68話 新しい成人の儀
「ここが火山のお膝下、ヌァサ村だ」
低い声でラディンが指差したのは、海の上に浮かぶように建つ、藁葺き屋根の家々だった。
縄で繋がれた小舟のように、穏やかな波に揺れられている。
「観光で来たんなら、もう宿はとってるのか?」
人気の民宿を手配してやろうか、と、ラディンは申し出てくれた。
「うん……どこでもいいけど、お願いします」
観光という部分は、今は否定しなくてもいいか——。
それより、村にジェニファとギザールが来ているのかを確かめなければ。
「他の観光客も民宿にいるの?」
「いや……どうだろうな。昼間は浜や森を散歩してるやつが多いから」
そもそも、こんな孤島が観光地化していることが驚きだ。
ただ、ラディンと同じ格好の人とばかりすれ違う。観光客の数はあまり多くはないらしい。
「連れ探すなら、うちの親父に聞いてみるか。誰がどこに行ったか、釣りしながら見てんだ」
表情は読みにくいのに、困っている人を放っておけないらしい。
そんなラディンに甘えて、彼の父のところまで案内してもらうことにした。
ふたりのことも、もちろん心配だけれど。
海の上に家が並ぶ光景に、今は目を奪われてしまう。
「どうして家が海に建ってるの?」
「いい質問だ」
意外と話し好きなのか、ラディンは少し声を高くして教えてくれた。
海に家が建っていれば、万が一火山の溶岩が流れ出した時でも、家が燃えずに済むのだと。
「ま、嵐にゃ勝てないが」
「へぇ……でも、キレイだ」
“前の世界”の旅行雑誌で見た、リゾート特集に載っていそうな場所だ——なんて、彼には言えないけれど。
「……観光客は良いよな」
「え……?」
「いや。綺麗だと思えるなら、それでいい」
なんだか引っかかる言い方だったけれど。
ラディンは私の前に出て、桟橋を先に渡りはじめた。
「気をつけろよ」
「うん……これくらい平気だよ」
潮風を頬に感じながら、桟橋の上の釣り人たちを眺めていると、つい時間を忘れそうになる。
それに、力加減も。
「あっ……」
桟橋の板を二、三枚、うっかり踏み抜いてしまった。
「おい、大丈夫か……!?」
「うん、むしろゴメン」
「後で直すからいい」と、先に私の心配をしてくれたラディンに、つい頬が緩んだ。
後で、私も修理を手伝わなければ。
「ほんとオマエ、見た目からは想像できない力だな」
「……ゴリラですから」
伝わらないことは承知で言うと、ラディンは「ごりら?」と首を傾げつつ、海の方へ向き直った。
「……親父」
ラディンが声をかける先にいるのは、黒髪の厳つい男性。
まだシワもないし、ラディンの兄と言われても不思議ではない。
「……っ」
「聞きたいことがあるんだ」
肩を揺らしたラディンの父が、何と言ったのかは聞き取れなかったが。
彼はこちらを見ずに、そっと竿を引き上げた。
「よそからのお客か」
言葉を切り換えた——彼も、ロマンティア語を話せるのか。
「はい、あの……」
手早く自己紹介し、「似たような服装の男女を見ていないか」と訊ねると。
「そんな格好の娘は見た」
「えっ……!」
もしかすると、ジェニファだろうか。
編み紐の服を着た見慣れない金髪女性が、少し前から診療所に出入りしていると、ラディンの父は教えてくれた。
たぶん間違いない。
それに“診療所”ということは——ヘリオスが教えてくれた、不治の病をも治す医者がそこにいるかもしれない。
「ありがとうございます……ええと」
「……スラヤド」
それだけ言うと、スラヤドは竿を水面に戻した。
が——踵を返す前に、「待て」とこちらに向き直った。
「……ッ、……」
「……? ……!」
息子とふたり、何かを話している。
意味は拾えないが、スラヤドがラディンの腕を掴んで肘を指していた。
「あ……」
ラディンの肘の肉が、痛々しく焦げている。
もしかして、火口で火傷したのだろうか。
「あの時怪我したの?」
つい口を挟むと、眉根を寄せたスラヤドがこちらを見上げた。
「やはり火山にいたんだな」
「え……」
そうか。
さっきからラディンが喋っているのは、父への弁解だったのか。
「ラディンはなにか、いけないことを?」
「……いや」
この空気——ライガ・マナでのことを思い出す。
触れてはいけない、彼らだけの領域。その一歩手前の雰囲気だ。
今は何も聞かない方がいいだろう。
「……待たせたな。行くか」
「うん……」
また、あの時と同じ。
一瞬、ラディンの顔に影が差した。
