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壁殴り聖女は世界地図を描く  作者: 見早
4章 魔都に潜む天使 ―ラヒムザード―
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45話 立派なレプリカ

 仮面の女性と視線が合った瞬間、背中に走った衝撃が忘れられない。


 たぶん、彼女は首相の妻シェリーンだったと思う。

 それでも――。


「ミュウルさん、今はヴィーナスさんにバレないよう屋敷に戻りましょう!」


 ギザールの言葉に、思考を打ち切られた。


「落札物を調べてくる」と街に消えたエリアスと別れ、ギザールと部屋に戻った後も。オークション会場の熱が、まだ身体に残っていた。


「エリアスが落札したツノ、魔獣って言ってましたけど」

「魔獣って、その……魔族とは違うの?」


 どちらも、物心ついた時には身近にいなかった存在だ。


 ギザールは少し首をひねった後、「似て非なるもの」と口にした。


「魔獣はライガ族と外見が似てるけど、言葉が通じない相手っす。でも魔族は……」


 人間と意思疎通ができる。

 ヴィーナスがそうだったように。


 ギザールの解説に、俯いた。


「そっか……」


 実際にヴィーナスと出会って、触れて、人を食べると伝えられてきた魔族が、私たちと似た形をしていることが分かった。

 彼と話していると、複雑な感情の動きだって伝わってくる。たぶん私たちと変わらない――。


「金のためじゃないって言いながら、ヴィーナスさんは魔導袋をオークションへ出品した。しかも“人魔共生”を謳う都で、魔獣の一部が売買されていたとなれば……」


 これはどういうことなのか。


 ギザールの深刻な声色に、何も返すことができなかった。


 ヴィーナスは、やっぱり何か困っているのか――。


 まだ薄暗い玄関前で、ひとり座り込んでいると。

 朝日を浴びて輝く羽が、視界の端に揺れた。


「……どこ行ってたの? ヴィーナス」


 こちらから声をかければ、彼は目を丸くしつつも、視線を逸らした。


「ちょっと話そうか」


 彼の細い腕を引き、借り部屋に向かおうとすると。


「……こっちで話そ」


 私の腕を掴み直し、彼はそのまま外へ向かっていった。


 彼が足を止めたのは、朝焼けの街が見下ろせる丘。こんな時間から、商人たちが天幕を広げ始めていた。


「……立派な都だね」


 砂漠のど真ん中なのに、絶え間なく流れている噴水。日差しを反射する白壁。それらを囲むように建つ、文字の刻まれた塔。


 オアシスを中心に広がる都を眺めていると、ため息がこぼれそうになる。


「ただの金持ちが作った街じゃないんだ。水路も温度調整なんちゃらも……みんな砂漠で人を生かすための設計なんだとさ」

「……サバートがそう言ってたの?」


 隣を向けば、ヴィーナスは静かに頷いた。


「サバートはもともと、魔法研究者だったんだ。ボクと出会ってから財を成して、市長になった。でも――」


 彼は変わっていった。

 街の形が変わるにつれて、中身まで。


 ヴィーナスの赤い瞳が揺れていた。


「……そっか」

「“魔法での空間拡張”とかいうのが、彼の研究だった。あのオークション会場も同じだよ」

「オークションって……」


 昨晩、オアシス公園に広がっていた黒い天幕は、今はもうない。


 すると――。


「ヴィーナス、気づいてたの?」

「うん。そっちが思ってるより、魔族(ボクら)は視線とか分かるから」

 

