52話 魔の街「底ぬけ」
ヴィーナスの白い翼が、滝の霧を裂いていく。
私はその背で、ジェニファとギザールを両腕に抱え込んでいた。
「うわぁぁぁ! ミュウルさん絶対離さないでくださいよ? 約束っすからね!?」
「ギザール、耳が壊れる」
滝の轟音といい勝負の悲鳴を聞きながら、ジェットコースターのような落下を耐えた後。
目の前に広がったのは、滝の底にある、円型の大地だった。
『ようこそ、ボクらの棲家――“底抜け”へ』
ヴィーナスが滞空する場所から、滝の底ぜんぶが見渡せる。
「ここが魔族の街……?」
巨大な空洞のいたるところに、植物の蔓のような太い枝が張り巡らされている。蔓から垂れ下がる膨らんだ実が、あちこちで揺れていた。
『あれは食用の実じゃなくて寝床だよ』
「すっごいっす! 飛べる連中が多いから、家が浮いてるんすね……」
ギザールでなくとも、この奇妙な街並みに目を奪われる。
それに何より、地面を歩く彼ら――魔族に。
人型に近い者もいれば、動物に近い姿の者も歩いていた。でもやっぱり、色々な生き物が混ざっているような、不思議な姿をしている。
『降りる前に、もうちょっとボクらの家を見て回る?』
「はい、ぜひ!」
大興奮のギザールを横目に、飛んだり歩いたりする魔族を眺めていると。
「ご覧くださいミュウル様! どつき合いですわ!」
「うわっ……」
巨大なモグラみたいな魔族が、泥の溜まった沼で乱闘している。
それでも怖い感じがしないのは、なぜなのか――。
『あー、あれは地族の泥風呂だね。ボクら天族は入らないけど』
「地族と……天族?」
隣のギザールが、解説したそうにウズウズしているが。今は何も考えずに、彼らの笑い声を聞いていたい気分だった。
「あら、浴槽を巡って争っていたのでは?」
なぜモグラ型魔族は笑っているのか。
ジェニファの指摘に、ヴィーナスはふっと笑った。
『あれは魔族のじゃれ合いだよ。人間にはちょっと分かりにくかったかな』
危なげで乱暴で、でもゾッとするような笑い声が絶えない。
そんな様子に、隣のギザールは、柄にもなく静かになっていたのだが――。
「ここ、修道国の貧民街と似てるなぁ」
「貧民街……?」
ギザールの呟きに、訊き返すと。
「さっ、降りたら彼らの衣食住をもっとよく見て回るっすよ!」
突然の高い声に、ジェニファと顔を見合わせた。
彼女も気になったのだろう。
それでも、妙な明るさを発揮しているギザールに対して、これ以上は追及できなかった。
「じゃあヴィーナスくん、オレらを下ろしてもらえますか?」
『ちょっと待って! いきなり人間が入ったらみんな混乱するから……』
『とりあえず被って』と渡されたのは、3枚のボロ布だった。
何か聞かれたら、人への擬態中だと言うように――そう言いながら、ヴィーナスは巨大な翼を畳んでいる。
私たちを土と泥の大地に下ろした彼は、顔のない天使から少年の姿に戻っていた。
「じいちゃんの許可が下りれば、みんな手出ししなくなるとは思うけどさ」
「……じいちゃんって、ヴィーナスに名前をつけてくれた?」
「そ。ミュウル、よく覚えてたね」
とりあえず、まずは“実質的な街の長”だというヴィーナスの祖父のところへ。
胸を張って進むヴィーナスに続き、居住区の中へと入っていった。
「滞在許可をもらえればラッキー、拠点契約なんて結べれば、超ラッキーなんっすけどね」
「……それはどうだろう」
見た限り、魔族みんなが、ヴィーナスのように話が通じるとは限らない。
「でも……」
羽のある者も、地を這う者も、大きな牙を持つ者も。
彼らは形がばらばらなのに、同じ穴の底で暮らしている。
その営みは、私たちの社会と変わらないように見える。
「……あ」
頭の上に影を感じ、天井を仰ぐと。
小さな羽をパタパタと動かす毛玉が、私の上を飛び回っていた。
「魔族の子ども……?」
なんだか一生懸命で、可愛い。
つい手を触れようとすると――小さな毛玉は、慌てて飛んでいってしまった。
「あ……」
壁に張り付いている、逆さまの毛玉――毛むくじゃらのコウモリに見える母親の方へ戻ったらしい。
小さな毛玉は温かく抱かれ、羽毛の手入れをされている。
「……」
魔族も人間と同じだ。
