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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
5章 人魔の洗濯川 ―ヴァリナ―
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58話 通訳は想う

 いったい魔族にとって、この壁はどんな存在なのか――。


「どうしてそんなことを気にするのか」と首を傾げるヴィーナスが、壁へ触れようとした、その時。


「離れなさい人間!」


 耳をつんざくほどの音量に、耳を塞いだ。

 いまの声は――。


「ヘリオス……?」

「さっき、その壁を壊そうとしたわね!?」


 たとえ一瞬だとしても、壁を殴ろうとしたのは本当だ。

 

 でも、彼はこちらの弁解を聞くことなく、ものすごい形相で迫ってきた。

 壁のあちら側にいるギザールとジェニファだけでなく、孫のヴィーナスをも吹き飛ばす勢いで。


「やっぱり、妙な考えなんて起こすんじゃなかったわ……」


 壁に危害を加えるなら、拠点契約の話は完全になかったことにする――ヘリオスの低い声に、全身が震えた。


「待って、私たちは別に……」

「じいちゃん!」


 間に割り込んだのは、吹き飛ばされたはずのヴィーナスだ。


「ミュウルはちゃんと止まったんだ。初めて変身したボクを、殴らないでいてくれた時と同じだ! 壁が大切なものだって話せば、ちゃんと分かってくれ――」

「おだまり」


 さらに声を低くするヘリオスの頬に、黒いヒビが走った。

 パラパラと崩れた白い肌の奥には、黒い顔が見えている。


「……っ」


 いま勝手に口を開いたら、ただでは済まないだろう。


「ヘリオスさん、オレらはずっと――」

「待って、ギザール。分かったよ」


「いったん引こう」と、壁越しのギザールとジェニファに囁いた。


「でも、よろしいのですか?」

「うん。ふたりはヴィーナスに、こっち側まで私を迎えにきてもらえないか相談してほしい」


 顔を寄せ合い話す間にも、ヘリオスは震える翼を翻した。


「はぁ……」


 彼の視線が無くなっただけで、息が吸えるようになった。

 本気で、壁には触れてほしくないみたいだ。


「でも……」


 彼は“底抜け”から出ていけとまでは言わなかった。

 きっとバシール家との水路問題は、それほど深刻なのだろう。第三者の手を借りなければ、もう手詰まりというほどに。


「だったら……」


 やっぱり、これは絶好の機会。


 ヘリオスに認められれば、分かるかもしれない――この世界を隔てる壁が、彼らにとってどんな意味を持つのか。


「……よし」


 こうなったら、水路問題を解決するのは必須だ。

 改めて呼吸を整えたところで、背後から羽音が聞こえてきた。


「来たよ、ミュウル」

「早かったねヴィーナス」

「……人が休めそうなところ、いこっか」


 ヘリオスの態度が気にかかるのか、私たちを案じてくれているのか、ヴィーナスは少し肩を落としていた。


 そんな彼が教えてくれた洞穴で、私たち“人族”は焚き火をして夜を越すことになったのだが――。


「このパン、黒くない?」


 ギザールが食べ物を焦がすはずがない、と、思いたかったが。

 陶器窯から取り出されたパンは、表面どころか中まで真っ黒だった。


「ヴァリナ川の水を使ってますからねぇ」

「ああ、そういえば、バシールさんの娘さんがおっしゃっていました。この川には炭が溶けているのだと」


 ふたりの言葉に、パンを嗅いでみると。

 たしかに、炭のような、独特だけど爽やかな香りがした。


「……ちゃんと今のうちに食べておかないと」

「ミュウル様……そうですね。食べて、早めに休みましょう」


 食事の後。

 先に見張りをしてくれるというギザールに甘えて、ジェニファと並び横になった。


 でも――地下道を遮る壁のことを考えると、眠れる気がしない。


 目を開けて、ギザールと今後のことを話そうとしたところ。


「あれ……?」


 隣に寝ていたはずのジェニファがいなかった。


 少し遠くの方を見ると――焚き火の燃える洞穴の入り口では、ふたりが珍しく並んで座っている。


「……なに話してるんだろう」


