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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
5章 人魔の洗濯川 ―ヴァリナ―
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56話 人魔のすれ違い相談室

「あれって、あのヘリオス……だよね?」


 彼は「何も言うな」と言わんばかりに、人差し指を唇に当てている。


 隣のジェニファは、彼を見た瞬間に「あの神々しさは間違いない」とこぼしていた。


 ヘリオスは、私たちがここにいることに、あまり驚いていないみたいだけれど――。


「『ああ、ヘリオスさんかい。ご飯食べてく?』」

「『……いいえ、小麦は私の主食ではないので』」


 さっきまで、バシール家には笑いがあふれていたのに。バシールをはじめ、姉妹たちも空気をひりつかせている。


「ギザール、これって……」

「とりあえず様子見ますか」


 ひび割れたテーブルを挟み、ヘリオスと一家が向かい合った。


 私たちは出て行くべきか、一応ギザールに尋ねてもらったけれど。

 バシールは『必要ないさ』と、私たちにも同席を許してくれた。


「で……結局、ヘリオスはどうしてここに来たの? しかも人に擬態して」


 隣のギザールに耳打ちすると、彼は同時通訳してくれた。

 ヘリオスとバシールの、“水路”を巡る交渉について。

 

「さっき水を運んできた時、なんか良い身なりの老人がいましたよね?」

「うん……たしか」


 貴重な森を壊さずに水を引きたいという、隣町の町長。彼がバシール一家に、『水路工事』を依頼していた。

 そのためバシール一家は、ヴァリナ川の地下を掘り進めて、町への水路を引こうとしているという。


「ええと……バシールたちの仕事はただの水運びじゃなくて、水路工事の人でもあるってこと?」


 首を傾げると、ギザールは静かに頷いた。

 彼の視線の先では、バシールとヘリオスが笑顔で睨み合っている。


「あ、今度はバシールさん、オレらに向けて言ってますね……『この土地の地下には、先住民がおりなすったって話さ』……だそうっす」

「それって……!」


 まさかバシール一家は、水路を掘り進める間に、魔族の街の存在を知ったのか――。


「いえ。多分まだバシールさんたちは、彼が魔族だとは気づいていないみたいっす」

「……まぁ、そっか」


 気づかれているのならば、彼がわざわざ翼を隠し、人間に擬態してここを訪ねてくる理由がわからない。


「あっ、話が進みましたね……『町側から掘り進めた地下トンネルの途中に、見えないヘンな岩盤がある』……って、バシールさんが」

「見えない……?」


 覚えのある壁が、頭をよぎった。


 世界を隔てる壁は、ピラミッドの最下層にも存在していたというのだから、地下にあっても不思議ではない。


「『魔法の障壁なんじゃないかって思うんだがね』」

「魔法……」


 バシールは、正体不明の破れない壁をそう思ったらしい。

 でも――ヘリオスは、相変わらずの涼しい表情だ。


「ヘリオスは、壁についてどこまで知ってるんだろう」

「どうなんっすかね。『あれは大切なものだから壊すな』って、主張してますけど」

「大切なもの……?」


 いったい、どういうことなのか――。

 空間を遮る壁が、ヘリオスにとっては大事なものなんて。


 考える間もなく、ギザールの同時通訳は進んでいく。


「『残念ですが……我々は、先祖の霊が残る地を離れたくないのです』」

「……っ!」


 ヘリオスの言葉に、胸が締めつけられた。

 たしかバシールも、川の側へ引っ越さない理由を「先祖の土地を離れたくないから」と言っていた。


「……どっちも想いは同じ」


 ヘリオスが本当のことを言っているのかは、正直分からない。

 もしかしたら、魔族たちがひっそり暮らす“底抜け”を守るために、嘘をついているのかもしれない。


「地上の川を人間がいじろうとしているって話……これだったんっすね」

