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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
5章 人魔の洗濯川 ―ヴァリナ―
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65話 歩けない理由

 目の前に、白い羽が広がった――次の瞬間。

 岩盤から噴き出す水よりも速く、身体が宙を飛んでいた。


「ヘリオス……!?」


 私とギザール、それにバシールとアシャも。

 姿の変化した彼の腕に抱えられていたのだ。


「わっ……ヴィーナスくんより細身の天使っすね! でもその分超速……おぇっ」

「ギザール、観察してる場合じゃない」


 これなら、無事に“底抜け”まで逃げ出せそうだ。

 でも――。


「……!?」


 バシールは口を開けたまま固まり、アシャは興奮気味に奇声を上げている。


「ヘリオス……いいの?」


 いくら緊急時とはいえ、バシールの前で本性をさらして良かったのか。

 問いかけると、不機嫌なのに美しい声が響いた。

 

『どうせアタシの記憶は、ヴィーナスに消させるわ』


 その前に、バシールたちに言っておきたいことがある――ヘリオスは「訳しなさい」と、今回ばかりはギザールを頼った。


 私にも聞かせてくれるらしい。


「『残念だけれど、この世界は魔族のものでも人のものでもないの』」


 分け合うと言っても、結局は何も分け合えない。

 そう思っていたけれど――。


「『人間に教えられたわ。見えてない道もあるんだってこと』」

「あ……」


 珍しく素直なヘリオスの言葉に、やっと気づいた。


 今回、私はただ岩盤を砕いたのではない。

 魔族と人――“違うもの”の道をつなげたんだ。


「ギザールがやりたかったのって、これだったんだ……」

「ん、なんっすか?」

「……なんでもないよ」


 背後からは、まだ濁流が迫っている。

 それでも頬が緩んでしまうほど、胸が温かかった。


 ヘリオスの言葉に対して、バシールがなんと返したのかは分からない。

 ただ――彼女は娘を強く抱き、ヘリオスの腕をそっと撫で、笑っていた。




「さぁさぁ、本で鍛えたオレの知識がうなるっすよ!」


 妙に元気なギザールの声が、ヴァリナ村に響く中。

 バシール家をリーダーに、村のみんなが井戸作りに協力していた。大人も子どもも、これまでバシール家に水運びを頼っていた全員が。


「ちょっとは認めざるを得ませんわね……考古学者のくせに、地下から水を引く方法までご存じだなんて」

「ギザールはなんでも知ってるから」


 いつもの悪態をつくジェニファも、村が集結する様子に微笑んでいる。


「私、怪我人に備えて救護テントを設営して参りますわ」

「じゃあ、私は……」


 ほぼ手作業での掘削、土砂運び、川の水を迎えるための儀式――やるべきことをすべて終えた頃には、文字通り泥のように疲れていた。


 明日には、いよいよヴァリナ川の水を迎えられるかもしれない。


「お疲れ様っすミュウルさん! じゃ、オレまだやることあるんで」


「おやすみなさいっす」と、深夜にもかかわらずバシール家を出て行くギザールを見送った後。


「……眠れない」


 音も立てずに眠るジェニファの毛布をかけ直し、家の裏口から外へ出た。


 誰かが灯す、魔法の明かりが遠くに見える――そちらの方からは、夜でも軽作業をしている人たちの笑い声が聞こえていた。

 その中には、“私たちの通訳さん”の声も混じっている。


「……ギザール、楽しそうだな」


 星明かりの下、目を閉じると。

 このヴァリナ川で出会った彼らの姿が、次々と瞼の裏に浮かんできた。


 ヴィーナスの祖父ヘリオス、そしてバシール家の母娘――。


「家族……か」


『今の世界』の両親と暮らした時間は、そう長くない。

 聖女適性があったことから、物心つく前に修道院に引き取られたらしい。

 私を育ててくれたのは、大聖女様だ。


「“前のママ”は……」


『前の世界』の両親は、難病の娘を支えるために働き詰めだった。

 病室の窓から見える景色以外に、思い出せるのは――よく会いにきてくれた誰か。


「そうだ……」


 最初は思い出せなかった。

 でも、同じ病棟にいたお兄ちゃんがよく遊んでくれたはず――。


「あれ? 名前、なんだったっけ……」

『ミュウル』


 突然耳元で響いた呼び声に、思わず立ち上がりかけた。


『ため息など、らしくないですね』


 この、少しぎこちない声――耳飾りからか。