ああやって、親に愛されて育つのか――。
でも、あの小さいけれど鋭い爪が、いつか人の肌を裂くのかもしれない。
そんな考えが、一瞬だけ頭に浮かんだ。
「ミュウル様、どうかなさいましたか?」
「……ううん」
毛玉の親子から目を逸らし、少し不安げなジェニファに続いた。
魔族と人間が完全に同じだなんて、まだ思えない。
それでも、いま目の前に映る彼らは温かかった。
ふと、自分の親の顔を思い浮かべるくらいに――。
「あれ……?」
実の親の顔なんて、簡単に思い出せると思ったのだが。
前の世界の両親も、今世も、どちらも浮かばなかった。
「ヴィーナス……帰ったのか!」
ぼんやりしていた頭に響いたのは、しわがれた声だった。
小さなヴィーナスを取り囲むのは、彼とはまったく別の種族に見える魔族たちだった。
「ほら、ボクの稼ぎだよ。感謝してよね」
ヴィーナスが仲間の輪に放り投げたのは、赤い大粒の宝石。
最後にサバートが渡していたものだ。
大騒ぎの魔族たちは、それを取り合っては眺めている。
「あれ? そういえば、またロマンティア語……」
首を傾げると、私の背後に隠れていたギザールが咳払いをした。
「いや、ロマンティア語だけじゃないっすね。いろんな言語が混ざってます」
彼らの中では、“伝わればいい”って感覚なのではないか――ギザールの仮説に、大きく頷いた。
たしかに、時々聞き取れない言葉が飛び交っている。
『そちらさんは?』
「えっ……」
さっき泥風呂を取り合っていたモグラが、こちらを見た。
『なんだか人間臭いが……食事してきたのか?』
突然、みんなの目がこちらを向き、心臓がきゅっと音を立てた。
「ミュウル様、どうしましょう!」
「ジェニファ……薬瓶はとりあえずしまっておいて」
ここで嘘をつくのは、後々マズいことになるかもしれない。
どう言ったものか――頭を回しながら、囁き合う魔族たちに向き直ったところ。
「ミュウル、ジェニファ、ギザール。みんなボクの友達だ」
ヴィーナスの声に、少しだけ背筋の緊張が解けていった。
それでも、疑いの視線は濃いままだ。
「ごめん……みんな、知らないものへの警戒心が強いから」
「大丈夫だよ、ヴィーナス」
どんなことでも、これで解決できる――そう言って、拳を構えかけたのだが。
どういうわけか、思うように力が入らなかった。
「ミュウル……」
ヴィーナスは、無言で首を横に振っている。
でも、こちらが黙って怯えていても、何も解決できない。
「ギザール、ジェニファ……」
こちらの様子をうかがう2人を、振り返ると。
「魔族は弱肉強食だとか、考古学会では常識の見解っすからね」
拳での解決は、今回致し方ない――そう言って、ギザールは私の背に手を触れた。
「この状況で無抵抗は、まずあり得ませんわね!」
ジェニファも、眠り玉を両手に構えている。
「うん……やるか」
ふたりの信頼を聖力に変えて――拳に光を宿した、その時。
「アタシの庭で騒がしいわねぇ」
凛と鳴る高音が、頭を通り抜けていった。
「えっ……?」
魔族の群れを割って現れたのは、真っ白な人――いや、純白の翼を揺らして歩く魔族。
彼が現れただけで、騒いでいた魔族たちがしんと鳴き止んだ。
「あれはご婦人……いえ、殿方?」
あの彫刻のような美しさに、ジェニファがぼうっとするのも責められない。
「あら、可愛らしい小鳥ね。そんなに無防備だと、突然襲われても文句は言えないわよ」
彼が指先を動かすだけで、自然と目が奪われる。
でも――喋り方は穏やかだけれど、彼の瞳の奥はどこか冷たかった。
目を閉じて感覚を研ぎ澄ませると、「ここにいる、どの魔族よりもヤバそうだ」とはっきり分かる。
「ミュウルさん、大丈夫っすか……?」
「……っ、ギザールは下がってて」
初対面のオーリウスみたいに、目があっただけで痺れるほどではないにしても。
エリアスと同等か、それ以上の魔力――力を抜くと、膝が崩れそうだった。
でも私が退けば、ギザールとジェニファはこの圧に耐えられないだろう。
嵐のような魔力の波に、呼吸を乱していると。
「やめてよ、じいちゃん!」
白い彼と私の間に入ったのは、翼を広げかけたヴィーナスだった。
「……じいちゃん?」




