67話 青い炎を求める男
山の上空は寒いのに、時々熱波が頬を打つ。
「もしかして、噴火……」
「わぁぁぁミュウルさん! 身を乗り出さないで!」
「オレたち一蓮托生なんすよ!」と言って、ギザールは3人を繋ぐ命綱を見せつけてきた。
火山帯に入ってからというものの、彼は私の腰に抱きついたまま離れようとしない。
ギザールの“乗り物恐怖症”は、旅の間、ずっとこのままなのだろうか——。
「大丈夫だよ、ヘリオスはうまく飛んでくれてるし……」
『当然でしょ。何年“天使”やってると思ってんのよ』
それでも、私たちを乗せて飛ぶ白い翼が、じっとりと湿ってきている。
立ち込める霧が濃くなってきたせいだ。
「あら? ミュウル様、あれ……」
ジェニファに肩を叩かれ、彼女の指す先を見下ろすと——溶岩の爆ぜる山のそばに、金色のローブがひらめいた。
「あれは……」
山を登る人影が、エリアス率いる“公式選抜隊”に見えた気がした。
まさか、と思いつつも胸が騒ぐ。
彼のことは、西の砂漠都市、ラヒムザードで撒いたはずだ。
「こんな危険な土地に踏み入る人がいるなんて、正気を疑いますわ!」
「……そうだね」
ジェニファはあれが、誰かまでは分からなかったらしい。
でも、きっと人違いだろう。
「……オーリウス?」
何となく不安になって、耳飾りに話しかけてしまったが。
ヴァリナから東の火山帯へ向かっている間、一度も応答はなかった。
『その医者と会ってみたい』——私のあの言葉も、きっと聞こえていなかったはず。
声が聞けないのは少し寂しいけれど、正直ほっとした。
彼の足、それから一緒に旅をすることにこだわっているのは、きっと私だけだから。
『この島に、例の医者がいたはずだわ』
火山帯に並ぶ、穏やかな孤島。
そのひとつに降ろしてくれたヘリオスは、大きな純白の翼を広げて旋回した。
『じゃあね……もう握手はなしよ』
「うん! 送ってくれてありがとう」
「バシールさんたちと仲良くしてください~!」
手を振る私たちを、ヘリオスは一度も振り返らなかった。
それでも。
彼が残していった羽がひとつ、目の前の波打ち際に舞い落ちた。
よく分からないが——彼なりの餞別だろうか。
「これはオレが預かっておきますね」
魔族の羽は、考古学的に重要な資料になる。
そう言って、ギザールが羽を薄紙に包もうとすると。その手をジェニファがさっと掴んだ。
「……なんっすか?」
「魔族の羽は上等な薬になると、大聖女様からうかがっています。それは私がもらっておきますわ」
「はぁ!?」
また始まった——お互いの身の上話をして、少しは距離を縮めてくれたと思っていたのだけれど。
吠え合うふたりから離れ、誰もいない砂浜を歩いてみることにした。
「わぁ……海の水、透明だ」
ヘリオスの背中にいた時、半月型の海岸線が、ずっと先まで続いているのが見えた。
ここを往復した頃には、ふたりも喧嘩に飽きているだろう。
「……そうだ」
靴を脱いで、直接地面を踏んでみると。
温かい海水が足裏の砂をさらっていく感触に、全身が震えた。
「すごい……足跡、残ってる」
すぐに波で消されてしまうけれど。
オーリウスの執務室の白地図には、ちゃんと私の跡が残るだろう。
「……よし!」
足首で揺れるアンクレットを付け直し、遠くにある村のような場所を眺めた。
いっそ、あそこと砂浜を往復して、ギザールたちを驚かせよう——大きな一歩を踏み出した、その時。
突然、目の前が真っ白になった。
「これは……」
自分の手は見える。
目の不調ではなさそうだ。
でも、こんなに突然、海辺に霧が出るものだろうか。
考えられるのは——。
「魔法攻撃……?」
人間の魔法を、私の聖力では退けられない。
それに、これが攻撃かどうかも分からない。
「……っ」
まずい。
どっちから来たのか分からなくなった。
左右どころか上も下も真っ白で、方向感覚が狂ってきている。
「だったら……!」
足の筋肉を軋ませ——溜まった力を、解き放った。
何も見えないならば、霧を振り払う勢いで走ればいい。
「ジェニファ、ギザール!」
ただ、どこまで行っても霧は晴れない。