「……オーリウス」


 彼が雑談を仕掛けてくるなんて、久しぶりだ。しかもこんな時間帯に。


「そっちはまだ昼なんでしょ。仕事はいいの?」

『安否確認も仕事の一環ですが』


 相変わらず真面目。

 そんなところが、とても彼らしいが――。


 そういえば。

 私は、オーリウスのことをあまり知らない。


 彼が修道国国土省の長官で、元勇者パーティーの魔術師だったことくらいしか。


「あのさ……」


 気分を落ち着けるための、ちょっとした話題をふるつもりで。オーリウスに、家族について尋ねると。


『…………』


 彼はすっかり黙ってしまった。


 もしかして、触れてはいけない話題だったのだろうか。

 それとも、私が思っているより、彼は私に気を許してはいなかったのだろうか――。


「やっぱりいい」と言いかけた、その時。


『最悪でしたね』


 久しぶりに聞く、感情を削ぎ落とした声が返ってきた。


「え……?」

『私の家は、いわゆる“血統主義”でした。生粋の魔術師など、皆そんなものですが』


 親戚は多数いるが、魔術の腕を水面下で競い合っているため仲は良くない。

 グレイヴ家は女系で姉ばかり、自分が唯一の嫡男だった――早口に言うと、オーリウスは口を閉じた。


 正直、血統とか競い合いとかは分からないけれど。


「オーリウスって末っ子なの?」


 一番意外だったところを指摘すると。

『そこですか?』と、少し震えた声が返ってきた。


「だって、いかにも『長男ですよ』みたいな顔してるし……」

『なんですか? 長男みたいな顔って』


 良かった。オーリウスが笑っている。


 こっそり、安心のため息を吐いたところで。


『貴女くらいにしかしませんよ、こんな話』

「え……?」


 いま、一瞬だけ――オーリウスの声が硬くなった。

 いや、緊張したような声になった。


「……そっか、私だけ」


 ラヒムザードの時といい、オーリウスの様子がなんだか変だ。

 直接顔を見て話せたら、わけが分かるかもしれないのに――。


「あ……そういえば、前に言ってたよね。昔の旅について、少しずつ話してくれるって」


 とっさに話題を変えてみると。

 彼はため息とともに、『ええ』と吐き出した。


 でも――いま本当に私が聞きたいのは、15年前の旅の話ではない。


「先に聞きたいことがあるんだけど……いい?」

『なんですか、わざわざそんな言い回しをして』


 それでも、なかなか言葉が出ていかない。


『この足ではどこにもいけない』


 前に白地図の執務室で聞いた、あの言葉が忘れられなかった。


「……もし嫌だと思ったら、通信を切ってもいいから」

『くどいですね。本題に入る前に、すでに1分45秒経過しています』

「あははっ……」


 久々に聞いたオーリウスのそれに、茶化したい気持ちが湧いたけれど。

 いまは止めて、早くなる胸を押さえた。


 もう2ヶ月近く前。

 最後に見た彼の姿を思い浮かべて――口を開く。


「オーリウスはさ……どうして歩けなくなったの?」


 瞬間、耳飾りの奥から聞こえていた呼吸音が、一切なくなった。


 通信のノイズすら消えたことから、彼が通信自体を切ったのだろう。


「……やっぱり、無神経だったか」


 でも、もし足が治る方法があるならば。

 ギザール、ジェニファとの旅に、オーリウスもいたら――。


 特別試験の“旅の仲間”投票で、オーリウスに入れた時の気持ちは、今も変わっていない。


「私のエゴ……なのかな」


 さっきまで涼しかった夜風が、冷たくなってきた。

 それに今、近くの茂みでガサガサと音がした気がする。


 あんまり遅くまで起きていると、野生の動物と遭遇するかも――腰を上げ、家の中へ戻ろうとした、その時。


『……すみませんでした、突然切ってしまって』


 耳元で、か細い声が響いた。


「オーリウス……」

『……足(これ)に関しては、私の不注意が招いた結果です。それ以上でも以下でもない』


 少しずつ、でも確かに、彼は話してくれた。

 15年前の魔王討伐の際に、両足を負傷したことを。


「じゃあ、その足は魔王に……?」

『…………はい』


 なんだか、妙な間があったけれど――オーリウスは『確かなことがひとつある』と言った。


『この足は、もう二度と治ることはないのです』

「……っ」


 あまりに淡々とした調子。

 

 憐れむことすら許さないというかのような声に、喉の奥が締めつけられた。

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