63話 第三の道
バシール家での話し合いを終え、大穴の洞穴に戻ったものの――焚き火を作るギザールの表情は険しいままだった。
「とりあえず、バシールさんたちは分かってくれましたけどねぇ」
ヘリオスが、壁が自分たちにとって大切なものであることを、バシールたちに伝えたわけだが。
それによって彼女たちが明かしてくれたのは、「水路によって得るものは、こちらの想像以上に大きい」ということだった。
「隣町の町長さんからの依頼に、まさかあんな条件があったなんて……あ、この薪はどう置けば良いですか?」
焚き火起こしを手伝いながら、ジェニファも顔を曇らせている。
共同で使える水路ができれば、子どもたちは毎日働かずに済むだけではない。
村から四姉妹全員の教育を支援する――そんな話があれば、母であるバシールが水路工事を諦められないのも当然だろう。
「『アタシも50になる。10年以上かけて掘り進めた水路を、今さら掘り直すってのも厳しいんだ』……って、バシールさん言ってたっすね」
「うん……」
大穴に暮らす魔族は、壁の恩恵を受けて生きている。ヘリオスがその壁を守る理由はわかる。
でも、子どもたちの未来のために、水路を村まで引きたいバシールの言い分もわかる。
どちらも家族のことを考えているのだ。
「さぁて。真っ黒パンも食べ終わったことですし、皆さんおやすみなさいっす」
「あら、ギザールさん! 今夜は私から見張りを始めますわ」
そんなギザールとジェニファを微笑ましく眺めながら、「今夜は私がする」と提案したところ。
「でも、ミュウル様には一番休んでいただかないと……!」
戦闘要員は身体が資本だから、と、ジェニファは言うが。ヘリオスとバシール家のことを考えると、いまは眠れそうになかった。
「休まないといけないのは、みんな同じだよ」
心配する二人を奥に押しやり、洞穴入り口の焚き火の前に座った。
壁を壊さないで水路を作る、どちらも納得できる第三の道を考えても――そんなもの、なかなか思い浮かばない。
「ミュウルさん、お隣いいっすか?」
「……!」
寝に行ったはずのギザールが、焚き火の向こうから現れた。
「どうして……」
「なんだか、オレも眠れないんで」
ギザールは隣に腰を落とすと、少し眠そうな目で天井を仰いだ。
低い岩の天井には、ブーミダの掘った穴が点々としている。
「何でも構わず掘りまくってたら、川の底の色んなところに道ができてそうっすよね?」
「……それは、そうかも」
岩の隙間から落ちる滴が、焚き火に飛び込んでいくところを眺めながら。
ギザールと、無言のまま隣り合っていた。
「これからどうしよう」とギザールを頼る前に、私自身も答えを見つけなければ。
ヴァリナの人間と魔族が、よりよく暮らせる方法を――。
そんなことを、柄にもなく真剣に考えていたところ。
ギザールは無言で立ち上がり、奥へと戻っていった。
「……?」
あのお喋りな彼が、私に一言も声をかけないなんて珍しい。
それでも疲れているのかと思い、静かに去る背中を見送ったのだが――。
「大変ですミュウル様!」
「……ズズッ」
背中から突っ込んできたジェニファのおかげで、まどろみから戻って来られた。
よだれの出かけた口を拭く間もなく、彼女は顔を寄せてくる。
「あれ、もう交代?」
「違うんです、ギザールさんがいないんです!」
「え……」
さっきまで隣にいたはずの彼。
たしかにギザールは、ジェニファのいる奥へと向かったはずだ。
「まるで転移魔法でも使ったみたいですけれど、ギザールさんにそんな力はないですし……どうしましょう!」
ウロウロする足が止まらないジェニファを見ているうちに、ふと、さっきの話を思い出した。
『色んなところに道ができてそうっすよね?』
ブーミダの掘った穴を見上げて、ギザールはそう言っていたはずだ。
「もしかして……」
穴のどれかに入ったのでは――。
「あっ、ミュウル様どこへ!?」
考え終わるより早く、足が動いていた。
ブーミダの通った穴は無数にあって、私ではどれが本命か分からない。
「ジェニファはここで待ってて!」
“底抜け”の街で頼れるのは、あの一家だけだ。