ふたりの声どころか、波の音すら聞こえない。
いったい、何が起こっているのか——。
「あれ……?」
足裏にゆるやかな傾斜を感じる。
山を登っているみたいだ。
それに、地響きや石の崩れる音が近づいてくる。
「ここは、もしかして……」
額から汗が流れた。
たぶん、走っているせいではない。
轟音の合間に飛んでくる熱波が、私の全身を打っているからだ。
「あれ……?」
いつの間にか、霧が薄くなり始めていた。
熱波のおかげか。それとも、魔法の執行者から距離を取れたおかげか。
「でも、ここまでの範囲に霧を広げるなんて……」
それこそ、オーリウスと同格の魔術師でもなければ不可能だろう。
ただ、「悪意は感じなかったな……」と、ひとり呟いていると——目の前を、青い何かが横切った。
「……っ!?」
火花——いや、炎の塊だ。
青い炎が煮えたぎる火口から、炎を帯びた小石が飛び散っている。
「火山の……噴火口?」
浅くて巨大な鍋の中に、青い水が煮えているみたいだけれど——落ちたら命はなさそうだ。
決して近づきたくはない。
でも——。
「赤じゃなくて、青……?」
青い火山なんて、聞いたことがない。
「……見たい」
全身の汗が止まらないのに、どうしようもなく確かめたかった。
“前の世界”どころか、“今の世界”でも聞いたことのないものが、そこにあるのだ。
ダメだと思いつつも、足が前へ進む。
瞳が溶け落ちそうな熱波を腕で払いながら、さらに火口へ近づいていくと。
「え……?」
火口のすぐそばに人影がある。
枯れ木かと思ったが、違う。
手のようなものが伸びて、弾ける青い炎に触れようとしていた。
「危ない……!」
影が何かも分からないうちに、足が動いていた。
「ウオッ!?」
抱き上げた影は、たしかに感触があった。
私よりも大きいけれど、ギザールよりは軽いこれは——。
言葉は分からないが、ちゃんと人間の男性だった。麻布の軽装で、浅黒い肌がほとんど見えている。
「……っ!」
私が抱えたことに驚いているのか、彼は一瞬だけ身を硬くした。
でも、暴れはしない。
火口から離されていることくらいは、分かっているらしい。
「……とにかく、安全なところ行こう」
火口から離れた場所で、彼を降ろすと。
「さっきの言葉、“ろまんてぃあ語”だな」
「えっ……」
海色の瞳をした青年は、静かな口調で“ロマンティア語”を話しはじめた。
しかも、ライガ・マナで出会ったザラより流暢だ。
「……俺はラディン。ヌァサ村の」
「ラディン。私はミュウル」
「ミュウルか……俺を持ち上げた女は初めてだ」
火口に手を伸ばすなんて、無茶なことをしていたけれど——透き通った綺麗な目をしている。
彼は少し焦げた長髪をまとめ直し、私に向かって両手を合わせた。
まるで祈りを捧げるかのように。
「……ええと?」
「ヌァサの挨拶。オマエもオマエ式でいい」
自分たちの流儀は貫くが、相手のことも尊重する。
そう言われている気がして、頬が緩んだ。
「よろしくね、ラディン」
片手を差し出すと、彼は「そうだったな」と呟き、私の手を握り返した。
(やっぱり、ロマンティアのことを知っている……?)
「ところで、さっきは何してたの?」
「ン? ああ、“ヌァサ・メラ”のことを知らないのか」
「観光客か?」と、彼はうっすら微笑んだ。
あのまま放っておいたら、落ちそうだったのに——こんな軽装で、あの爆ぜる炎が怖くなかったのだろうか。
「今夜までに、あの炎を持ち帰ってやろうと思ってたんだが……見せなきゃ誰も話を聞かねぇからな」
「え……?」
表情の薄い彼の顔に、一瞬だけ影が差した。
でも、すぐに感情の読めない顔に戻っている。
「オマエ迷ったんだろ。村の民宿まで送ってやる」
「ええと……」
このまま村に行けば、例の医者がいるかもしれない。
はぐれた二人も、きっと村を目指すはずだ。
「ありがとう……ところで、“ヌァサ・メラ”ってなに?」
先に山を下りだした、ラディンの背に問いかけると。
振り返った彼は、どこか誇らしげに微笑んだ。
「村の古い言葉で、“火を抱く山”だ」




