮かべた。
「それは……うん、70年も生きてるとさ、色々あるのよ」
何だか暗く、遠い目をしている。
それでも、そろそろ本題に踏み込むべきか。
オーリウスの足を治療できるかどうか——それを訊ねるために、ここまで来たのだから。
「ラディン!」
突然、小屋の外から声がした。
最近聞いた覚えのある、低い声——ラディンの父のスラヤドだろうか。
「……集会の時間だ。先生、ありがとう。ミュウルまた後で」
「うん……」
「“青い炎”の件を忘れるな」と言い残し、診療所を出て行ったラディンを見送ったところで。
「それで?」
残りの包帯と水桶を片付けながら、グレゴリィが言った。
「君たち、なんかワシに用があって来たんじゃないの?」
「あっ、ミュウル様、実は……」
最初にここへ来た時、ジェニファが話してくれていたという。
私たちが、グレゴリィを探してこの孤島へ来たということを。
「不治の病も治せるって聞いて……」
「おっと、それは話盛られすぎィ! 不治の病は“不治”なんだからね」
それでも——可能性があるのならば、諦めたくない。
今は遠い修道国で、車椅子を推す彼。
『行け、振り返るな!』
非公式な私たちの第一歩を送り出してくれた、オーリウスのことを頭に浮かべながら、問いかけた。
足が動かなくなった人を治せないだろうか、と。
「……足?」
また、グレゴリィの瞳に影が差した。
しかも、今度はさっきよりずっと濃い。
「グレゴリィ……?」
いったい、どうしたのか。
そのまま静かに、グレゴリィの言葉を待っていると。
『グレゴリィ医師……?』
前触れもなく、耳飾りから声が響いた。
オーリウスの声はいつもよりか細く、少し揺れている。
それに、今——。
「……っ、その声は……まさか……!」
グレゴリィが、私とぶつかる勢いで迫って来た。
額には、流れるほどの汗をかいている。
「……オーリウス坊ちゃん、なのかい?」
「え……?」
坊ちゃん。
初めて聞く呼び方に、背筋がぞくりと冷えた。
ふたりは知り合いなのだろうか——?