濡れた岩肌を猛スピードで登り、木の実のような家にお邪魔すると。
「はぁ!? あの男、アタシに偉そうに言っておいて、自分が仲間に心配かけてんじゃないわよ!」
一か八かで頼ってみたヘリオスは、すぐに棲家を飛び出して行った。
街の魔族を挙げて探してくれるみたいだ。
「ミュウル様、私たちもブーミダさんを探してみませんか!?」
棲家の下でそわそわと待っていたジェニファの提案に、大きく頷いた。
「そうだね……彼なら穴を通るのも速いし」
大丈夫だ、私たちには大穴の魔族がついている。
そう自分に言い聞かせても、胸騒ぎは消えなかった。
それから、もう何時間探し回っただろうか。
腹も鳴って喉もカラカラ。
それでも、止まるわけにはいかないのだが――。
ヴィーナスいわく、大穴付近を一周して戻ってきたブーミダは、『地下の川に落ちたら探せぬ』と言っているらしい。
「そんな……脅さないでくださいませ!」
もはやジェニファは、祈りの手を組みはじめた。
それでも私は足を止められない。
「ずっと一人だった」とこぼしていた、ギザールの寂しげな横顔。
あの胸を締めつけるような表情が、いつまでも頭に焼きついている。
「ギザール!」
何度も、洞窟のあちこちに開いた穴に向かって叫び続けた。
この声が、きっと彼へ届くはずだ――そう信じて、何度も、何度も。
やがて。
「なぜギザールともっと話をしておかなかったのか」と、さっきの自分を責めはじめた、その時。
「うぅ……」
いま、たしかに――足元に開くどれかの穴から、か細い声が響いた。
「……ミュウルさん……ジェニファさん……っ」
「ギザール……!」
どの穴の先に彼がいるのかは分からない。
それでも、彼の気配がこの先にある気がして――手前の穴に迷わず落ちると。
足がついたのは、水色に光る地下水脈のほとりだった。
「ここは……」
以前、落ちたことがある岩場だ。
でも、今はそんなことより――。
「ミュウルさん……!」
「……っ」
岩場で座り込んでいるギザールを見つけた瞬間、涙があふれそうになった。
彼は足をくじき、動けなくなっているみたいだ。
とりあえず、無事でいてくれた――。
震える息を吐き出し、こちらに手を振る彼に近づいていくと。
「聞いてくださいっ! ブーミダさんが掘り進めていた道の中に、“当たり”があったんっすよ!」
「……え?」
ギザールは何事もなかったかのように、目を輝かせていた。
「ヴァリナ村の方面から、大穴の地下水脈に向けて伸びる道があって。しかもそこ、壁で隔たれてないんすよ!」
「……」
こちらの心配などお構いなしに、いつもの早口を披露する学者兼通訳。
そんな彼に向かって、震える腕を伸ばした。
「その道は、壁を横から避けるように掘られていて……って、ミュウルさん?」
意外と硬い身体を、包み込むように抱きしめると。彼はようやく口を閉じた。
ポカンとした顔で、両手を宙に浮かせている。
やっぱり腹立たしい――。
「ひとりで、行かないでよ」
「え……」
「ほんっとうに……心配した」
それだけ、ようやく絞り出せた。
「えっと……」
ギザールは何度か目を瞬かせた後――ようやくお喋りな口を閉じた。
「ギザール……こっち、見て」
ようやく視線が合った瞬間。
私の顔を捉えた瞳が、うるうると揺れはじめた。
「もう二度と会えないかと思ったっす……」
「……うん」
彼が涙をこぼすより早く、頭を撫でると。
ぎこちない腕が、私を抱きしめ返してくれた。
(この人は、ずっと一人だったんだ……)
でも、それが平気なわけではなかった。
そう教えてくれたような気がした。
「ギザールが私たちを信じてくれる限り、何度でも見つけてみせるから」
私を地図作りの旅に誘ってくれた人。
私の力を最初に信じてくれた人。
そんな彼を、私だって信じている。
そう告げると――ギザールは目を見開き、何かを呟いた。
「今はここがオレの……なんだ」
「ん……?」
「なんでもない」と、さらに腕の力が強くなった。
ギザールの温度が心地良い。
砂漠のピラミッドで、ジェニファを抱きしめた時と同じ――胸に灯る、温かい何かを感じる。
そんな彼の熱を感じながら。
もうこの人を一人にしないと、こっそり囁いた。




