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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
4章 魔都に潜む天使 ―ラヒムザード―
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53話 天使のおじいちゃん

 ヴィーナスが“じいちゃん”と呼んだ純白の天使は、彼を見るなり圧を収めた。


「ヴィーナス……どうして……」

「ごめん、じいちゃん。でも、ボクはこの人間……ミュウルたちのおかげで、帰れるようになったんだ」


 膝をつきそうな重圧が消えて、やっと息が吸えるようになったけれど。

 ふたりを囲む空気がズンと重い。


 周りに集まった魔族たちも、彼らの動きをうかがっている。


「……とにかく、ゆっくりお茶でもしながら話しましょ」

「えっ、オレらもいいんっすか!?」


 私の後ろから顔を出したギザールの問いかけに、ヴィーナスのおじいちゃんは手招きをした。


 どうやら本当に誘ってくれるらしいが――あの笑顔には、何だか裏があるように見える。


「来れば分かるわ。さぁヴィーナス、行きましょ」


 改めて彼を見ると、白い肌も翼も、滝の霧を吸ったみたいに淡く光っていた。


 人間ならば、30歳くらいの青年といったところか。


「おじいちゃん……」


 孫持ちには見えない彼に続き、泥と砂の道を進んでいくと。


「ほら、入れるものならどうぞ」

「なっ……!」


 やっぱり。


 天族の棲家だという、宙に浮いた家。

 蔓に垂れ下がる巨大な実の中が、彼らの住居になっているという。


 ヴィーナスが「ミュウルたちはボクの背中に」と言ってくれたが、それを案の定、おじいちゃんは遮った。


「自分の力でできないことは、無理にしないことね」

「……っ」


 明らかに、翼のない私たちへの意地悪だ。

 それでも――。


「ミュウルさん、このくらいの傾斜ならいけますよね?」

「修道院の屋根を飛び回れるお方ですから~」


 私が「できる」と信じて疑わないギザールとジェニファの微笑みに、大きく頷いた。


「うん。飛ぶことはできないけど……」

「え……?」


 翼を広げたおじいちゃんを横目に、ギザールとジェニファを抱えた。


「しっかり掴まってて」


 そのまま、優雅に飛ぶ彼らを追い越す勢いで、岩壁を登っていくと。


「うっそ……!」


 おじいちゃんは一瞬、飛ぶのを忘れたように翼を止めた。

「信じられない」と言って見開いた瞳に、口角が上がる。


「まぁ、ミュウルなら大丈夫だと思ったけど」


 あとから飛んで来たヴィーナスの言葉に、「まぁね」と頷いた。


「それで、お茶……出してくれるんですか? おじいちゃん」

「……はぁ。いーわよ、自力でここまで来たんだし」


 ついでのように、彼は「“おじいちゃん”じゃなくて、ヘリオスって呼びなさい」と、先に家の中へ入っていった。


 扉がどこにも見当たらないと思えば、上の空洞が出入り口になっているらしい。


「ほら、どうぞ」


 椅子も机もない室内で、ヘリオスが出してくれたのは、白い煙の昇る茶器だった。


「……これは?」


 少なくとも、私の知っている茶ではない。


「ミュウル、見て。こうして吸うんだよ」


 ヘリオスとヴィーナスは茶器に顔を近づけ、「ご馳走だ」と言いながら煙を吸っている。


「……」


 どうやらこれは、飲むのではなく吸うらしい。

 彼らの流儀に合わせるように、霧状の茶を吸ってみると。


「ん……?」


 喉の奥を、爽やかな風が通り抜けた気がした。

 無味無臭だけれど――これが天使たちのご馳走なのか。


「まさか気体の茶を嗜む魔族がいるなんて……興味深いっすね」


 ギザールは、家の中から茶器まで観察しながら霧を吸っている。


 一方ジェニファは、茶器ではなく、まだヘリオスの方を見つめていた。


「あら、お口に合わなかった?」

「……っ、いえそんな!」


 たしかに、芸術品のように整った顔だが――。


「アンタ、そんなに面食いでしたっけ?」

「分かったような口を利かないでくださいませ! なぜか目が逸らせなくて……」


「ミュウル様の方がお美しいのに」と、ジェニファがこぼした瞬間。

 ヘリオスの眉がピクリと動いた。


「その20も生きていないような小鳥が、アタシより美しいって?」

「はい、ミュウル様はたくましいのです!」

「ふぅん……たくましいって美しさに入るのね」


 この魔族には、美に対する強い矜持(プライド)があるのかもしれない。

 

