59話 硬派なミミズ
天井から岩がパラパラと落ち、何かが這う音が近づいてくる。
「ジェニファ、ギザール!」
入り口の焚き火を囲むふたりの元へ、走り出した瞬間。
背後の天井が崩れた。
暗い穴から顔を出したのは――巨大な虫、顔のない何かだった。
「なっ……」
岩穴から這い出てきた長い身体は、まったく汚れていない。
青や緑の鉱石を埋め込んだように、節が鈍く光っている。
「うわ気持ち悪い……なんなんですかこの生き物!」
「えっ、むしろカッコよくないっすか!?」
怯えるジェニファと、大興奮のギザールを背に庇い、長い身体が目の前へ降りるのを待った。
いや。初めて見る妙な生き物に、目を奪われていたのだ。
「これは……ミミズ?」
目も口も鼻もない、ツヤツヤとした鉱石の身体。
このミミズが落ちてきた穴を見上げて、ハッとした。
機械で掘られたかのような穴が、頭をよぎる。
「あれは、こいつが掘った穴だったんだ……」
“底抜け”にいるとはいえ、話が通じるかどうか分からない。
「ギザール、これは魔獣?」
「分かんないっす! こんなの、オレも初めてで」
ならば、念のため拳を温めておくべきか――。
拳を構えた瞬間。
また、頭上から軋む音が響いた。
「落盤……!?」
落ちてくる大岩を砕いたとしても、背後の二人までは守れない。
でも、洞穴から脱出するのは間に合わない。
迷った身体が固まった、その時。
私が動くより早く、巨大ミミズが這い寄ってきた。
「え……?」
ミミズの身体が、私たちを覆っている。
橋のようになり、崩れ落ちる岩と土を受け止めたのだ。
「……まぁ。助けてくださった……のですか?」
信じられない。
でも、確かにミミズは私たちを庇った。
「ミュウルさん……とりあえず、コイツから話聞いてみません?」
「虫言語」も習得済みだと意気込むギザールが、ミミズに近づくと。
うねるミミズは、身体の上に乗った岩を払った。
「『ブーミダ。地を這うもの』……って、なんだか口調まで硬い感じっす」
「ブーミダ……それが名前?」
消えかけた焚き火を守るように、ブーミダは地面から岩を退けている。
まるで、私たちの仮の拠点を整備しようとしているかのように。
「とりあえず、話ができるなら……」
拳を解いて、彼を洞穴の外へ誘った。
ここは、“底抜け”に住む魔族もあまり近寄らない岩場らしいけれど――もしかすると、彼が居るからだろうか。
「ギザール、訳して」
「あいあいっす」
ブーミダの外見に怯えるジェニファを抱えながら、彼のツルツルとした頭を見上げた。
「あなたは魔族? それとも魔獣?」
「『ブーミダ、地を這うもの』……さっきと同じっすね」
この生き物にとって、人間の作った分類は関係ないのかもしれない。
ギザールの言葉に、深く頷いた。
「……そっか」
『ぼくたちは、ぼくたちの中で「魚人族」って言葉はつかわない』――。
ピラミッドの家で出会った、フィレフィレの言葉が頭をよぎった。
「じゃあ、ブーミダはここで何をしてるの?」
私たちと言葉を交わせる。
でも、彼の迫る気配はまるで――“穢れ獣”のように、ゾッとするようなものだった。
「『ブーミダ、壁を守る』」
「え……!?」
彼はツルツルの頭を持ち上げ、後方を見渡した。
「『“壁の守護者”、それが役目』」
「守護者……」
同じだ。
昼間オーリウスが教えてくれた、ピラミッドの魚ミイラ――ヴォジャイの正体と。
「それはどういうことですの?」
「たぶん、ブーミダは私たちが魔族って呼ぶものの仲間で……」
あの人を寄せ付けない障壁を守っている。
何かのために。
「何かのためって……?」
「……『聞け、壁の声を』」
ブーミダの声が、岩場の水音に混じって響いた。
岩を震わせる、音波のような声だ。
赤、青、緑の宝石が一体化した身体が、クネクネと進んでいく。
「どこいくの……?」
「『来い、壁の声を聞きに』」
壁の声。
彼の繰り返す言葉の意味が、まるで分からなかったが。
彼の掘った穴の奥へついていくと――暗がりでも分かる、半透明のカーテンのようなものが波打っていた。
「壁……」
私がこれまで、前へ進むために破ってきたものだ。
世界を隔てるもの。
私の歩みを止めるもの。
壁に、それ以上の意味なんてなかったのに――。
「『これは、尊ぶものだ』」
「尊ぶ……?」
ブーミダは手足のない身体で、壁に向かって深々と頭を下げていた。
やっぱり。
改めて壁の前に並ぶと、分かってしまう。
魔族たちの街の近くにある、壁の根元。
あそこに添えられた、羽と骨飾りは――。
「崇拝の証……」
私が壁を傷つけようとして激昂したヘリオスは、当然として。
きっとヴィーナスも、あの街に棲む他の魔族たちも、みんな――。
「壁を崇めている……ってことっすか」
沈黙してしまったギザールを前に、言葉が出てこなかった。
彼も私と同じ、壁は破るものだと考えていたのだろう。
「あの、ミュウル様。壁が人間にとって悪いものだと言われていたのは……なぜなのですか?」
ジェニファの静かな問いかけに対して、真っ先に影が思い浮かんだ。
「それは……」
獣、虫など、さまざまな姿の影が、壁から発生している。そしてそれらは、決まって人間を襲い傷つけた。
だから、壊す以外のことを考えもしなかったのに――。
今は壁を前にしても、拳を握ることができなかった。
「ねぇ、ブーミダ……教えて」
彼は、私が壁をどうしてきたのかなんて関係なく、私たちを守ってくれた。
そんな彼が壁を守る理由は、いったい何なのか――。
「壁が尊ぶものなら……どうして影は、人を傷つけるの?」




