57話 崇められる壁
もう一度、“底抜け”まで連れて行ってほしい。
バシール家を出た後、一か八かでお願いをしてみたところ。
ヘリオスは遠回しな嫌味を言いつつも、「足に掴まっていられるならね」と、了承してくれた。
「ひぃぃぃ! ミュウルさんっ、ぜったい離さないでっ……!」
「はいはい」
片腕でヘリオスの足にぶら下がり、もう片手でジェニファの腰をしっかりと抱えた。そしてジェニファの足には、叫び通しのギザールが掴まっている。
「はぁ。なんでこの殿方が私の足に……上向いたら劇薬投与ですからね」
「そんな余裕あるように見えます!?」
騒がしいふたりから、純白の翼を広げるヘリオスへ視線を移すと。
彼は大穴の上空で、突然羽ばたきを止めた。
「……やっぱりダメね」
「え……?」
突然のため息に、空を仰いだ、その瞬間。
「知りたいことがあるのなら、それなりのものを示しなさい」
強風に飛ばされ、ヘリオスの足から手が離れていた。
「なっ……!」
大穴の真上で放り出されたのだ。
「どうして……!?」
「別にアタシは来て欲しいと思っていないもの。来たけりゃ勝手に来なさい」
「くっ……!」
今は、ヘリオスが気分を変えた理由を探っている場合ではない。
滝の水飛沫が頬を打つ中、ギザールとジェニファを抱き寄せた。
「ミュウルさまっ!」
「大丈夫だよ」
風に流される足を必死にばたつかせると――なんとか指先が、崖の縁にかかった。
「よし……」
足場は確保した。
そのまま片手ボルダリング状態で、岩から岩へ手を移し、少しずつ降りることにしたが――このままだと、いつ体力が切れるか分からない。
「待ってください! オレらも完全なお荷物になるつもりはないっすから」
ギザールがリュックから取り出したのは、丈夫そうな縄。
彼は慣れた手つきで私の腰に縄を結び、ジェニファとふたりで岩にしがみついた。
「万が一オレらが落ちた時、ミュウルさんが引き上げてくれさえすればいいんで」
息を整えながら、頷いた。
でも――滝の水を浴びながら進むのは、私でも難しい。
それに、いつふたりの体力と集中が切れるか分からない。
「ギザール、ジェニファ、崖から離れて!」
「えっ……? りょ、りょーかいっす!」
とっさの呼びかけに応じたふたりの重みが、縄越しに腰へかかった。
瞬間、拳を握る。
「はぁぁっ!」
水の流れる岩壁を、一点集中で殴ったところ。
砕けた岩の先は、空洞になっていた。
とっさに洞窟の中へ転がり込み、縄を引いたところ。
縄でつながっていたギザールとジェニファが、うまいこと釣れてくれた。
「ミュウルさん、ナイス判断! とりあえずの足場を確保できたっすね」
「うん。あとは私だけ穴の底に降りて、ヴィーナスに助けを――」
身体が突然落ちる感覚に、胸の奥がざわついた。
「ミュウルさん……!」
まずい、このままだとギザールとジェニファも道連れだ。
深く考える間もなく、縄を引きちぎった。
「ミュウル様!?」
まさか、横穴の下に空洞があるなんて――真っ暗闇の中、私の身体だけが転がり落ちていく。
(どこまで落ちるの……?)
