45話 立派なレプリカ
仮面の女性と視線が合った瞬間、背中に走った衝撃が忘れられない。
たぶん、彼女は首相の妻シェリーンだったと思う。
それでも――。
「ミュウルさん、今はヴィーナスさんにバレないよう屋敷に戻りましょう!」
ギザールの言葉に、思考を打ち切られた。
「落札物を調べてくる」と街に消えたエリアスと別れ、ギザールと部屋に戻った後も。オークション会場の熱が、まだ身体に残っていた。
「エリアスが落札したツノ、魔獣って言ってましたけど」
「魔獣って、その……魔族とは違うの?」
どちらも、物心ついた時には身近にいなかった存在だ。
ギザールは少し首をひねった後、「似て非なるもの」と口にした。
「魔獣はライガ族と外見が似てるけど、言葉が通じない相手っす。でも魔族は……」
人間と意思疎通ができる。
ヴィーナスがそうだったように。
ギザールの解説に、俯いた。
「そっか……」
実際にヴィーナスと出会って、触れて、人を食べると伝えられてきた魔族が、私たちと似た形をしていることが分かった。
彼と話していると、複雑な感情の動きだって伝わってくる。たぶん私たちと変わらない――。
「金のためじゃないって言いながら、ヴィーナスさんは魔導袋をオークションへ出品した。しかも“人魔共生”を謳う都で、魔獣の一部が売買されていたとなれば……」
これはどういうことなのか。
ギザールの深刻な声色に、何も返すことができなかった。
ヴィーナスは、やっぱり何か困っているのか――。
まだ薄暗い玄関前で、ひとり座り込んでいると。
朝日を浴びて輝く羽が、視界の端に揺れた。
「……どこ行ってたの? ヴィーナス」
こちらから声をかければ、彼は目を丸くしつつも、視線を逸らした。
「ちょっと話そうか」
彼の細い腕を引き、借り部屋に向かおうとすると。
「……こっちで話そ」
私の腕を掴み直し、彼はそのまま外へ向かっていった。
彼が足を止めたのは、朝焼けの街が見下ろせる丘。こんな時間から、商人たちが天幕を広げ始めていた。
「……立派な都だね」
砂漠のど真ん中なのに、絶え間なく流れている噴水。日差しを反射する白壁。それらを囲むように建つ、文字の刻まれた塔。
オアシスを中心に広がる都を眺めていると、ため息がこぼれそうになる。
「ただの金持ちが作った街じゃないんだ。水路も温度調整なんちゃらも……みんな砂漠で人を生かすための設計なんだとさ」
「……サバートがそう言ってたの?」
隣を向けば、ヴィーナスは静かに頷いた。
「サバートはもともと、魔法研究者だったんだ。ボクと出会ってから財を成して、市長になった。でも――」
彼は変わっていった。
街の形が変わるにつれて、中身まで。
ヴィーナスの赤い瞳が揺れていた。
「……そっか」
「“魔法での空間拡張”とかいうのが、彼の研究だった。あのオークション会場も同じだよ」
「オークションって……」
昨晩、オアシス公園に広がっていた黒い天幕は、今はもうない。
すると――。
「ヴィーナス、気づいてたの?」
「うん。そっちが思ってるより、魔族は視線とか分かるから」
だったら、もう遠回りする必要はない。
深く息を吸って、彼に向き直った。
「袋をオークションに出品したのって……サバートに関係あるの?」
もしヴィーナスが、あの袋の何かを「ここで生きていくのに必要なこと」あるいは「魔族の未来に必要なこと」とするならば。
きっとそこには、“友だち”であるサバートが関わっているとしか思えなかった。
でも――ヴィーナスの唇は、いつまで経っても動かない。
日が少しずつ高くなる間、彼は瞬きひとつしないで東を見つめていた。
「ヴィーナス……もし、あなたが何か困っているのなら……」
「ミュウル、ボクを見て」
ヴィーナスの赤い瞳が、朝日よりも濃く光った。
「え……」
頭の中に用意していたはずの言葉が、弾けて消えた。
まただ。
