54話 洗濯川の怪力一家
『ごめんね、ボクの恩人なのに』
“底抜け街”から地上へ、ヴィーナスは私たちを送り届けてくれた。
『じいちゃんたら……』と、ぼやきながら。
「いいよ、また後でお邪魔するから」
長であるヘリオスが認めてくれないのなら、今は仕方ない。
「それに私たち測量士は、外を歩かないとだから」
ヴィーナスが渋々と穴の中へ戻るのを見送り、振り返ると――。
黒い川に沿うように並ぶ、灰色の地層岩が目に入った。
「ここは……なに?」
砂漠でも、平原でもない。
見渡す限りの岩場だ。
起伏の激しい地面を踏みながら、穏やかな流れの川を眺めていると。
「あー……この地形は、川の浸食で削られてできたんじゃないっすかねぇ」
さっきまで飛行酔いしていたギザールが、川の縁へ手をかけた。
「ギザール、大丈夫なの?」
「ええ、なんとか……薬師さんのおかげで」
ギザールの指先を振り返ると、ジェニファが空の瓶を片手に微笑んでいた。
「とっても可哀想だったので、即席の酔い覚ましを調合いたしました」
「……そっか」
やっぱり、この二人。険悪ムードを脱したらしい。
『現在、ラヒムザードから東へ4000キロの地点に降り立ったようですね』
「オーリウス……?」
耳飾りからの声に、「4000キロ!?」とギザールが声を上げた。
「数時間は飛んでる感覚だったけど……」
まさか、そんなに移動していたなんて――。
「白地図はどんな感じなの?」と、オーリウスに訊ねると。
『そうですね。中央部に左から右へ、全体の12分の1ほど直線が描かれています』
「……っ」
世界はとんでもなく広いと思っていたのに。
その世界の上に、もうそんなに線を引いていたのか――。
オーリウスの執務室にある白地図を思い浮かべるだけで、肩が震えた。
「この大地は丸いって、高名な学者さんが発表したことはご存知っすよね?」
すっかり回復したギザールの質問に、首を傾げた。
この手の話に興味が無さそうなジェニファはともかく、『当然』とオーリウスの声が響く。
「まぁ修道院にいたアンタらは仕方ないとして……」
世界の直線距離は、4.8万キロほどになるのか。
そう訊ねるギザールに、『それはどうでしょうか』と、オーリウスは声色を低くした。
『この白地図は、あくまで修道国を起点に半径3万キロで尺度を測ったものです。貴方たちの歩みが、この地図を越えてしまうこともあるでしょう』
「え……?」
すると世界の広さは、あの白地図では測れないほど広い可能性もあるのか――。
今度は、胸の内側まで震えはじめた。
「生きてる間にどこまで行けるか……世界との勝負だね」
この足が一生歩き続けても、到達できない場所。
それがあるからこそ、私は止まらないで歩いていけるのだから。
「あら、あちらは……」
川の方を向いていたジェニファが、目を凝らしている。
私も一緒に、川の反対側を見渡すと。
腕が丸太のように太い中年女性、それから少しずつ年の違うように見える若い女性4人が川に入っていた。
「げっ、ミュウルさん顔まで見えるんすか!?」
「さすがゴリラ聖女」と怯え気味のギザールは無視して、少し近づいてみると。
女性たちは軽装で腰まで水に浸かり、布を叩きつけるように洗っていた――洗濯をしているみたいだ。
「ギザール、あれ、現地の人だ」
「私の肩に乗って」と言うと同時に、ギザールとジェニファのふたりを担いだところで。
向こう岸から、こちらに向かって怒鳴るような声が聞こえてきた。
「ギザール、なんて?」
「えっと……『なんだいオメエさんたち! 川に入るならまずお祈りだろう?』って、怒ってますね」
「えっ……」
まさか、川に入るための流儀があったとは――。
慌てて川から脱出すると、ギザールが「待って」と私の腕を叩いた。
「あの人たちのやり方を真似しろって言ってます」
「……分かった」
体格の良すぎる女性が、濡れた手で額を叩いたところ。若い女性たちも同じ仕草をしてから、木製の桶を川に沈めた。
「なるほど……」
女性たちに倣い、濡れた手で額を叩いてみた。
すると――。
「『来れるんならこっち来て話すかい?』……ですって!」
「まぁ、ミュウル様! お話を聞かせていただけそうですね」
さっそく2人を肩に担いだまま、立ち泳ぎで向こう岸に近づいていくと。
「『オマエさんがた、観光客かい?』」
最初に話しかけてきたのは、女性たちの中心で洗濯をしていた女性――“バシール”と、みずから名乗ってくれた。
「『この川は“神聖な命の川”でね、ヴァリナの民はこの水で生きてんだよ』……だそうっす」
「命の川って?」