もし、この下に地面以外何も無かったら――。
『ミュウル、また何か……この轟音は何だ!?』
耳元で響いたのは、オーリウスの声だ。
自然と手足に力が入った。
「……!」
そうだ、迷っている時間はない。
両手足を伸ばし、壁を探すと――狭い穴の壁に、手足が突き刺った。
「よしっ……」
そのまま勢いを殺し、降りていくと。
やがて足がついたのは、水面が青く光る地底湖だった。
「ぷはぁ……なんとか死なずに済んだ」
終着点が水場で助かった。
『今度は何があった!?』
声がうわずっているオーリウスをなだめるため、「とりあえず生きてる」とだけ吐き出した。
落ちてきた方向を見上げると、円形の穴がぽっかりと開いている。
機械で穿ったかのように、キレイに岩が削れていた。
「これは……?」
ひとまず地底湖を泳いで、狭い岩場に上陸すると。その奥にも、同じような穴が開いていた。
「巨大モグラの工事跡……?」
『はい……? それより、本当に無事なんだろうな』
繕う余裕もなさそうなオーリウスに、つい頬が緩んだ。
毎回、本当に心配してくれているのだろう。
「うん、大丈夫だから」
耳飾りに手を添え、そう答えると。
長いため息の後に、オーリウスは黙ってしまった。
「今は、この穴を辿っていくしかないか」
あの光る水に落ちたおかげで、謎の発光成分が身体に染みたらしい。
暗い穴の先も、ぼんやり見通すことができる。
「……そういえばさ」
オーリウスは、世界に魔族が生き残っていることを知っている――。
エリアスから聞いたことを、ようやく本人に話すことにした。
「ピラミッドの地下にいた、ヴォジャイって魚も……やっぱり魔族だったんじゃないの?」
水滴が落ちるたび、少しずつ身体の光が薄れていく中。
『……いつか話すと、約束でしたからね』
長い沈黙を破ったオーリウスは、「あれは壁を守る魔族だった」と口にした。
「魔族が壁を?」
『ええ。我々が出会った彼は、すでにミイラ化していましたが……』
当時の勇者パーティーにいた、優れた通訳者によると。
ヴォジャイは自らを“壁の守護者”と名乗り、壁を守るために勇者の歩みを否定したという。
「そう……だったんだ」
あのピラミッドの地下にあった壁の破壊が、勇者が魔王討伐へ向かうために必要だったと、オーリウスはあの時言っていたが――。
「もしかして……」
壁は魔族にとって特別なもので、少なくとも魔王と関係しているものだったのではないか。
あくまで憶測として話したのだが、オーリウスはまた口を閉ざしてしまった。
「あなたは、壁が何かは分からないって言ってたけど……それってほんと?」
『…………』
その先を、私に言えない事情があるのだろうか。
いつまでもオーリウスの言葉を待っていると。
「……熱っ!」
突然額に走った衝撃に、足が止まった。
「え、この感じって……」
まさか、これは――。
ためしに目の前を殴ってみたら、布に包まれたような抵抗が返ってきた。
『ミュウル、どうしましたか?』
「うん。これ……壁だ」
岩壁を貫通してそびえる壁が、目の前に広がっている。
こんなに暗がりでも見えるのは、半透明の壁が硬いカーテンのように波打っているからだった。
それに。壁を隔てた穴の奥から、人の足音が聞こえてくる――。
「あっ、もしかしてミュウルさん!?」
「この声……どうして!」
間違いない、ギザールだ。
正面から、ランプの柔らかい灯りが近づいてくる。
「えっ、ミュウル様!?」
ジェニファの声もこちらに近づいてくるが、「待って!」とふたりを静止させた。
「ここに壁がある」
「はい……?」
当然、ふたりともキョトンとしていた。
「でも、嘘じゃないよ」
聖力を込めた拳で、また壁を叩いてみせると。
「うわっ、ほんとだ……こんなところに壁があるっ!」
「でも2人とも、どうしてそこに?」
明かりが来て、ようやく分かった。
奥に見えているのは“底抜け”の街。木の実のようにぶら下がる家々が揺れている。
それらを遮るように、純白の翼が広がった。
『じいちゃんが意地悪したんだってね。ちゃんと後で回収するつもりだったらしいけど……』
よく見えないが、翼の持ち主はヴィーナスらしい。
「そうだったんだ……」
たとえヘリオスが助けるつもりでも、あの時岩壁を壊したのは正解だった。
この壁と出会えたのだから。
「ねぇヴィーナス、どうしてこんなところに壁があるの?」
『え? 壁なんてどこにでもあるけど』
質問の意味がうまく伝わらない。
魔族は壁の存在に、疑問すら抱いていないということなのか――。
「でも……」
道を遮る壁は、壊すだけだ。
そう思ったのだが――。
「あれ……?」
見えない壁の根元には、羽や色石、小さな骨飾りが並べられていた。
誰かがここへ、何かを供えた跡みたいだ。
それも何度も。
「これは……どうして?」
聖力の灯りかけた拳を、そっと下ろす。
そして。
壁越しに向き合うヴィーナスを見つめた。
「あなたたちにとって、壁は……なんなの?」