「うん……でも」


 これは話し合いで解決するような問題なのだろうか。

 だからといって、どちらかを殴れば済む話でもなさそうだ。


「ミュウル様、どうなさいますか……?」


 私がこの件に関わるかどうか。

 隣のジェニファは、真剣な面持ちでこちらを振り返った。


「それは……」


 ヘリオスが、この土地の壁を守ろうとする理由は分からない。

 それでも彼がわざわざ人間の姿で来ているのは、真剣に交渉の席へつくためなのだろう。


「ねぇ、ヘリオス」


 あえてバシールたちに聞こえないよう、修道国語で話しかけると。


「……なによ?」


 口調を戻したヘリオスが、圧を帯びた目でこちらを振り返った。


 相変わらず、睨まれたらゾクっとするような眼光。

 それでも、いまは静かに拳へ力を入れた。


「魔族があの場所を立ち退きたくない本当の理由って、なんなの?」

「本当の……?」


 少しだけ、ヘリオスの威圧が緩んだ。

 その隙に前に出て、彼と真っ直ぐに視線を合わせた。


「もし、魔族も人間も、どっちも納得できる答えを見つけられたら……拠点契約、してくれる?」


 提案に対して、ヘリオスは眉をひそめている。

 それでも――さっきまでの、重苦しい圧力は消えていた。


「そんなことが、力しか能のないあなたに可能なのかしら?」

「やってみないと分からない。それに、力だけじゃないよ」


 私には仲間がいる。

 ジェニファとギザールを見回し、耳元で揺れる石にも手を添えると。


 しばらく私を眺めていたヘリオスは、深いため息を吐き出した。


「……そうね、もしそんな方法を示せるっていうんなら」


 構わないわ――彼は確かにそう言った。


「でもね、もう半年は膠着状態なの」


 水路問題は、解決の兆しが見えない。

 ヘリオスは瞼を伏せた。


「アタシたちが強引に工事を潰したって、意味がない。人間はまた別の道を掘るだけよ……ったく、親しみやすい姿で話に来てやってんのに」

「まぁ、恩着せがましい魔族ですわねぇ」


 ヴィーナスの祖父とは思えないと、ジェニファが毒づく間にも、バシールがこちらを向いた。


「『もしかして、オメェさんたち知り合いなのかい?』……って、どうします?」


 ギザールに「うん」と頷き、ヘリオスを見ると。

 ヘリオスは、「任せるわ」と言うかのように、視線を横へずらした。


「知り合いだよ」


 一応、という言葉は抜かして答えると。


「『そりゃよかった!』」と、バシールは両手を打った。


「『どうもアタシじゃ、このキレイな兄ちゃんと話しが進まなくてねぇ』」


 実は娘のひとりが、いつもヘリオスと交渉をしている。

 バシールが言った。


「娘って……」


 なぜかアシャが思い浮かんだ。

 さっき地面に描いた大穴を見た時の、アシャの表情が頭から離れなかったせいか――。


 でも、いつの間にか彼女の姿はなくなっている。

 家の戸が、隙間を空けて揺れていた。


「『あの子はまったく、どっちの味方だか分からないこと言うんでね』」


 バシールは、私たちにも水路を作るための交渉を手伝ってほしいというが――。


「ミュウル様、ギザールさん、ちょっと」


 小声のジェニファに応じると。

 彼女は「また“底抜け”へ参りませんか?」と、ヘリオスを横目で見た。


「曲がりなりにも、拠点契約の交渉を取り付けたのです。もう一度懐に入り込んで、詳しく事情をうかがうのはいかがでしょう?」

「それは……」


 水路問題を解決するには、人間と魔族、両方の事情を見ておいた方がいい。

 ジェニファの提案に、大きく頷いた。


「うん、そうっすね。オレも賛成」

「じゃあ……」


 まずはヘリオスの攻略からか。

 川の大穴を降りるには、翼をもつ魔族に協力してもらわなれけばならない。


 露骨に嫌そうな顔をするヘリオスに向き直り、「お願いがあるんだけど」と声をかけた。

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