この目に見つめられると、ぼうっとしてしまう。
それにまた、あの鐘の音が――。
「……戻ろうよ、ミュウル」
「…………え?」
翼を寝かせた彼は、街に背を向けた。
やっぱり。あの赤い目が逸れると、思考が戻ってくる。
「ヴィーナス、待って……」
今、何を聞こうとしていたのか。
まだ少しだけ、頭がぼうっとしていた。
やっぱり彼は、人に話せないようなことを背負っているのだろうか。
重い足を進ませ、彼の後を追った。
さっそくギザールに、ヴィーナスと話したことを報告しようかと思ったけれど。部屋にはいないみたいだ。
「ジェニファは……」
具合の悪かった彼女を、早朝に訪ねるのも悪い。
諦めて、部屋に真っ直ぐ帰ると。
座る間もなく、強めのノックが響いた。
「ミュウル、入ってもいい?」
「…………エリアス」
今は正直、彼と話せるような気分ではないけれど――「大事な話がある」と言われて、ドアすら開けずに帰すのも気が重い。
「なに……うわっ」
エリアスが抱えているのは、競り落としていた魔族の一本ツノだった。
「あのオークションもそうだけど、この都市にもこれ以上かかわらない方がいいよ」
「え……?」
「明日こそ帰ろう」と、エリアスはこちらに向き直った。
「……どうして?」
「これ、本物の魔獣のツノらしいからね」
この都市は魔族を認めながらも、魔族の権利を守っていない――エリアスはそう言い切った。
「それは……」
つい、言葉を失った。
それは私も感じていたことだ。
「でも……私は、目を逸らしちゃダメだ」
「どうして? 君はただ外の世界を見たいだけなんだろう?」
ならば、汚い部分を見る必要はない。
そう言って、エリアスは一歩こちらに近づいた。
「もう分かっただろう? 籠の中の方が幸せだって」
「……!」
掴まれた腕を、なぜか払うことができない。
それでも必死に腕を振って、一歩下がる。
エリアスは不思議そうに首を傾げた。
「僕が本気になれば、君を連れ帰ることくらい簡単なのに」
「……っ」
掴まれた腕が、少し軋んだ。
「君は……ミュウルは、どうしてほしい言葉をくれないんだろう」
この人、本当に分からない。
自分勝手なのに、こちらへの悪意を感じない。
「でも……」
私は絶対に、この人の思い通りにはならない。
「あなたは少しだけ変わったと思った。でも、やっぱり力でしか人を動かせないとしたら……」
奥歯を噛み締め、拳を握り、そして彼の目をまっすぐに見た。
「私はもう、あなたを殴らない」
「え……?」
エリアスの瞳が揺らいだ。
私の腕を掴む指先が、震えている。
「どうしてだい……? 僕のことを傷つけられるのは、君だけなんだよ? 僕が許せるのは、君だけなのに」
希望を奪われたかのような声。
演技ではなく、本気みたいだった。
殴らないと言って、こんな反応をされるなんて――。
「やっぱりあなたって……ヘン」
「変? 僕が?」
思ったことが、そのまま滑り出ると。
エリアスはどこか寂しそうに笑った。
「みんな僕を立派だって、英雄の生き写しだって褒めてくれるんだ。“変”だなんて、14年間生きてきて初めて言われたよ」
「え……」
いま、14と言っただろうか。
改めて、目の前の大男を見上げたが――どう見ても未成年には見えない。
「まぁ僕もふつうってわけじゃないからね。君らから見れば、僕は“変”なのかもしれない」
私がどうするのか試すように、エリアスは笑っている。やっぱりどこか、寂しげに。
「あなたは、いったい……」
頭が真っ白なまま、唇を震わせた――その時。
静かなノックが響いた。
「ミュウル様、失礼します。あら? 扉が……」
真横のドアが、すっと開いた。
今の声はジェニファだ。
「ジェニファ待って!」
「ミュウル様? おはようございま――」
壁に追い詰められた私と、私の逃げ道を塞ぐエリアス。
それを目の当たりにした琥珀色の瞳が、一瞬で固まった。




