56話 人魔のすれ違い相談室
「あれって、あのヘリオス……だよね?」
彼は「何も言うな」と言わんばかりに、人差し指を唇に当てている。
隣のジェニファは、彼を見た瞬間に「あの神々しさは間違いない」とこぼしていた。
ヘリオスは、私たちがここにいることに、あまり驚いていないみたいだけれど――。
「『ああ、ヘリオスさんかい。ご飯食べてく?』」
「『……いいえ、小麦は私の主食ではないので』」
さっきまで、バシール家には笑いがあふれていたのに。バシールをはじめ、姉妹たちも空気をひりつかせている。
「ギザール、これって……」
「とりあえず様子見ますか」
ひび割れたテーブルを挟み、ヘリオスと一家が向かい合った。
私たちは出て行くべきか、一応ギザールに尋ねてもらったけれど。
バシールは『必要ないさ』と、私たちにも同席を許してくれた。
「で……結局、ヘリオスはどうしてここに来たの? しかも人に擬態して」
隣のギザールに耳打ちすると、彼は同時通訳してくれた。
ヘリオスとバシールの、“水路”を巡る交渉について。
「さっき水を運んできた時、なんか良い身なりの老人がいましたよね?」
「うん……たしか」
貴重な森を壊さずに水を引きたいという、隣町の町長。彼がバシール一家に、『水路工事』を依頼していた。
そのためバシール一家は、ヴァリナ川の地下を掘り進めて、町への水路を引こうとしているという。
「ええと……バシールたちの仕事はただの水運びじゃなくて、水路工事の人でもあるってこと?」
首を傾げると、ギザールは静かに頷いた。
彼の視線の先では、バシールとヘリオスが笑顔で睨み合っている。
「あ、今度はバシールさん、オレらに向けて言ってますね……『この土地の地下には、先住民がおりなすったって話さ』……だそうっす」
「それって……!」
まさかバシール一家は、水路を掘り進める間に、魔族の街の存在を知ったのか――。
「いえ。多分まだバシールさんたちは、彼が魔族だとは気づいていないみたいっす」
「……まぁ、そっか」
気づかれているのならば、彼がわざわざ翼を隠し、人間に擬態してここを訪ねてくる理由がわからない。
「あっ、話が進みましたね……『町側から掘り進めた地下トンネルの途中に、見えないヘンな岩盤がある』……って、バシールさんが」
「見えない……?」
覚えのある壁が、頭をよぎった。
世界を隔てる壁は、ピラミッドの最下層にも存在していたというのだから、地下にあっても不思議ではない。
「『魔法の障壁なんじゃないかって思うんだがね』」
「魔法……」
バシールは、正体不明の破れない壁をそう思ったらしい。
でも――ヘリオスは、相変わらずの涼しい表情だ。
「ヘリオスは、壁についてどこまで知ってるんだろう」
「どうなんっすかね。『あれは大切なものだから壊すな』って、主張してますけど」
「大切なもの……?」
いったい、どういうことなのか――。
空間を遮る壁が、ヘリオスにとっては大事なものなんて。
考える間もなく、ギザールの同時通訳は進んでいく。
「『残念ですが……我々は、先祖の霊が残る地を離れたくないのです』」
「……っ!」
ヘリオスの言葉に、胸が締めつけられた。
たしかバシールも、川の側へ引っ越さない理由を「先祖の土地を離れたくないから」と言っていた。
「……どっちも想いは同じ」
ヘリオスが本当のことを言っているのかは、正直分からない。
もしかしたら、魔族たちがひっそり暮らす“底抜け”を守るために、嘘をついているのかもしれない。
「地上の川を人間がいじろうとしているって話……これだったんっすね」
「うん……でも」
これは話し合いで解決するような問題なのだろうか。
だからといって、どちらかを殴れば済む話でもなさそうだ。
「ミュウル様、どうなさいますか……?」
私がこの件に関わるかどうか。
隣のジェニファは、真剣な面持ちでこちらを振り返った。
「それは……」
ヘリオスが、この土地の壁を守ろうとする理由は分からない。
それでも彼がわざわざ人間の姿で来ているのは、真剣に交渉の席へつくためなのだろう。
「ねぇ、ヘリオス」
あえてバシールたちに聞こえないよう、修道国語で話しかけると。
「……なによ?」
口調を戻したヘリオスが、圧を帯びた目でこちらを振り返った。
相変わらず、睨まれたらゾクっとするような眼光。
それでも、いまは静かに拳へ力を入れた。
「魔族があの場所を立ち退きたくない本当の理由って、なんなの?」
「本当の……?」
少しだけ、ヘリオスの威圧が緩んだ。
その隙に前に出て、彼と真っ直ぐに視線を合わせた。
「もし、魔族も人間も、どっちも納得できる答えを見つけられたら……拠点契約、してくれる?」
提案に対して、ヘリオスは眉をひそめている。
それでも――さっきまでの、重苦しい圧力は消えていた。
「そんなことが、力しか能のないあなたに可能なのかしら?」
「やってみないと分からない。それに、力だけじゃないよ」
私には仲間がいる。
ジェニファとギザールを見回し、耳元で揺れる石にも手を添えると。
しばらく私を眺めていたヘリオスは、深いため息を吐き出した。
「……そうね、もしそんな方法を示せるっていうんなら」
構わないわ――彼は確かにそう言った。
「でもね、もう半年は膠着状態なの」
水路問題は、解決の兆しが見えない。
ヘリオスは瞼を伏せた。
「アタシたちが強引に工事を潰したって、意味がない。人間はまた別の道を掘るだけよ……ったく、親しみやすい姿で話に来てやってんのに」
「まぁ、恩着せがましい魔族ですわねぇ」
ヴィーナスの祖父とは思えないと、ジェニファが毒づく間にも、バシールがこちらを向いた。
「『もしかして、オメェさんたち知り合いなのかい?』……って、どうします?」
ギザールに「うん」と頷き、ヘリオスを見ると。
ヘリオスは、「任せるわ」と言うかのように、視線を横へずらした。
「知り合いだよ」
一応、という言葉は抜かして答えると。
「『そりゃよかった!』」と、バシールは両手を打った。
「『どうもアタシじゃ、このキレイな兄ちゃんと話しが進まなくてねぇ』」
実は娘のひとりが、いつもヘリオスと交渉をしている。
バシールが言った。
「娘って……」
なぜかアシャが思い浮かんだ。
さっき地面に描いた大穴を見た時の、アシャの表情が頭から離れなかったせいか――。
でも、いつの間にか彼女の姿はなくなっている。
家の戸が、隙間を空けて揺れていた。
「『あの子はまったく、どっちの味方だか分からないこと言うんでね』」
バシールは、私たちにも水路を作るための交渉を手伝ってほしいというが――。
「ミュウル様、ギザールさん、ちょっと」
小声のジェニファに応じると。
彼女は「また“底抜け”へ参りませんか?」と、ヘリオスを横目で見た。
「曲がりなりにも、拠点契約の交渉を取り付けたのです。もう一度懐に入り込んで、詳しく事情をうかがうのはいかがでしょう?」
「それは……」
水路問題を解決するには、人間と魔族、両方の事情を見ておいた方がいい。
ジェニファの提案に、大きく頷いた。
「うん、そうっすね。オレも賛成」
「じゃあ……」
まずはヘリオスの攻略からか。
川の大穴を降りるには、翼をもつ魔族に協力してもらわなれけばならない。
露骨に嫌そうな顔をするヘリオスに向き直り、「お願いがあるんだけど」と声をかけた。