 気になるけれど、仲間の会話を盗み聞くのは良くない。

 音を立てないよう、そっと踵を返した、瞬間。


「いや、いいんです。フェアじゃないっすからね」


 ギザールの声に、足が止まった。


 フェアではない――いったい、なんの話をしているのか。


「ピラミッドでジェニファさんの話を聞いたら……オレも昔のこと、思い出しました」


 昔のこと。

 どうやらギザールは、過去のことをジェニファに打ち明けようとしているらしい。


「……」


 勝手に聞いてはダメだと思っても、足が動かない。

 これまでほとんど、ギザール自身について聞いたことがなかったから――。


「オレは修道国の西で生まれて……都の誰も知らないような、希少民族ってやつだったんすけどね」


 今では天涯孤独の身。


 ギザールはいつもの調子で言ったけれど、瞳は焚き火の奥を見つめていた。


「だから、ちょっとだけ分かるんすよ。故郷の村が丸ごと眠ってるっていう、アンタの気持ち」

「……そう、ですか」


 ギザールの表情に何かを感じたのか、ジェニファも、いつもの毒は封じているみたいだ。


 あんな風な目を見せられたら、私も言葉が出てこないだろう。


「自分だけが世界に取り残されたみたいな気がしたけど……ある時、そんなオレでもやれることがあるんだって知って」


 考古学者になるため、各地を歩き、古文書を読み漁った。

 ギザールが軽く口にすると、ジェニファは低い声で「でも」と挟む。


「ギザールさんは言葉も堪能ですし、他にも選択肢があったのでは?」


 なぜ考古学だったのか。

 そう尋ねるジェニファに、ギザールは微笑んだ。


「“違う人たち”を繋ぐ橋になりたくて」


 世界には、姿形の違うさまざまな民族がいる。

 人族と魔族といった違いも。


「『古くから学び、今を繋ぐ』……オレの師匠の言葉っす」


 ギザールに師匠がいたのか――。


 私の知らない彼が、今夜は次々と出てくる。


「では、世界地図を作る……魔導測量士でしたね。それを目指したのは?」


 ジェニファの問いかけに、ギザールはさらに口角を上げた。


「何ですか気味悪い」と、いよいよ毒づいたジェニファに向き直った彼が――ほんの一瞬、こちらを見た気がした。


「実はミュウルさんと同じで……“残るから”なんです」


 自分の仕事が後世に残る。

 それが何よりの魅力だったと、ギザールは言い切った。


「同じ……」


 オーリウスの執務室で言い放った、私の言葉――。


『自分の足跡を、外の世界に残したいんです』


 もしかしたら、ギザールはあれを覚えていてくれたのか。


「ロマンとやらですか? 私にはまだ、理解しかねますが」

「うーん、ロマンってより……“オレがここにいた”って証拠っすかね」


 初めて見る寂しげな横顔に、胸が締めつけられた。

 それは私と同じ動機だ――。


(そっか、ギザールも……)


 地図を描くことが、自分の生きた証になる。

 そう信じているのだ。


「存在した証拠……」


 ジェニファは瞼を伏せ、赤々と燃える火を見つめている。


 洞穴に、火の粉の爆ぜる音だけが響くようになった後。今すぐにここから離れた方が良い気がしてきた。


 本来、ギザールはこの話をジェニファだけにするつもりだったはずだ。

 それを聞いてしまったことに、今更ながら罪悪感が募る――。


「……」


 でも。


『“違う人たち”を繋ぐ橋になりたくて』

 

 さっきの言葉を聞いた後だと、余計気になってきた。

 ギザールは今回の水路問題について、どんな風に人魔を繋ぐつもりなんだろう、と――。


「さぁて、そろそろ出てきたらどうっすか?」


 突然、音量を増した声に肩が跳ねた。


 あのギザールの顔――たぶん、私が聞いていると確信している。

「なんのことです?」と振り返るジェニファの前に、潔く出ていくことにした。


 が――ふたりの声とも、焚き火の音とも違う。

 妙な音に、身体が固まった。


「近づいてくる……」

「ミュウルさん?」


 やっぱりバレていた――というのは、今は置いて。


 ゾリゾリと地面を削って這うような音が、洞穴内に響いている。


「この音……上から?」

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