 だったら、もう遠回りする必要はない。


 深く息を吸って、彼に向き直った。


「袋をオークションに出品したのって……サバートに関係あるの?」


 もしヴィーナスが、あの袋の何かを「ここで生きていくのに必要なこと」あるいは「魔族の未来に必要なこと」とするならば。

 きっとそこには、“友だち”であるサバートが関わっているとしか思えなかった。


 でも――ヴィーナスの唇は、いつまで経っても動かない。


 日が少しずつ高くなる間、彼は瞬きひとつしないで東を見つめていた。


「ヴィーナス……もし、あなたが何か困っているのなら……」

「ミュウル、ボクを見て」


 ヴィーナスの赤い瞳が、朝日よりも濃く光った。


「え……」


 頭の中に用意していたはずの言葉が、弾けて消えた。


 まただ。

 この目に見つめられると、ぼうっとしてしまう。

 それにまた、あの鐘の音が――。


「……戻ろうよ、ミュウル」

「…………え?」


 翼を寝かせた彼は、街に背を向けた。


 やっぱり。あの赤い目が逸れると、思考が戻ってくる。


「ヴィーナス、待って……」


 今、何を聞こうとしていたのか。

 まだ少しだけ、頭がぼうっとしていた。


 やっぱり彼は、人に話せないようなことを背負っているのだろうか。


 重い足を進ませ、彼の後を追った。


 さっそくギザールに、ヴィーナスと話したことを報告しようかと思ったけれど。部屋にはいないみたいだ。


「ジェニファは……」


 具合の悪かった彼女を、早朝に訪ねるのも悪い。

 諦めて、部屋に真っ直ぐ帰ると。


 座る間もなく、強めのノックが響いた。


「ミュウル、入ってもいい?」

「…………エリアス」


 今は正直、彼と話せるような気分ではないけれど――「大事な話がある」と言われて、ドアすら開けずに帰すのも気が重い。


「なに……うわっ」


 エリアスが抱えているのは、競り落としていた魔族の一本ツノだった。


「あのオークションもそうだけど、この都市にもこれ以上かかわらない方がいいよ」

「え……?」


「明日こそ帰ろう」と、エリアスはこちらに向き直った。


「……どうして?」

「これ、本物の魔獣のツノらしいからね」


 この都市は魔族を認めながらも、魔族の権利を守っていない――エリアスはそう言い切った。


「それは……」


 つい、言葉を失った。


 それは私も感じていたことだ。


「でも……私は、目を逸らしちゃダメだ」

「どうして? 君はただ外の世界を見たいだけなんだろう?」


 ならば、汚い部分を見る必要はない。


 そう言って、エリアスは一歩こちらに近づいた。


「もう分かっただろう? 籠の中の方が幸せだって」

「……!」


 掴まれた腕を、なぜか払うことができない。


 それでも必死に腕を振って、一歩下がる。

 エリアスは不思議そうに首を傾げた。


「僕が本気になれば、君を連れ帰ることくらい簡単なのに」

「……っ」


 掴まれた腕が、少し軋んだ。


「君は……ミュウルは、どうしてほしい言葉をくれないんだろう」


 この人、本当に分からない。


 自分勝手なのに、こちらへの悪意を感じない。


「でも……」


 私は絶対に、この人の思い通りにはならない。


「あなたは少しだけ変わったと思った。でも、やっぱり力でしか人を動かせないとしたら……」


 奥歯を噛み締め、拳を握り、そして彼の目をまっすぐに見た。


「私はもう、あなたを殴らない」

「え……?」


 エリアスの瞳が揺らいだ。


 私の腕を掴む指先が、震えている。

 

「どうしてだい……? 僕のことを傷つけられるのは、君だけなんだよ? 僕が許せるのは、君だけなのに」


 希望を奪われたかのような声。

 演技ではなく、本気みたいだった。


 殴らないと言って、こんな反応をされるなんて――。


「やっぱりあなたって……ヘン」

「変? 僕が?」


 思ったことが、そのまま滑り出ると。

 エリアスはどこか寂しそうに笑った。


「みんな僕を立派だって、英雄の生き写しだって褒めてくれるんだ。“変”だなんて、14年間生きてきて初めて言われたよ」

「え……」


 いま、1()4()と言っただろうか。


 改めて、目の前の大男を見上げたが――どう見ても未成年には見えない。


「まぁ僕もふつうってわけじゃないからね。君らから見れば、僕は“変”なのかもしれない」


 私がどうするのか試すように、エリアスは笑っている。やっぱりどこか、寂しげに。


「あなたは、いったい……」


 頭が真っ白なまま、唇を震わせた――その時。


 静かなノックが響いた。


「ミュウル様、失礼します。あら? 扉が……」


 真横のドアが、すっと開いた。


 今の声はジェニファだ。


「ジェニファ待って!」

「ミュウル様? おはようございま――」


 壁に追い詰められた私と、私の逃げ道を塞ぐエリアス。


 それを目の当たりにした琥珀色の瞳が、一瞬で固まった。

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