 そう思いつつも、茶器を置いてヘリオスに向かい直った。

 いまは彼と話をしなければ。


「ヘリオス……さん。私たち、ヴィーナスと出会って初めて魔族を知ったんです」

「……そう」


 魔族について、もっと知りたい。


 もしかしたら、彼らは影と何か関係があるのではないか――前回ラヒムザードで感じた違和感までは、今は話さないにしても。


「あと、私たちは今、世界地図を作るための旅をしていて……」


 この地にも拠点を置けないか。


 そこまで話すと――。


「……たしかに。魔族を知るには、ここは最適ね」


 天・地・海族。その他さまざまな連中が棲んでいると、ヘリオスは茶器を置きながら言った。


「でもね、ここの長はアタシなの。底抜けの連中の身を案じるわけじゃないけれど、アンタたちを歓迎するかどうかは別の話」


 彼ら含め、“底抜け”については、すべてヘリオスが権限を持っている――。

 彼の言葉は誇張でも何でもないと、さっきの魔力の圧を見ればわかる。


 また漏れはじめた威圧の気配に、自然と身体に力が入った。


「そういえばヴィーナスちゃんは、どうして出ていったの?」

「え……?」


 出稼ぎに出ていたのではなかったのか。

 思わず口を挟むと、ヴィーナスは顔を背けたまま「実は……」とこぼした。


「8年くらい前に……勝手にここを出たんだ」

「8年前……?」


 ヘリオスもそうだが、人間と同じ尺度は、やっぱり魔族には通じないらしい。

 10歳前後に見えていた彼も、実は私より年上なのだろうか。


 問いかける間もなく、ヴィーナスは居心地が悪そうにため息を吐いた。


「みんなが陽の下で暮らせるように、どうにかするつもりだったんだ……」

「……ヴィーナス」


 力の強くないもの、温厚な性格のものは、外の世界で生きるには危険。

 人間の天下だから、そこに魔族の居場所を作りたかった――そう言って、ヴィーナスは私たちの方を向いた。


「ミュウルたちとはそこで出会ったんだけど……ボクを籠から出してくれた、特別な人たちなんだ」

「ふぅん……特別、ねぇ」


 孫の言葉を聞いても、ヘリオスの放つ威圧は収まらなかった。


「そもそもよ。外の世界で魔族の居場所を奪ったのは、アンタたち人間でしょ?」

「それは……」


 空気が凍りはじめた。

 

 たとえではない。

 籠の実が、ミシミシと軋む音が響いている。


 このまま潰されるのでは――本格的に構えるべきかと、拳に力を入れたところで。


「ちょっと、じいちゃん! また家壊さないでよ」


 強い声を上げたヴィーナスは、「そうだ見て!」と手を叩いた。


「ボク、変身できるようになったんだ」


 ヴィーナスの身体に、黒い泡がボコボコと吹き出す。


 顔のない天使に変化したヴィーナスを前に、ヘリオスの表情が解けていった。

 私たちへの警戒を緩めて、本当に嬉しそうに。


「アンタ……おめでとう、成体になったのね」

「あ……」


 ヘリオスは、静かに頬を濡らしていた。


 黒いけれど――多分あれは、魔族の涙なのだろう。


「ヘリオス……」


 この魔族、ものすごく怖いけれど――家族を大切にしているみたいだ。

 さっき見た、毛玉の母親と同じように。


「濁りのない白翼……娘によく似ているわ」

「うん、これもミュウルのおかげなんだ」


 私とぶつかり、傷つけ合った結果、この姿になれた。

 そう言ってヴィーナスは笑っていた。


「ね、そうでしょ?」

「ぶつかったというか、一緒に落ちたというか……」


 暴走したヴィーナスを相手にした時のことを思い出すと、よく生きていたなと思う。


 言い淀む間に、ヘリオスがこちらへ近づいていた。


「……孫に免じて、ここを自己責任で見学するのは許してあげる。でもね」


 私たちがここに長く滞在することは認めない。

 特に、人間の拠点なんてもってのほか――ヘリオスは静かな口調で断言した。


「そんな……!」

「アタシの言葉を覆したいのなら、それなりのことを示しなさい」


 それなりのこと。

 まず先に拳を見下ろしたが、きっとヘリオスが言っているのはそういうことではない。


「それにね、今はアンタたちみたいな観光客に構ってる場合じゃないのよ」


 ため息を吐くヘリオスに、首を傾げると。


「なんのことっすか?」


 ずっと大人しくしていたギザールが、私の前に出てきた。


「アンタたちも来る時見たでしょ、地上の川。あれを人間がいじろうとしていて……そんな時に拠点契約なんて、笑えない冗談よ」


 私たちが来る前に、すでに現地の人間と問題が起こっていた。


 ヘリオスが威圧的なのは、そのせいでもあったのか。


「ミュウルさん、ちょっと」


 私とジェニファを手招いたギザールは、「ここを出るべきだ」と囁いた。


「拒絶の気配が強すぎるっす。こーいう時は、一旦引きましょう」

「諦めるの?」

「まさか! これはチャンスっすよ」


 まずは地上の人間にも話を聞いて、問題が何なのか探ってみよう――ギザールの提案に、今は頷くことしかできなかった。


 たしかに、今の私が拳を握っても、ヘリオスの言葉は覆せない。


「……うん。じゃあ“底抜け”を出て、川沿いを歩いてみよう」


 ここを詳しく調べるのは後でもいい。


 地図作りのことを真面目に考えるギザールには言えなかったが――まず何より、未知の土地を自分の足で歩いてみたかった。

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