このヴァリナ川は、魔を遠ざける神聖な川。
ギザールの解説は、だいたいそんな感じだった。
「貴女たちはここで何をなさっているのです?」
ジェニファの問いかけに、バシールは「『見ての通りさ』」と桶を頭上に掲げた。
「『洗濯と水汲みだよ。こう見えて、川の水は無害なんでね』」
「へぇ……」
バシールと私たちが話す間にも、彼女の娘たちだという4人は黒い川の水を汲み上げている。
一番幼く見える少女が、ギザールに笑いかけながら何かを話していた。
「うーん、それは大変っすねぇ」
「ギザール、こっちにも訳して」
「まとめるとっすけど……」
ここから彼女たちの住む街までは、15キロ離れている。それでも毎日、娘たちはこの距離を、重い水を持って往復している――ギザールの話に、「えっ」と声がこぼれた。
「それは……大丈夫なのですか!?」
女性が毎日そんな重労働をしていたら、身体が壊れてしまうのではないか。
そう心配するジェニファに、バシールたちは「『心配症だねぇ』」とカラカラ笑っている。
「『ウチらはちょいと、女が頑丈な家系なのさ』」
「そうなんだ……」
まさかここで、同じ匂いを感じる女性たちに出会えるとは――。
ぜひあの隆起した腕と、力比べをしてみたいと考えていると。
「その街っていうのが気になるので、案内していただけないっすか?」
ギザールはいつも通り、ちゃんと仕事をしていた。
でも、話を遮るように出てきた小柄な子に、ギザールは鋭く睨まれている。
「『お母さん、この人たち……』」
彼女の眼鏡の奥で光る目が、私とジェニファまで見渡したところで。
「『観光客だったら、こんなところにいるなんて怪しくない?』……って、がっつり疑われてます!」
「やっぱりそっか……」
言葉がわからなくても、歓迎されていない雰囲気は伝わってくる。
「ミュウル様……」
「ちょっと、ミュウルさん!」
心配をする2人を横目に、疑う少女の前へと進み出た。
ぱっと見て小柄だと思ったが、腕と足はしっかりしている。
「いい腕の筋肉だね。あなたの名前は?」
「『は? 腕……? アシャ……だけど』」
「そっか。アシャ、それ貸して」
彼女が何か言うより早く、抱えていた水桶を持ち上げた。
これは想像よりも重たい――が、ジェニファひとり分よりは軽い。
「……っ!」
固まったアシャに構わず、さらに姉妹たち全員分の水桶を肩に担いだところで。
「早く街に行こうか」
そう言って振り返ると、姉妹たちは瞬きもせずこちらを見つめていた。
まるで不可解なものを見るかのような目で。
ジェニファだけが、「さすがミュウル様!」と拍手をしてくれている。
「『ガハハハッ! やるねぇオメエさん』」
これまで一歩下がっていたバシールが、娘たちの前に出てきた。
アシャたちがどうするのか、見ていたのだろうか――。
「『それで、オメエさんは?』」
「……私、ミュウル」
「『おおそうかい。みんな、今日はミュウルちゃんに甘えて水運びはお休みだ!』」
この調子なら、何とか街まで連れて行ってもらえそうだが――。
水桶をいくつ担いでも足取りの変わらない私を見て、バシールは愉快な笑いが止まらないみたいだった。
一方娘たちは、「『あたしらのが持てる!』」と、水をさらに皮袋へ入れている。
「おお、すごい」
これは負けていられない、と、さらに桶を積み上げようとすれば――。
「力自慢大会は後回しっ! 今は街の調査っすよ」
仕事モードに入ったギザールに、怒られてしまった。
それにしても。
バシール一家の女性たちは、道中も辛い顔ひとつせず元気に歩いている。
いくら私だって、これを毎日やるとなったら逃げ出したくなるのに――。
(でも、どうして川の水を街まで引かないんだろう……)
ジェニファもさっきから、無言で川を眺めている。
もしかしたら、同じことを感じているのだろうか――。
「ジェニファ……」
「『それにしても驚いたねぇ!』」
言いかけたところで、またバシールが笑い声を上げた。
「『アタシらとミュウルちゃん、どっちのが力持ちなんだろう』」
「え……?」
冗談かと思いきや。
バシールの小さな目に、闘志が燃えている。
「『坊やがさっき言ってた、力自慢大会? それ、面白そうじゃないか』……って、え!? まさかガチでやる気じゃないっすよね?」
いや、バシールの目は本気だった。
アシャをはじめとした彼女の娘たちも、すっかりやる気になっている。
「どうしてくれるんっすか、ミュウルさん!」
「ええ……私のせい?」
こうして私は、水路のことを訊くより先に、怪力一家の腕相撲大会に出場することになるのだった。