それでも彼は、何事もなかったかのように「診療所まで送ってやる」と歩き出した。
「その肘の怪我、ついでに診てもらったら?」
「ハ……いや、こんくらい何ともない」
また、眉間のシワが濃くなった。
触れてはいけない気がするけれど、やっぱり知りたい。
「ラディンは、どうして火口にいたの?」
それに、あの時——。
『今夜までに、あの炎を持ち帰ってやろうと思ってたんだけど』
確かにそう言っていたと、彼を見上げると。
「……っ、そうか。言ったか、俺」
ラディンは頭を掻き、踵を返した。
診療所の前に少し寄りたいところがあると、引っ張っていかれたのは——藁屋根の家のひとつ。
中は涼しくて、意外と揺れが気にならない。
巨大な木の柱が中央に立ち、魚の皮で縫い上げた袋が丸太の壁に吊り下げられていた。
「……お袋もいないな」
「ここはラディンの家?」
「外では言えないことがある」と、ラディンは私に藁の床へ座るよう促した。
そうして、私の正面に腰掛けた彼が取り出したのは——歪な形の黒い小石だった。
「火山で拾った石だ。炎はあんなに青いのに、石は黒いだろ? 俺はその秘密を解き明かしたいんだ」
「解き明かす……」
火口で爆ぜる青い炎を目の当たりにした時、私もそれが何故なのか知りたくなった。
ラディンも同じことを考えて、火口に近づいていたのか。
「昔は、この“青い炎の秘密”を解き明かすことが、大人として認められる条件だったんだ」
「じゃあ、スラヤドはもう秘密を知ってるの?」
父に聞いたらどうか。
それが手っ取り早いと思ったのだが——ラディンは首を横に振った。
「それが……答えはないらしい」
“青い炎の秘密を解いた者こそ、山に選ばれた大人”とされる。それが成人の儀。
ただ、その答えが真実なのか、それは村の長老ですら知らないこと——そう言って、ラディンは肘を押さえた。
「じゃあ、どうやって判定するの?」
「……それっぽい答えを自分で出せれば、合格だっていうんだ」
立ち上がりかけた後。座り直したラディンは石を見つめ、ポツリと言った。
「俺は真実を確かめたい」と。
「正しい答えを見つけて、ちゃんと成人したいんだ。俺ももう16になる」
「……そっか」
正しい答えを見つけるため、青い炎に近づいた。
ラディンの答えには納得できたけれど——。
「大人になるって、そういうことなの?」
正解を見つけられれば、大人になれるのか。
危険を冒して火口に近づくことが、大人になるのに必要なのか。
問いかけた先で、ラディンは口を閉じてしまった。
「それは……さっき親父も、『大人になる前に死ぬ気か』って言ってた」
それでさっき、言い争っていたのか。
ただ、私も偉そうには言えない。
「知りたいのは、一緒」
「え……?」
「用事が済んだら、私も手伝うよ」
私と一緒なら、火口に近づいてもまず死ぬことはない。
「さっき体感したでしょ?」
そう言って、力こぶを見せつけると。
ラディンの海色の瞳に、少しだけ光が差した。
「ミュウル……」
ラディンの強い気持ちを否定できない。
「知りたい」と思えば、自分の目で確かめる——その気持ちは痛いほど分かる。
「でも、今は診療所に行かないと。その肘も診てもらおう」
出会った時と同じように、右手を差し出すと。
彼はキョトンとして、やがて薄く微笑んだ。
「ミュウルは好奇心旺盛なんだな」
「当然」
でなければ、魔導測量士になろうとは思わなかった——が、地図作りの旅のことは後で話そう。
「じゃあ行くか。グレゴリィ先生のところへ」
グレゴリィ。
それが例の医者の名前なのか——なんだか響きがロマンティアっぽい。
でも、ここは修道国からずっと東に離れた孤島だ。
「……たまたま、だよね」
「ほら、いくぞ」
繋いだ手を、ラディンはそのまま離さなかった。
まあ、道案内をしてもらっているのだからいいか——そう思っているうちに、彼が連れてきてくれたのは、砂浜にある簡素な小屋の前だった。
「先生、俺だ」
グレゴリィはどんな医者なのか——想像する間もなく、戸がすぐに開いた。
「オー、まーた君かねラディン! ウチの包帯がなくなっちゃうだろう?」
「え……」
ロマンティア語。
しかも、出てきた老人は——。
「ん? あらまー素敵なお嬢さん連れちゃって! 観光客ナンパするなって、おじさん言ったデショ!」
他の村人とは違う、真っ白な肌に銀の髪と髭。
間違いない——この人、ロマンティア人だ。




